第55話「完全解除——シャルロットの自由」
シャルロットが椅子に座った。俺が向かいに立った。
ギルドの奥にある治療室。普段は重傷の冒険者を手当する部屋だが、今日は俺たちのために空けてもらった。石造りの壁。窓は一つ。朝の光が斜めに差し込んでいる。
部屋の外にはリリス、セラフィナ、メルティが待機している。オルガも廊下にいる。「何かあれば、すぐに対応する」と杖を握っていた。
「シャルロット。最後の層だ。これが一番深い」
「わかってる」
シャルロットの声は静かだった。震えていない。目が合った。金色の瞳がまっすぐ俺を見ている。
「レイド。信じてるから」
「ああ。任せろ」
◇
魂魄支配を全力展開した。「魂の修復」と「魂の解放」の同時発動。
シャルロットの魂に潜っていく。第1層から第6層までは既に解除済みだ。残骸だけが残っている。その奥に——第7層がある。
触れた瞬間、指先が弾かれた。
桁が違う。
第6層までの呪いとは根本的に異質な力が、最深部を守っている。グレゴリーの意志ではない。大司教ヴァルキスの魔力で構成された呪いの核。議事堂でバルドルの聖剣から解放した魂の鎖と、同じ質の力だ。
鎖が七本。シャルロットの魂の根幹——存在の核に直接食い込んでいる。魂と呪いが癒着している。剥がすには、魂の表面を一層削り取りながら鎖だけを分離するしかない。
一本目に手をかけた。
シャルロットの顔が歪んだ。声は出さない。歯を食いしばっている。額に汗が浮いた。魂の修復で痛みを軽減しているが、核心層の痛みは——魂そのものが引き裂かれる痛みだ。軽減にも限界がある。
一本目——抜けた。
二本目。三本目。一本ずつ、慎重に。急げば魂が裂ける。遅ければシャルロットの体力が持たない。
四本目。シャルロットの呼吸が荒くなった。体が震えている。
「シャルロット。まだいけるか」
「……やめないで。続けて」
五本目。六本目。——残り一本。
最後の鎖に触れた。
——跳ね返された。
ヴァルキスの魔力が暴れた。最後の鎖に、術者の全ての執念が凝縮されている。逃がさない。絶対に解かせない。アイアンメイデンの血を永遠に縛る——その意志が、俺の魂魄支配を弾き返す。
汗が目に入った。魂力が急速に減っている。鎖の一本に、バルドルの聖剣全体と同等の力が詰まっている。
手が震えた。
——届かない。一人では。
その時——シャルロットの手が、俺の手を掴んだ。
冷たい手だった。汗で湿っている。だが握る力は——強かった。
「……一緒に」
声が掠れていた。痛みで唇が白い。それでも目は開いている。金色の瞳が俺を見ている。
「私も——戦う。自分の呪いくらい、自分でも——」
シャルロットの魂が光った。金色の光。呪いに蝕まれ、灰色に曇っていたはずの魂が——光っている。自分の意志で。
共鳴が起きた。
俺とシャルロットの魂が繋がった。リリスとの契約の共鳴とは違う。呪いの治療を通じて何十回も触れ合ってきた二つの魂が、この瞬間、自然に同期した。
シャルロットの意志が、俺の力に加わった。
「解けろ」——二人分の意志が、最後の鎖に叩きつけられた。
鎖が——軋んだ。
罅が入った。
砕けた。
光が弾けた。
◇
シャルロットの体から、全ての黒い紋様が消えていった。
下半身に残っていた最後の鎧の残骸が、粉になって散った。黒い粒子が宙に舞い、光に触れて消滅していく。
部屋全体が温かい光に包まれた。呪いに囚われていたエネルギーが解放され、シャルロット自身の魂力に変換されている。金色の光がシャルロットの体を包み、髪を揺らし、瞳を照らしている。
静寂が降りた。
シャルロットが——自分の手を見つめていた。
震えている。
両手を開いた。閉じた。開いた。閉じた。指が動く。何にも縛られていない。鎖がない。鎧がない。紋様がない。
自分の手だ。二年ぶりの、自分だけの手。
「……終わった」
声が震えた。
「本当に……全部、終わったの……?」
「ああ。もう呪いはない」
俺は立っているのがやっとだった。魂力を使い果たして、視界がぼやけている。だが——笑った。自然に。心から。
「お前は——自由だ」
シャルロットの顔が——崩れた。
今まで見たことのない顔だった。怒りでも照れでも強がりでもない。全部の仮面が外れた、素のシャルロットの顔。二年間堪え続けてきた全てが、一気に溢れ出した顔。
泣いた。
声を上げて。大声で。遠慮なく。
今まで一度も——シャルロットは大声で泣いたことがなかった。涙を流しても声は殺していた。毛布に顔を埋めて、肩を震わせるだけだった。
今は——叫ぶように泣いていた。二年間の恐怖が。半年間の孤独が。呪いの痛みが。家族への怒りが。レイドへの感謝が。全部が声になって溢れている。
立ち上がった。椅子が後ろに倒れた。俺に向かって——走った。
抱きついた。
両腕がレイドの体に回された。力いっぱいに。今まで鎧に覆われていた腕が、初めて自由に、全力で、誰かを抱きしめている。
「ありがとう……! ありがとうレイド……! ありがとう……!」
同じ言葉を繰り返している。他の言葉が出てこない。二年分の「ありがとう」が、涙と一緒に溢れている。
俺は——抱き返した。
そっと。壊れないように。
「……よく頑張ったな、シャルロット」
◇
ドアが開いた。
メルティが真っ先に飛び込んできた。泣きながら。
「シャルちゃーん!! おめでとうーー!!」
シャルロットに抱きついた。二人が抱き合って泣いている。
リリスが入ってきた。目が赤い。泣いた跡だ。だが笑っていた。
「……よかったの。本当に」
セラフィナが最後に入ってきた。静かに涙を拭いている。紫の瞳が潤んでいるが、微笑んでいた。
「おめでとうございます、シャルロット」
四人が——抱き合った。シャルロットを中心に、メルティが右から、リリスが後ろから、セラフィナが左から。笑いながら泣いている。泣きながら笑っている。
オルガが廊下から中を覗いて、目を細めた。杖で床を一度だけ叩いて——何も言わずに去っていった。
◇
午後。シャルロットが目を覚ました。解除後の疲労で数時間眠っていた。
起き上がって、自分の体を確認した。黒い紋様は跡形もない。鎧の残骸もない。肌の色が——本来の白さに戻っている。
手を握った。力がこもる。以前とは比較にならないほどの力が。
右手に意識を集中させた。指先に——黒い光が灯った。
呪いの鎧と同じ色。だが質が違う。これは呪いではない。呪いのエネルギーがシャルロット自身の力に完全変換されたものだ。
黒い光が手の甲に広がり、薄い膜を形成した。硬い。叩いてみた。石のように硬い。呪いの鎧と同じ硬度——だが、自在に出し入れできる。
「……これが、私の本当の力」
呪力制御。呪いの防壁を任意の箇所に展開し、呪いのエネルギーを剣に纏わせることもできる。攻防一体。
二年間、シャルロットを苦しめた呪いが——武器に変わった。
◇
夕方。宿屋の屋上。
夕日がテルミナの町を橙色に染めている。風が心地よい。
シャルロットが隣に立っていた。新しい服——淡い青のワンピース。鎧はもう、どこにもない。
「シャルロット」
「ん」
「呪いは完全に治った」
「うん」
「……お前がこのパーティにいる『理由』は、なくなったわけだ」
言った。あえて言った。
シャルロットが俺を見た。驚きはなかった。この言葉が来ることを、わかっていたのだろう。
「……ばか」
小さな声だった。怒りではない。
「呪いが治っても離れるわけないでしょ」
金色の瞳が、夕日を受けて輝いている。頬が赤い。でも——目を逸らさなかった。
「私がいるのは呪いのためじゃない。レイドの傍にいたいから。自分で選んでここにいるの」
声が震えかけた。だが最後まで言い切った。
「あの時レイドが言ってくれたでしょ。『理由なんかいらない。いたいならいればいい』って。——私は、いたいの。ここに」
風が吹いた。シャルロットの髪が揺れた。夕日が二人を照らしている。
「……嬉しいよ」
正直に言った。
「う……言わせないでよ、こういうこと……ばか……」
シャルロットが俯いた。耳が赤い。だが——口元が微かに上がっていた。
夕日の中で、二人で立っていた。呪いの影はもうどこにもない。シャルロットの瞳に映っているのは——ただ、橙色の空と、隣に立つ男の横顔だけだった。
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