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第54話「ダリウスの末路」

 エリーゼが去った翌日の朝。フィーナが一通の手紙を持ってきた。

「レイドさん、お手紙です。差出人は——ミレーヌ・ウィンドベルさん」

 ミレーヌ。王都の審問で証言した後、一人でどこかに去った風の魔法使い。手紙の消印は王都から南に三日ほどの町だった。

 食堂のテーブルで封を開いた。リリスとシャルロットが向かいに座っている。セラフィナが窓辺に立っている。メルティが俺の袖を掴んだまま横から覗き込んでいる。

 ミレーヌの字は丁寧だった。読みやすく、だが——字の端々が震えている。

 読み始めた。

    ◇

 ——レイドさん。お元気ですか。

 王都の審問では、お世話になりました。あの場で証言できたことは——私の人生で初めて、自分の意志で何かをした瞬間でした。

 今は一人で旅をしています。どこへ行くか、まだ決めていません。ただ、歩いていないと不安で。

 元パーティの皆の近況を、お伝えしなければと思い、筆を取りました。あなたに知る義理はないかもしれません。でも——知っておいてほしいのです。

    ◇

 ——ダリウスのことを書きます。

 あの後、ダリウスの炎は完全に制御を失いました。右腕の火傷は治らず、左手だけでは魔法の起点が組めません。冒険者を引退しました。

 王都の裏通りに安い部屋を借りて、朝から酒を飲んでいます。何度か会いに行きました。行くたびに、部屋が汚くなっていました。酒瓶が床に転がり、食べかけの食事が放置されていました。

 「俺は天才炎術師だ」と言います。酒場でも言います。誰も相手にしません。

 ある日——酒場でレイドさんの噂を聞いたそうです。「テルミナの死霊術師が教会を論破した」と。

 ダリウスは笑いました。「レイド? あの陰気な奴が? 嘘だろ」と。

 でも——笑った後、ずっと黙っていたそうです。酒場の主人がそう教えてくれました。

 自分の右腕を見つめて、呟いたそうです。

 「……あいつが抑えてたのか。俺の炎を」

 七年間、レイドさんが魂の強化で炎の暴走を制御し続けていた。ダリウスは気づいていなかった。気づいた時にはもう——右腕は焼け焦げ、炎術師としての未来は消えていました。

 最後に会った時、ダリウスは泣いていました。声を上げず、酒を飲みながら、黙って。あの男が泣くのを、初めて見ました。

    ◇

 ——ゼノンのことも書かなければなりません。

 王都の審問の後、聖騎士団と共に撤収するはずでした。でもゼノンは——隊列の途中で、一人で離脱しました。どこかへ歩いていってしまいました。聖騎士たちは追いませんでした。もう教会の駒ではないゼノンを、追う理由がなかったのでしょう。

 行方不明です。

 エリーゼも手紙を書いたそうですが、返事はありません。

 ゼノンの最後の顔が忘れられません。聖剣が床に落ちた時の。全てを失った人の顔でした。光が消えた目。何も映していない目。あの目を思い出すと、胸が苦しくなります。

 でも——ゼノンがしたことは事実です。レイドさんを追放し、七年間無視し、教会の手先になった。同情しても許されることではありません。

 ゼノンが自分の答えを見つけられるか——私にはわかりません。でも、願っています。いつか。

 ——最後に。レイドさん。

 あなたが幸せそうだと、エリーゼから聞きました。仲間に囲まれて、笑っていると。

 よかった。

 本当に——よかったです。

 どうかお元気で。

 ミレーヌ・ウィンドベル

    ◇

 手紙を置いた。

 窓の外を見た。テルミナの青空が広がっている。鳥が飛んでいる。パン屋の煙突から煙が上がっている。

「……哀れだよ」

 言葉がこぼれた。

「ダリウスもゼノンも。俺にとっても、七年間は嘘じゃなかった。一緒に戦ったのは事実だ。あいつらなりに、やれることをやろうとしていた。ただ——俺のことを見ようとしなかった。それだけで、全部が壊れた」

「ざまあみろ、と言いたいところだけど……」

 シャルロットが腕を組んだ。声が複雑だった。

「……なんか、そうも言えない。私も叔父上に全部壊されたから。壊される側の気持ちがわかる」

 リリスが茶を一口飲んだ。

「ぬしは優しいの。じゃが、それはぬしの美点じゃ。哀れむことと、赦すことは違う。哀れんでいい。赦す必要はない」

「ししょう、悲しい顔しないでください。ししょうが悲しいとメルティも悲しい」

 メルティが袖を引いた。小さな手に力がこもっている。

「過去は変えられません」

 セラフィナが窓辺から言った。紫の瞳が穏やかだった。

「でも——レイドがここにいることは、間違いではありません」

 俺は微笑んだ。自然に。作った笑顔ではなく。

「ああ。……ここが俺の場所だ」

    ◇

 午後。重い話の後は、軽い時間が必要だった。

 メルティを連れて市場に出た。買い出しだ。夕食の材料を仕入れる。

「ししょう! このお魚大きい! メルティの顔より大きい!」

「比較対象がおかしい」

「あのお花きれい! リリスさんに買っていきません?」

「リリスは花より血のほうが好きだと思うぞ」

「ししょう、それはリリスさんに失礼です」

 メルティが両手いっぱいに果物を抱えている。りんご、梨、ぶどう。半透明の腕に色とりどりの果物が透けて見える。不思議な光景だ。

 通りを歩いていると、花屋の女主人が声をかけてきた。

「あら、レイドさん。今日はメルティちゃんとデート?」

「買い出しです」

「デートですよー!」

「違う」

 メルティが嬉しそうに飛び跳ねている。果物が転がりそうになった。慌てて受け止めた。メルティの半透明の指が、俺の手に重なった。

「……えへへ」

「笑うな。果物を落とすぞ」

 穏やかな午後だった。重い手紙の内容が、少しずつ溶けていく。

    ◇

 夕方。宿屋の談話室。

 レイドとメルティが買い出しに行っている間、リリスとシャルロットが向かい合って座っていた。

 リリスが茶を淹れた。シャルロットに出す。シャルロットが受け取る。

「シャルロット」

「なに」

「明日——呪い解除の最後の層じゃな」

 シャルロットの手が止まった。茶碗を持ったまま。

「……うん」

「緊張しておるか」

 長い沈黙があった。茶碗から湯気が立ち昇っている。

「……正直、怖い。最後の一層だから。失敗したら——魂が壊れるって、レイドが言ってた」

「大丈夫じゃ」

 リリスが断言した。迷いなく。

「レイドがやると言ったことで、あの男が失敗したことはない。冥府の修練も、お前の呪いの第1層から第6層まで——全てやり遂げた。最後も同じじゃ」

「……うん。わかってる」

 シャルロットが茶を一口飲んだ。

「信じてるから」

 小さな声だった。だが——揺らぎのない声だった。

    ◇

 深夜。

 全員が寝静まった後、レイドは自室の机に向かっていた。

 ランプの灯りの下で、ルシアから受け継いだ技術書の記憶を辿っている。メルティの幻影魔法で可視化した魂の構造図。セラフィナの天界基準による封印解除の手順書。シャルロットの呪いの全七層を記録した分析ノート。

 第7層——核心層。呪いの根幹。ここに術者の意志が最も強く刻まれている。呪いの全エネルギーが集中する最深部。

 失敗すれば、シャルロットの魂そのものが損傷する。最悪の場合、魂が砕ける。

「……絶対に、失敗できない」

 拳を握った。指の関節が白くなった。

 集中した。夜が更けていく。ランプの油が減っていく。

 ——部屋の扉の隙間から、光が漏れていた。

 廊下に立っていたシャルロットが、その光を見ていた。ドアの隙間から覗く背中。机に向かい、資料を広げ、一心に集中しているレイドの背中。

 ——あの人が、私のためにあんなに真剣に……。

 胸が痛んだ。痛んだが——温かかった。自分のために、こんなにも真剣になってくれる人がいる。それだけで。

 静かに、自室に戻った。足音を立てないように。

 ベッドに潜り込んだ。目を閉じた。

 明日——全てが決まる。


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