第52話「エリーゼの到着」
街道を、一人の女が歩いていた。
白いローブの裾が擦り切れている。泥がこびりつき、元の色がわからない。かつては聖女の証だったはずの白い衣。今はただの汚れた布だ。
エリーゼ・クラリス。元・聖女。元・【曙光の英雄】の治癒師。
今は——何者でもない。
治癒力は全盛期の一割を切っている。教会からは「聖女の称号を返上せよ」と通達が来た。ゼノンのパーティは崩壊した。ダリウスは酒に溺れて行方知れず。ミレーヌは王都の審問で証言した後、一人でどこかへ行ってしまった。ゼノンは——聖剣が砕けて、廃人のようになっている。
何もない。手の中に、何もない。
足が重い。街道は長い。王都からテルミナまで、馬車なら五日の距離を、金がないから徒歩で歩いている。もう八日目だ。
それでも、歩いている。
——会わなければならない人がいるから。
◇
歩きながら、記憶がよみがえった。
追放の夜。あの酒場。ゼノンが「レイドは不要だ」と宣言した時、自分は何を言ったか。
——「あなたがいると、パーティの雰囲気が暗くなるの。わかるでしょう?」
わかるでしょう。
何がわかるのか。レイドに何がわかれと言ったのか。自分が存在するだけでパーティの空気が悪くなると——面と向かって言ったのだ。七年間、黙って影にいた男に。
レイドは何と答えたか。
何も答えなかった。黙って立ち上がり、麦酒の代金を置いて、扉を出ていった。振り返りもしなかった。
あの背中を——止めなかった。止めるどころか、安堵していた。これでパーティの空気が明るくなる、と。「暗い人」がいなくなって、やっと四人だけの明るいパーティになれる、と。
——馬鹿だった。
暗かったのはパーティの空気ではなく、自分の目だった。レイドの存在を暗いと感じていたのは、自分が光しか見ようとしなかったからだ。影を見ようとしなかった。影がなければ光は存在できないのに。
レイドがいた七年間——レイドの顔を見たことがあっただろうか。
名前を呼んだことは?
「ありがとう」と言ったことは?
何一つ、なかった。
涙がこぼれた。街道の砂利を濡らした。
「最低だ……私は……最低だった……」
足が止まりかけた。引き返そうかと思った。会う資格があるのか。レイドの前に顔を出す権利が、自分にあるのか。
——ない。
ないけれど。それでも、行かなければならない。謝らなければならない。許されなくても。門前払いされても。
それが——せめてもの、けじめだから。
◇
テルミナの門が見えた。
門をくぐると、活気のある町が広がっていた。石造りの建物が並び、人々が笑顔で行き交っている。花壇には色とりどりの花が咲き、パン屋の前には行列ができている。
王都の片隅で見た、疲弊した町とは違う。ここには——温かさがあった。
ギルドに向かった。受付でレイドの居場所を聞いた。
受付の女性——フィーナという名札がついている——が、目を輝かせた。
「レイドさんなら、いつもの宿屋ですよ。Aランクパーティの英雄さんです。最近は王都で教会の嘘を暴いたって、大評判で——ご友人ですか?」
Aランク。英雄。教会の嘘を暴いた。
かつて「不要」と言って追い出した男が、二ヶ月で英雄になっている。
「……はい。昔の……知り合いです」
声がかすれた。フィーナが道順を教えてくれた。町の中心部の宿屋。「大通りをまっすぐ行けばすぐですよ」
◇
宿屋が見えた。
その前で——足が止まった。
宿屋の前の通りに、五人の姿があった。
レイドが——笑っている。
銀髪の女性が、レイドの腕に自然と寄り添っている。穏やかな微笑みを浮かべて、何か話している。レイドがそれに応えて口元を緩めている。
銀髪の少女が、レイドの背中にぶら下がっている。「ししょう、ししょう」と甘えた声で呼んでいる。レイドが「重い」と言いながら、振り落とさない。
金髪の少女が、レイドの肩を軽く肘で突いた。何か言って——レイドが苦笑する。少女が視線を逸らして、耳を赤くしている。でも——楽しそうだった。
黒い翼の女性が、少し離れた場所に立って、四人のやり取りを見守っている。静かに微笑んでいる。レイドが何か声をかけると、小さく頷いた。
五人が——笑っている。
心からの笑顔。自然で、温かくて、幸せそうな。
エリーゼの足が動かなくなった。
——レイドさんが、笑っている。
パーティにいた七年間、レイドのあんな顔を一度も見たことがない。当然だ。笑える状況ではなかっただろう。影のように扱われ、名前を呼ばれず、感謝もされず、存在を否定されていたのだから。
あの七年間——レイドは一度も笑わなかったのではなく、笑えなかったのだ。自分たちが、笑顔を奪っていたのだ。
膝が折れた。
通りの隅で、しゃがみ込んだ。両手で顔を覆った。
「……私が奪ったんだ。レイドさんの笑顔を。七年間、ずっと……」
涙が止まらなかった。指の隙間から落ちていく。石畳が濡れる。
通行人が怪訝な顔で見ている。汚れたローブの女が、通りの隅で泣いている。それが元・聖女だとは、誰も気づかない。聖女の力を失った今、自分はただの——泣いている女だ。
どれくらいそうしていたかわからない。涙が枯れた頃、立ち上がった。
顔を拭った。鼻をかんだ。みっともない顔だとわかっている。でも——このみっともない顔で行く。綺麗な顔で謝る資格なんかない。
◇
宿屋の前に立った。
五人はまだいた。通りで話し込んでいる。買い物帰りなのだろう。リリスが野菜の入った袋を持ち、シャルロットがパンの袋を抱えている。メルティがりんご飴を片手に俺の袖を掴んでいる。セラフィナが星の地図を読みながら歩いている。
——日常だ。幸福な、温かい、当たり前の日常。
一歩。足を踏み出した。
レイドが——こちらを見た。
目が合った。
レイドの表情が変わった。笑顔が消えた。驚きでもなく、怒りでもなく——何か、複雑な感情が、一瞬だけ瞳を過ぎった。
「…………エリーゼ?」
名前を呼ばれた。
七年間、自分が一度も呼ばなかった名前を——レイドは、覚えていてくれた。
「……レイドさん。お久しぶりです……」
声が震えた。みっともない。泣いた跡の顔で、汚れたローブで、何もない手で——ここに立っている。
四人のヒロインがエリーゼを見た。
銀髪の女性——リリスの紅い瞳が、すっと細くなった。値踏みするような、だが敵意ではない目。「こやつが何者か」を見定めている。
金髪の少女——シャルロットの手が、剣の柄にかかった。警戒だ。レイドを追放した元パーティの一人。敵か味方かわからない。
銀髪の少女——メルティが、レイドの袖を強く握った。「ししょう?」と不安そうな声を出した。
黒翼の女性——セラフィナが、静かにエリーゼを見つめていた。紫の瞳に——同情があった。ボロボロの姿を見て、この人がどれだけの道を歩いてきたか、察したのだろう。
空気が変わった。
温かかった日常の空気に——一人の来訪者が、冷たい風を持ち込んだ。
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