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第50話「決着」

 判決が下った瞬間——バルドルが動いた。

「認めない」

 低い声だった。聖剣を抜き放った。死者の魂が剣身に渦巻いている。苦悶の光が議場を染めた。

「教会を否定する判決など、認めるわけがない!」

 残り十人の聖騎士が、バルドルに続いて剣を抜いた。議場に金属音が響く。傍聴席から悲鳴が上がった。

「殺すな。無力化だけだ」

 俺の声に、四人が反応した。

 十秒。

 リリスの血の茨が地面から噴出し、四人の聖騎士を一斉に壁に縫い止めた。紅い鎖が白銀の鎧を絡め取り、一切の動きを封じる。

「わらわに勝てると思うな。800年を舐めるでないぞ」

 セラフィナの黒翼が展開した。翼が空気を打つ。風圧が三人の聖騎士を議場の壁まで吹き飛ばした。鎧が壁に叩きつけられるが、殺傷力はない。意識を奪うだけの精密な一撃。

「天使の力を——嘘のために使わせない」

 シャルロットが二人の聖騎士と剣を交えた。一合目で相手の剣を弾き上げ、二合目で手首を打って武装解除。呪いの鎧が残る下半身の力を使った、人間離れした踏み込み。

「私だって——あなたたちの嘘に騙されてた被害者よ」

 メルティが両手を掲げた。空間魔法が発動し、残り一人の聖騎士が透明な立方体に閉じ込められた。隔離結界。中から叩いても壊れない。

「えへへ。300年前の魔術師をなめないでくださいねー」

 十秒で、十人の聖騎士が無力化された。

 バルドル一人が、ステージの中央に立っていた。

    ◇

 聖騎士長バルドル。大司教ヴァルキスの右腕。教会の軍事力の頂点。

 身の丈二メートルを超える巨体が、聖剣を構えている。剣身から苦悶の光が溢れている。何百もの死者の魂が剣の中で悲鳴を上げている。

「死霊術師。お前さえいなければ——全て、うまくいっていたのに」

 バルドルの声は低く、重く、壊れかけていた。

「教会は千年間、この世界を守ってきた。聖剣の力で。聖女の治癒で。聖騎士の武力で。——その源が死者の魂だとしても、それが何だ。結果として世界は守られた」

「守られたのか? 冥渦が近づいている。冥府の魂の循環が壊れて、世界そのものが崩壊しかけている。——それが、お前たちの『守った結果』だ」

 バルドルの顔が歪んだ。

 聖剣が振り下ろされた。

 渾身の一撃。死者の魂のエネルギーが凝縮された白光の刃が、俺に向かって落ちてくる。議場の床が軋む。空気が震える。

 俺は手を翳した。

 魂魄支配——「魂の解放」。

 ルシアから継承した技術。あらゆる呪い、契約、封印を無効化する第3段階の能力。聖剣に封じられた魂の鎖に、触れた。

 鎖が——解けた。

 聖剣から光が噴き出した。だがそれは攻撃の光ではなかった。解放の光だ。

 一つ。二つ。十。百。——数え切れない数の魂が、聖剣の中から飛び出していく。蒼白い光の粒が、議場の天井に向かって昇っていく。一つ一つが人の形を取った。男。女。老人。子供。百年前の魂。五百年前の魂。千年分の死者たちが、一斉に空へ還っていく。

 安堵の表情が見えた。苦悶から解放された顔。鎖が消えた体。やっと——やっと自由になった死者たちの、静かな喜び。

 魂の一つが、バルドルの前で止まった。

 老人の魂だった。穏やかな顔。バルドルを見つめている。

「やっと……自由に……」

 微かな声だった。それだけ言って——光になった。空に消えた。

 バルドルの手から聖剣が滑り落ちた。

 魂を失った剣は——ただの鉄の塊だった。光が消え、刃に罅が走り、音を立てて粉々に砕けた。破片が床に散らばる。白銀に輝いていた聖剣が、錆びた鉄片の山になった。

「馬鹿な……聖剣が……神の恩寵が……」

 バルドルが膝をついた。目の前の鉄片を見つめている。千年の権威の象徴が、塵になった。

「それはもう聖剣じゃなかった。死者の魂で動いていた呪いの剣だ」

 俺はバルドルを見下ろした。

「——今、中の魂は全員、自由になった」

 議場の天井で、最後の魂が光になって消えた。数百の光の軌跡が、夜空の星のように天井に残っている。

 静寂が降りた。千人の聴衆が、息を止めて光を見上げていた。

    ◇

 バルドルが衛兵に引き渡された。巨体が二人の衛兵に支えられ、議場の出口に向かう。足取りが——老人のようだった。数時間前に門の前に立っていた時の威圧感が、完全に消えている。

 連行される途中、バルドルが振り返った。

「……大司教ヴァルキスは、このまま黙ってはいませんよ」

 声に力はなかった。だが内容は——警告だった。

「お前たちは教会の全てを敵に回した。大司教は——私なんかよりも、遥かに恐ろしい男だ」

「受けて立つ」

 バルドルの目が一瞬だけ揺れた。それから——頷いた。ほんの僅かに。敵に対する、最後の敬意のように見えた。

 扉が閉まった。

    ◇

 グレゴリーが、議場の隅で衛兵に囲まれていた。

 シャルロットが歩いていった。グレゴリーの前に立った。

 グレゴリーが顔を上げた。温厚な仮面はもう残っていない。脂汗と恐怖で顔が歪んでいる。

「シャルロット……許してくれ。私は——教会に命じられただけで——自分の意志じゃ——」

「叔父上」

 シャルロットの声は静かだった。怒りも憎しみもない。もっと深い場所にある、静かな感情。

「許さない」

 グレゴリーの顔が強張った。

「でも——憎みもしない」

 グレゴリーの目が見開かれた。

「あなたのことは、もうどうでもいい。私には帰る場所がある。私を見てくれる人がいる。あなたがいなくても——私は生きていける」

 シャルロットが背を向けた。

 歩き出した。レイドたちの方へ。振り返らなかった。

 グレゴリーが何か叫んだ。シャルロットの名を。だがシャルロットは足を止めなかった。もう——あの声に振り回される自分はいない。

    ◇

 議場の外に出ると、王都の空が広がっていた。夕暮れだった。審問は朝から夕方まで続いたのだ。

 議場の前に人だかりができていた。審問の結果は既に広まっている。王都中が騒然としている。教会の嘘が暴かれた。千年の権威が揺らいでいる。これからどうなるのか——誰にもわからない。

 だが、今この瞬間は。

「勝ったのう、レイド」

 リリスが隣に立っていた。夕日を浴びて、銀髪が橙色に輝いている。

「正しいことが認められた。……嬉しいです」

 セラフィナが静かに微笑んだ。翼を少しだけ広げて、夕風を受けている。

「ふん。当然よ。アンタが負けるわけないじゃない」

 シャルロットが腕を組んだ。目が赤い。泣いた跡だ。でも笑っていた。

「ししょう最強ーーー!」

 メルティが飛びついてきた。袖ではなく——正面から。俺の胸に顔を埋めた。

「ししょう、メルティ頑張りました! 褒めて褒めて!」

「頑張った。みんな頑張った」

 四人の顔を見た。

「……一人じゃ勝てなかった。みんなのおかげだ」

 リリスが目を細めた。シャルロットが視線を逸らした。セラフィナが小さく頷いた。メルティがさらに強く抱きついた。

 夕日が王都の尖塔を照らしている。大聖堂の白い塔も、今は橙色に染まっている。

 教会の千年の嘘は崩れた。だが——戦いは終わっていな

い。

 バルドルの警告が頭に残っている。大司教ヴァルキス。教会の真の支配者。あの男がこのまま黙っているはずがない。

 だが——今日だけは。

「帰ろう。今夜は全員でうまいものを食おう」

「賛成じゃ」

「……まあ、いいけど」

「はい」

「やったー! ししょうのおごり!」

「おごるとは言ってない」

 五人の笑い声が、王都の夕暮れに消えていった。


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