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第49話「ミレーヌの証言」

 決着がついたと、誰もが思っていた。

 教会の嘘は暴かれた。搾取装置の図面。カロンの証言。聖剣の魂の可視化。シャルロットの呪いの紋章。グレゴリーの逮捕。聖騎士の離反。——これ以上、何を争うことがある。

 ドルトンが木槌を持ち上げた。審問の終結を宣言しようとした、その時。

「……待ってください」

 声は、教会側の陣営から上がった。

 全員が振り返った。聖騎士団の後方——壁際の椅子に座っていた一人の女性が、立ち上がっていた。

 栗色の髪を肩で切り揃えた、細身の女性。大人しそうな顔立ち。目が赤い。ずっと泣いていたのだ。審問が始まってから——ずっと。

「ミレーヌ?」

 ゼノンが振り返った。声がかすれていた。

「何を——」

 ミレーヌがステージに向かって歩き出した。聖騎士の間を縫って、中央に向かう。誰も止めなかった。教会側はもう組織として機能していない。

 ステージに上がった。千人の聴衆の前に立った。

 聴衆がざわめいた。「誰だ?」「教会側の人間か?」「いや、冒険者の格好だ」

「私は——ミレーヌ・ウィンドベル」

 声が震えていた。だが、聞こえる声だった。大人しいミレーヌが、千人の前で声を張っている。それだけで——何かを決意したことがわかる。

「【曙光の英雄】の風の魔法使いです。レイドが——追放された日、あの場にいました」

    ◇

「ゼノンが、レイドに『不要だ』と告げた時——私は、何も言えませんでした」

 ミレーヌの声が、議場に響いた。静かな声だった。だが静かだからこそ、千人がその一語一語を聴いていた。

「止めるべきだった。レイドの味方をすべきだった。『あの人は必要な人だ』と——言うべきだった」

 涙が頬を伝った。拭わなかった。

「でも、言えなかった。ゼノンに逆らう勇気がなかった。パーティの空気を壊すのが怖かった。……それが、私の罪です」

 議場が沈黙していた。先ほどまでの怒号とは違う、別種の静けさだ。一人の女性の懺悔を、千人が聴いている。

「追放された後に——わかったことがあります」

 ミレーヌが顔を上げた。涙で濡れた目が、まっすぐ前を見ていた。

「レイドがいなくなった途端、私の風魔法は精度が半分以下になりました。狙った場所に風が届かない。軌道がブレる。以前は当たり前にできていたことが、急にできなくなった」

 先ほどレイドが投影した映像と、完全に一致する証言だ。当事者の口から語られることで、重みが倍になる。

「ダリウスの炎は暴走しました。自分の炎で自分を焼きました。エリーゼの治癒力は全盛期の二割まで落ちました。ゼノンの聖剣の出力も——半分以下です」

 数字を並べるたびに、議場の空気が重くなった。

「レイドは——七年間、ずっと私たちを支え続けていたんです。私たちが気づかないところで。私たちが『後ろでブツブツ言ってるだけ』と馬鹿にしていた間、ずっと」

 声が裂けた。涙が止まらない。

「私は——知っていたんです。薄々。レイドが何かしてくれていることを。でも、確かめなかった。確かめたら、ゼノンに逆らわなきゃいけなくなるから。見て見ぬふりをした。——それが、一番ひどい裏切りだった」

 すすり泣きが議場に広がった。聴衆の中に、目を赤くしている者が何人もいた。

 ミレーヌがレイドの方を向いた。

「レイドさん」

 声がかすれた。

「……ごめんなさい。私は——あの時、あなたを止めるべきだった。あなたの隣に立つべきだった。七年間の恩を——あの一瞬で、裏切った」

 膝が折れかけた。だが踏みとどまった。最後まで立って言う。泣きながらでも。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

    ◇

 俺は黙って聴いていた。

 ミレーヌの証言の間、一度も口を挟まなかった。この言葉は——ミレーヌが二ヶ月間、一人で抱えて、一人で育てて、一人で連れてきた言葉だ。俺が口を挟む隙はない。

「ミレーヌ」

 名前を呼んだ。ミレーヌが顔を上げた。涙で顔がぐしゃぐしゃだった。

「……ありがとう。でも、お前は謝る必要ない」

「いいえ。謝らなきゃいけないの。ずっと——ずっと」

「お前は四人の中で唯一、最後まで俺の悪口を言わなかった」

 ミレーヌの泣き声が止まった。

「追放の夜も、お前だけは黙って頷いただけだった。他の三人が祝宴で騒いでいる時、お前だけは——酒に手をつけなかった」

 あの夜のことを、覚えている。カウンターの端で安い麦酒を飲みながら、背中越しに聞いていた。ゼノンの宣言。ダリウスの相槌。エリーゼの沈黙。そしてミレーヌが——一人だけ、杯を持たなかった。

「それだけで十分だ」

 ミレーヌが——崩れた。膝をつき、両手で顔を覆って泣いた。声を上げて。千人の前で。

 議場の傍聴席から声が上がった。低い、男の声だった。

「あの勇者は……自分のパーティの仲間すら守れなかったのか」

 その一言が——ゼノンに突き刺さった。

    ◇

 ゼノンは証人席に座ったまま動けなかった。

 ミレーヌの証言を——全部聴いていた。一語一句。

 「止めるべきだった」。——俺がそうさせなかった。

 「見て見ぬふりをした」。——俺が見て見ぬふりを強いた。

 「七年間の恩を裏切った」。——裏切ったのは俺だ。ミレーヌじゃない。

 手が震えていた。聖剣の柄を握ろうとした。指が滑った。二度目。三度目。——握れない。さっき議場の前で抜けなかった剣。もう持ち上げることすらできない。

 手から——聖剣が滑り落ちた。

 金属が石の床に当たる音が、議場に響いた。高く、冷たく、終わりを告げるような音。

 ゼノンが聖剣を見下ろした。床に転がっている。光はない。くすんだ鉄の塊にしか見えない。

 ——これが、勇者の剣だったのか。

 ——死者の魂で光っていた剣。レイドの補助で切れていた剣。俺自身の力では——何もできない剣。

 膝が折れた。二度目だ。今日だけで二度。千人の前で。

 だが——今度は、さっきとは違った。

 さっきは「嘘だ」と叫んだ。否定して、怒って、剣を抜こうとした。

 今度は——何も言えなかった。

 否定する言葉がなかった。怒る相手がいなかった。剣を拾う気力がなかった。

 ただ——床に転がった聖剣を見つめていた。

    ◇

 バルドルが動いた。

 最後の悪あがきだった。

「聖騎士団! 全員武装! 力ずくでこの場を制圧する!」

 声が裏返っていた。もはや冷静さの欠片もない。大司教の腹心が——ただの暴力装置になり下がっている。

 五十人の聖騎士が——動かなかった。

 正確には、二十人が剣に手をかけた。残りの三十人が——手を下ろした。

 動かなかった聖騎士の一人が、静かに言った。

「聖騎士長殿。我々は正義のために剣を取りました。嘘のためには——戦えません」

 別の一人が続いた。

「教会は間違っていた。我々はそれを認めます」

 さらに一人。

「聖騎士の誇りは、教会の命令に従うことではなく——真実を守ることにあるはずです」

 三十人の聖騎士が、バルドルに背を向けた。

 残った二十人の中からも、一人、また一人と剣を鞘に収めていく。バルドルの周囲に残ったのは——十人。五十人の五分の一。

 バルドルが周囲を見渡した。味方がいない。聴衆が敵意を向けている。自軍が離反している。教会の権威は崩壊し、暴力は封じられ、退路すらない。

 鉄の仮面をつけてきた男の目に——初めて、完全な敗北の色が浮かんだ。

 ドルトンが木槌を静かに置いた。叩く必要すらない。議場は既に静まっていた。

「以上をもって——審問を終結します」

 老紳士の声が、議場に穏やかに響いた。

「教会側の主張は棄却。死霊術師レイド・ノクターンの無罪を宣告します。そして——教会の魂の搾取行為について、王国による正式調査の開始を勧告します」

 議場に——拍手ではなく、静かなどよめきが広がった。安堵。怒り。悲しみ。喜び。全てが混ざった、複雑な空気。

 千年の嘘が——今日、崩れ始めた。


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