第44話「シャルロットの家」
街道三日目。中継の町ヘルゲンで馬に水を飲ませていた時、それは起きた。
「シャルロット嬢。お久しぶりでございます」
宿屋の前に、黒塗りの馬車が停まっていた。馬車には紋章が描かれている。盾の上に交差した二本の剣。アイアンメイデン家の家紋だ。
シャルロットの体が硬直した。
馬車から降りてきたのは、恰幅の良い中年の男だった。仕立ての良い外套。銀の髪。温厚そうな笑顔。——だが、俺の魂視にはまったく別のものが映っていた。
「……叔父上」
シャルロットの声が、かすれた。
グレゴリー・アイアンメイデン。シャルロットの父の弟。アイアンメイデン家の現当主——シャルロットの父が病に倒れた後、「後見人」として家を掌握した男。
「心配していたよ、シャルロット。呪いに罹って家を出たと聞いて、ずっと探していたんだ」
温かい声。心配する親族の声。周囲の町人が聞けば、良い叔父さんだと思うだろう。
だが——魂が真っ黒だった。
魂視で見たグレゴリーの魂。俺がこれまで見たどの魂よりも暗い。マルクス司祭の灰色よりも、バルドルの鉄の仮面よりも。黒い。闇色ではない。腐敗した黒だ。表面を白い膜が覆っている。善人を装う偽善の膜。だがその下は——策謀と欲望で腐りきった魂。
「よくご無事で。さあ、家に帰ろう。お父上も心配しているよ」
グレゴリーが手を差し出した。温厚な笑顔のまま。
シャルロットの手が——動かなかった。差し出された手を取ることも、払うこともできない。凍りついている。
俺が前に出た。
「初めまして。レイド・ノクターンです。シャルロットの仲間だ」
グレゴリーの笑顔が、一瞬だけ硬くなった。すぐに戻った。
「ああ、あなたがシャルロットのお仲間ですか。シャルロットが世話になっていると聞きました。ありがとうございます」
「どうやって俺たちの移動ルートを知った」
「……知人を通じて」
嘘だ。魂が黒く脈動した。教会だ。バルドルか、あるいはその部下がグレゴリーに情報を流した。教会とグレゴリーは繋がっている。——やはり、ヴァルキスの紋章が呪いの最深部に刻まれていたのは偶然ではない。
◇
シャルロットの記憶が、断片的に蘇っていた。
——二年前。アイアンメイデン家の屋敷。
父が病に倒れた。長年の戦場の傷が悪化し、寝たきりになった。母は看病に付きっきりで、家の運営は叔父グレゴリーに委ねられた。
最初は助かると思った。叔父上は温厚な人だった。子供の頃、お菓子をくれた。剣の稽古を褒めてくれた。
変化は、父が意識を失った日から始まった。
使用人が一人ずつ入れ替わった。母が屋敷の奥に閉じ込められた。「看病に専念するため」と説明されたが、実態は軟禁だった。家の書類が全てグレゴリーの手に移り、騎士団への人事権も掌握された。
シャルロットが異議を唱えた日の夜。
体に激痛が走った。全身に黒い鎧が生えてきた。肌を突き破るように。叫んだ。助けを求めた。だが使用人は全員グレゴリーの人間で、誰も来なかった。
翌朝。グレゴリーが部屋に来た。
「可哀想なシャルロット。呪いなんかに罹ってしまって。……もう騎士にはなれないね」
温厚な笑顔だった。同情の言葉だった。だがその目は——今まで見たことのない、冷たい目だった。
「お前のためを思って言うんだ。この姿で人前に出たら、アイアンメイデンの名に傷がつく。家を出なさい。治療法が見つかるまで、どこか静かな場所で——」
追い出された。騎士家の長女が、呪いをかけられ、呪いを理由に追い出された。
半年間、森で一人。死にかけた。
助けてくれたのが——レイドだった。
◇
記憶が途切れた。今はヘルゲンの宿の前だ。グレゴリーが目の前に立っている。あの温厚な笑顔で。あの偽善の声で。
「さあ、シャルロット。帰ろう。治療は家で受ければいい。私が最高の聖職者を手配するよ」
教会の聖職者。シャルロットの呪いが教会の指令であるなら、教会の聖職者が治せるはずがない。治す気もないだろう。「治療中」と称して屋敷に軟禁するつもりだ。
「グレゴリー殿」
俺が一歩前に出た。
「シャルロットの呪いは、俺が治療中だ。第5段階まで解除済み。残り二段階で完治する」
グレゴリーの目が僅かに見開かれた。治療が進んでいることを知らなかったのだ。呪いが解ければ——シャルロットが真相に辿り着く可能性がある。それはグレゴリーにとって最悪の事態だ。
「それは……結構なことです。では、残りの治療も家でゆっくり——」
「必要ない」
シャルロットの声だった。
振り返ると、シャルロットがまっすぐグレゴリーを見ていた。震えは止まっていた。
「帰らない」
「シャルロット——」
「私にはもう、ここが家だから」
シャルロットが俺の隣に立った。一歩も引かなかった。
「このパーティが私の家よ。この人たちが私の家族。叔父上の用意した檻には、二度と入らない」
リリスがシャルロットの背後に立った。腕を組み、紅い瞳がグレゴリーを見つめている。無言の威圧。800年の真祖は、立っているだけで空気を変える。
セラフィナが右に並んだ。紫の瞳が静かに、だが鋭くグレゴリーを観察している。
メルティが左に並んだ。銀髪の少女が、珍しく笑っていなかった。
四人が、シャルロットの後ろに立っていた。
グレゴリーの笑顔が——剥がれた。
一瞬だけ。ほんの一瞬、温厚な仮面の下から、別の顔が覗いた。冷たく、計算高く、邪魔なものを見る目。だがすぐに笑顔に戻った。
「……そう。残念だ」
声に温かさが消えていた。隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
「だが覚えておきなさい、シャルロット。アイアンメイデン家の血は消えない。いつか必ず——家の問題は、家で決着をつけることになる」
グレゴリーが馬車に戻った。扉が閉まる直前、俺と目が合った。
笑顔はなかった。
黒い瞳が、値踏みするように俺を見ていた。邪魔な存在を排除する方法を、既に考え始めている目。
馬車が走り去った。砂塵が舞い、街道に消えていく。
シャルロットの膝が折れた。
「っ——」
支えた。肩を抱くと、シャルロットの体が震えていた。強がりの反動だ。グレゴリーの前では一歩も引かなかったが、いなくなった途端に体中の力が抜けた。
「よく頑張ったな」
「……うるさい。頑張ってなんかない。当然のことを言っただけ——」
声が震えている。目が潤んでいる。
リリスがシャルロットの手を握った。
「よくやったぞ、シャルロット。立派じゃった」
「……うるさいって言ってるでしょ……」
泣きながら、シャルロットはリリスの手を握り返した。
◇
夜。ヘルゲンの宿屋。
シャルロットが落ち着いた後、俺は一人で窓辺に立っていた。
グレゴリーの魂。あの腐敗した黒。偽善の白い膜。教会との繋がり。
シャルロットの呪いは、教会の大司教ヴァルキスの命令で、叔父グレゴリーが実行した。目的はアイアンメイデン家の掌握。王国有数の騎士名家を教会の支配下に置くための——政治的な呪い。
証拠は揃いつつある。紋章の投影。呪いの構造分析。そしてグレゴリーの黒い魂。
王都に着けば——全てが動き出す。教会との対決。グレゴリーへの告発。シャルロットの家の奪還。
あと二日で、王都に着く。
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