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第43話「前夜祭」

 テルミナの広場が、灯りで埋まっていた。

 出発前夜。俺たちが明日王都に向かうと知った町の人々が、自発的に祭りを開いてくれた。屋台が通りに並び、提灯が柱に吊るされ、酒場の主人が樽ごとワインを広場に持ち出している。

 広場の入口に、横断幕がかかっていた。子供の字で書いてある。

 「死霊術師のおにいちゃん がんばれ!!」

 その隣に、少し丁寧な字で追記されている。

 「リリスおねえちゃんも シャルちゃんも セラフィナさんも メルティちゃんも がんばれ!!!」

「……こんな町、初めてだ」

 立ち止まっていた。横断幕を見上げたまま、動けなかった。

「ぬしが作ったのじゃよ。この町の空気を」

 リリスが隣に立っていた。銀髪に今夜の提灯の灯りが反射して、温かい色になっている。

「二ヶ月前、ぬしがこの町に来た時は、死霊術師というだけで怖がられた。それが今は——ぬしのために祭りを開く町になった。ぬしが変えたのじゃ」

「俺一人じゃない。みんなが——」

「素直に受け取れ。たまにはの」

 リリスが笑った。

    ◇

 メルティが屋台を駆け回っていた。

「りんご飴! 焼きとうもろこし! ししょう、ししょう、あれ買って!」

「さっきも買っただろ」

「あれはりんご飴! 今度は焼きとうもろこし! 別物です!」

 メルティの両手は既に食べ物で塞がっている。右手にりんご飴、左手に串焼き。なのに袖を掴もうとするから、串焼きのたれが俺の外套に付いた。

「……お前、少し落ち着け」

「えへへ。だって祭りですよ! メルティ、祭りは300年ぶりです! 300年前は——」

 言いかけて、口を閉じた。300年前の祭りの記憶には、ゼルクがいたのだろう。

 だがメルティはすぐに笑顔に戻った。

「300年前より、今の方が楽しいです! だってししょうがいるもん!」

 りんご飴を一口かじった。目が輝いた。「おいしー!」

 地上に来てから、メルティは食べることに貪欲だ。300年間、何も食べられなかった反動だろう。だがりんご飴をかじる姿は、ただの十五歳の少女にしか見えない。

 セラフィナが屋台の前で立ち止まっていた。たこ焼きの屋台だ。鉄板の上で丸い生地がくるくると回されている。じっと見つめている。

「食べたことないのか」

「祭りというものに参加するのが初めてです。天界には——こういう場はありませんでした。裁定者は常に任務で、楽しむという概念が……」

「食え」

 たこ焼きを買って渡した。セラフィナが一つ摘んで口に入れた。目が丸くなった。

「……熱い。でも——おいしい」

「だろう」

「こういうものを、人間は日常的に食べているのですか」

「祭りの時だけだ。日常はもっと地味だよ」

「それでも……良いですね。温かくて」

 セラフィナが二つ目を口に運んだ。紫の瞳が提灯の灯りを映している。穏やかな顔だった。

    ◇

 射的の屋台で、異変が起きていた。

 シャルロットが——全弾命中していた。

「……え、全部?」

 屋台の主人が口を開けている。棚に並んでいた景品が全て倒れている。一発の外れもない。名門騎士家の訓練は射的にも通用するらしい。

「姉ちゃんすげえ!」

「もう一回やって!」

 子供たちが集まってきた。シャルロットが少し困った顔をしている。注目されるのが苦手なのだ。

 景品の中から、小さなぬいぐるみが転がってきた。白い熊。シャルロットが拾い上げて、しばらく見つめていた。

「……これ」

 俺の方を向いた。ぬいぐるみを差し出している。目を合わせていない。頬が提灯の灯りのせいだけではない赤みを帯びている。

「荷物が増えるから、あんたが持ってて」

「俺に?」

「深い意味はないから! ただ、私が持ってると邪魔だから! それだけだから!」

 受け取った。手のひらに収まるサイズの白い熊。柔らかい。

「……ありがとう」

「っ——! 礼とか言わなくていいから!!」

 シャルロットが足早に去っていった。耳が完全に赤い。

 リリスが後ろで「ほう」と呟いた。メルティが「シャルちゃん可愛い!」と叫んだ。セラフィナはたこ焼きを食べながら、静かに微笑んでいた。

    ◇

 祭りの喧騒を離れ、宿屋の屋上に出た。

 リリスが先にいた。手すりに腰かけて、広場の灯りを見下ろしている。人々の笑い声が風に乗って届いてくる。提灯の光が、星空の下で揺れている。

「座れ」

 リリスの隣に座った。肩が触れる距離。

「レイド。王都に行ったら、何が待っていると思う」

「教会の全力。大司教ヴァルキスの権力。聖騎士団の軍勢。そして——教会に利用されているゼノン」

「勝てるか」

「真実は俺たちの側にある。負ける道理がない」

「……ぬしがそう言うなら、信じるのじゃ」

 リリスが空を見上げた。星が瞬いている。

「800年生きてきたが、ぬしほど信じられる人間はおらなんだ。ルシアと——ぬしだけじゃ」

 その言葉の重さを、受け止めた。800年分の信頼だ。軽々しく返せない。

 手を伸ばして、リリスの頭に触れた。銀髪が指の間をすり抜ける。撫でた。

「いつもありがとう、リリス」

「なっ——撫でるでないっ……子供ではないのじゃぞ……」

 だが逃げなかった。むしろ体が少し傾いて、こちらに寄った。

 しばらく、そうしていた。広場の灯りが遠くで揺れている。星空が広い。この屋上から見るテルミナの夜景は、何度見ても飽きない。

「……明日、この町を発つのか」

「ああ。でも、帰ってくる。必ず」

「当然じゃ。帰る場所があるというのは——いいものじゃの」

 800年間、帰る場所がなかった吸血鬼の言葉だった。

    ◇

 屋上から降りると、宿屋の裏庭にシャルロットがいた。

 一人で剣の素振りをしている。月明かりの中で、淡い青のワンピースの上に外套を羽織り、木剣を振っている。祭りのざわめきが裏庭までは届かない。静かだ。

 素振りが止まった。俺に気づいたのだろう。

「……何」

「眠れないのか」

「明日のことを考えてた」

 シャルロットが木剣を下ろした。月を見上げている。

「王都に行ったら、私の呪いのこと——みんなの前で話すのよね。アイアンメイデンの名前も出す」

「嫌なら無理しなくていい。別の方法を——」

「違う。嫌じゃない。……ただ、少し怖い」

 声が小さくなった。

「叔父上に気づかれたら、何をしてくるかわからない。父上や母上に被害が及ぶかもしれない。……家族のことは、まだ——」

 言葉が詰まった。呪いをかけられて追い出された家族だ。だが家族であることは変わらない。恨みと愛情が、まだ整理できていないのだろう。

「大丈夫だ。何があっても俺が守る」

「……いつも、そう言ってくれるよね」

 シャルロットが俺を見た。月明かりの中で、金色の瞳が静かに光っている。

「治す、守る、大丈夫って。最初に森で会った時からずっと。——あんたは嘘つかないもんね。魂を見ればわかる、なんて言わなくても。行動で全部示してくれた」

「言うだけじゃない。実行する」

「うん。知ってる」

 シャルロットが笑った。怒りでも照れ隠しでもない、穏やかな笑みだった。

「……わかった。信じる。あんたのこと」

 木剣を壁に立てかけた。

「おやすみ、レイド。明日からよろしくね」

「ああ。おやすみ」

 シャルロットが裏口に消えた。

 裏庭に一人残った。月が高い。明日の朝には、この町を発つ。

    ◇

 翌朝。テルミナの南門。

 五人が馬車の前に立っていた。オルガが手配してくれた二頭立ての馬車だ。荷台に証拠の資料と旅の荷物が積まれている。

 門の前に、町の人々が集まっていた。朝早いのに——昨夜の祭りの後なのに——こんなにも多くの人が見送りに来ている。

 フィーナが泣いていた。「必ず……帰ってきてくださいね……」

 ハンスが腕を組んでいた。「レイドさん。王都の連中にテルミナの冒険者を舐めるなって言ってきてくれ」

 子供たちが手を振っていた。「おにいちゃん、がんばれー!」

 オルガが杖をついて門の前に立っていた。

「レイド」

「はい」

「50年前——あたしのパーティの仲間が、王都に行った。教会と戦いに。……帰ってこなかった」

 オルガの目が潤んでいた。だが声は震えていなかった。

「お前さんは——帰っておいで。必ず」

「必ず帰ります」

 オルガが手を伸ばした。俺の頬に触れた。乾いた、温かい手。あの時と同じ、祖母が孫を送り出す仕草。

「……行ってらっしゃい」

 馬車に乗り込んだ。五人が座る。リリスが隣。シャルロットが向かい。セラフィナが窓際。メルティが俺の袖を掴んで隣に収まっている。

 手綱を引いた。馬が歩き出す。馬車がゆっくりとテルミナの門を出ていく。

 振り返った。門の向こうに、手を振る人々が見えた。小さくなっていく。テルミナの屋根が、朝日に照らされて輝いている。

 前を向いた。

 街道が、王都に向かって伸びている。


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