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第41話「去る者と残る者」

 聖騎士団は翌朝に発つことになった。

 公開討論でバルドルが退いた後、テルミナの町はしばらく祝勝の空気に包まれていた。酒場では冒険者たちが乾杯し、子供たちが広場で「レイドさんごっこ」を始め、フィーナが安堵のあまり受付カウンターに突っ伏して眠っていた。

 だが俺は浮かれていなかった。バルドルは「正式な手続きを以て対応する」と言って引いた。退却ではない。態勢を整えるための後退だ。次は王都で、もっと大きな力を持って来る。

 それまでに——王都に行く準備を整えなければならない。

 夜。宿屋の食堂で明日以降の段取りを確認した後、全員が部屋に戻った。俺だけが食堂に残り、地図を広げてテルミナから王都までの街道を確認していた。馬車で五日。徒歩なら一週間以上。

 食堂の扉が開いた。

 振り返ると——ゼノンが立っていた。

 聖騎士団の宿は別の宿屋だ。わざわざこちらに来たということは、用がある。一人だ。聖騎士の護衛もいない。

「……入っていいか」

「鍵はかかってない」

 ゼノンが入ってきた。扉を閉め、テーブルを挟んで俺の向かいに座った。

 沈黙が落ちた。

 食堂のランプの灯りが、二人の顔を橙色に照らしている。七年間毎日顔を合わせた相手だ。だがこうして二人きりで向かい合うのは、初めてかもしれない。パーティにいた頃、ゼノンは俺と二人きりになる場面を避けていた。今思えば——俺の存在が視界に入ると、何かが居心地悪かったのだろう。

「レイド」

「ん」

「お前、こんなところで何やってんだよ」

 声に棘があった。だが棘の奥に、別の感情が透けている。

「辺境の町でA級パーティ? 死霊術師が英雄扱い? ……冗談だろ」

「冗談じゃないよ。見てのとおりだ」

「見てのとおりって——」

 ゼノンが言葉を切った。テーブルの上で拳を握っている。

「お前がいなくなって二ヶ月だぞ。たった二ヶ月で、Aランクのパーティ作って、町中の人間に慕われて——こんな辺境の町を丸ごと味方につけて——」

「それがどうした」

「おかしいだろ!」

 拳がテーブルを叩いた。ランプの灯りが揺れた。

「お前はただの死霊術師だ! 後ろでブツブツ言ってただけの——何もできない、誰にも必要とされない——」

 言葉が途切れた。ゼノンの口が開いたまま止まっている。自分で言った言葉に、自分で気づいたのだ。「誰にも必要とされない」——それは今、レイドではなくゼノン自身のことだ。

 俺は黙って待った。

 ゼノンが手で顔を覆った。

「……教会に大人しく従えよ。そうすれば穏便に済む」

「穏便に? お前、教会に何を言われてここに来た」

 ゼノンが目を逸らした。

 魂視を使った。静かに、気づかれないように。

 ゼノンの魂が見えた。金色が灰色に侵食されている。昨日の広場で見た時と同じ——いや、夜の方がわかりやすい。灰色は「迷い」の色だ。自分の行動が正しいと信じきれない者の色。そこに焦りの赤が混じり、嫉妬の緑が混じり、自己嫌悪の黒が滲んでいる。

 だが——灰色の奥に、金色がまだ残っていた。完全には消えていない。ゼノンの本来の魂の光が、かすかに、だが確かに脈打っている。

「……そうまでして教会の支援が欲しいのか」

「うるさい! お前に俺の何がわかる!」

 椅子を蹴って立ち上がった。ゼノンの目が潤んでいた。怒りではない。もっと深い場所からの——悔しさだ。

「お前は七年間、何もしてなかったはずだ。なのに——なんで俺より先に行ってるんだよ」

 声が震えていた。

 その言葉に——七年間の全てが凝縮されていた。ゼノンの中のレイドは「何もしてなかった男」だ。その男が、追放してわずか二ヶ月でAランクに登り詰めている。ゼノンの世界観では説明がつかない。だから苦しんでいる。

「お前が何もしてなかったと思ってたから、俺を追い出した。だが実際は違った。——本当は、それに気づいてるんだろう。ゼノン」

 ゼノンの体が硬直した。

「……わかってる。わかってるよ。ミレーヌが言ったとおりだ。お前がいなくなってから全部おかしくなった。聖剣の出力も、エリーゼの治癒も、ダリウスの炎も。——お前が何かしてたんだろ。七年間。俺たちの力を……」

 声が消えた。最後まで言い切れなかった。「支えてた」という一語が、喉に引っかかって出てこない。それを認めてしまったら——七年間の自分の態度が、全部間違いだったことになるから。

 沈黙が長かった。ランプの芯が燃える音だけが聞こえた。

「なあ、レイド」

 ゼノンの声が変わった。棘が消えて、ただ疲れた声になった。

「あの四人——お前の後ろに立ってた連中。あいつらは、お前のことをどう思ってるんだ」

「仲間だと思ってくれてる」

「仲間か。……仲間ってのは、どういう気分なんだ」

 その問いが——刺さった。

 七年間、同じパーティにいた男が、「仲間」の意味を知らない。知っていたかもしれないが——忘れた。いや、最初から知らなかったのかもしれない。ゼノンにとってパーティは「勇者の部下」であって「仲間」ではなかった。

「お前にもいただろう。エリーゼも、ダリウスも、ミレーヌも」

「…………」

 ゼノンは答えなかった。答えられなかったのだろう。三人が今どうしているか——散り散りになっていることを、俺は知っている。ゼノンも知っている。

 俺は立ち上がった。

「ゼノン。帰れ。教会の駒になるな」

「…………」

「お前の魂はまだ腐りきってない。灰色が混じってるが、金色が残ってる。——今ならまだ、引き返せる」

 ゼノンが俺を見た。金髪碧眼の勇者が、安酒場の灯りの中で、ただの迷子のように見えた。

「……引き返すって、どこにだよ」

「それは自分で決めろ」

 ゼノンが背を向けた。扉に向かって歩き始めた。

 扉の前で、立ち止まった。振り返らなかった。

「……レイド」

「ん」

「あの時。追放した時。お前、何か言ったか」

 あの時。酒場の扉を背中で押して出て行く瞬間。

「『七年か。長い付き合いだったな』。それだけだ」

「…………そうか」

 ゼノンが出ていった。扉が閉まった。足音が夜の石畳に消えていった。

 一人になった食堂で、俺はランプの灯りを見つめた。

 ゼノンの魂の金色は、まだ消えていなかった。いつか——あの男が自分で答えを見つける日が来るかもしれない。だがそれは、俺が手を差し伸べるべきことではない。差し伸べた手を、七年間無視し続けた相手だ。

 今は——前を向く。

「大丈夫か、レイド」

 リリスが食堂の入口に立っていた。いつから聞いていたのかはわからない。共鳴で全部伝わっているのだから、聞こえていなくても同じだが。

「ああ。大丈夫だ」

「嘘じゃな」

「……半分くらいは本当だ」

「ならよい。残りの半分は、わらわたちが補おう」

 リリスが微笑んだ。

「三日後——いや、もう明日か。聖騎士団が発てば、準備に入れる。王都への旅の支度を始めるぞ」

「ああ。……三日後に出発する」

「わかった。全員に伝えておく。——今夜はもう休め、レイド。明日からは忙しくなるぞ」

 リリスが去った。食堂に一人残った。

 ランプの灯りを消した。窓から月明かりが差し込む。テルミナの夜は静かだ。

 明日、聖騎士団がテルミナを去る。その三日後、俺たちは王都に向かう。教会の本拠へ。大聖堂の地下へ。魂の搾取の証拠を掴みに。

 半年のタイムリミット。冥渦の危機。教会の陰謀。ゼノンとの決着。

 全てが、王都で待っている。


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