第39話「メルティの覚悟」
みんなが寝静まった後も、メルティは眠れなかった。
宿屋の部屋。リリスが隣のベッドで静かに寝息を立てている。窓の外では月が出ている。昨夜、ししょうと四人で見上げた月と同じ月。なのに今夜は、冷たく見える。
膝を抱えた。
明日、戦いがある。教会の聖騎士団が来ている。五十人。門の外で待っている。白銀の鎧が並んでいるのを、夕方に窓から見た。
怖い。
怖い理由はわかっている。聖騎士団が怖いのではない。戦闘が怖いのでもない。メルティは300年前、大陸最強の魔術師だった。五十人の兵士くらい、全盛期なら片手で処理できた。
怖いのは——人を信じた結果を、知っているから。
ゼルクの顔がちらついた。
——「先生、大好きです」
あの声。あの笑顔。十年間、疑わなかった。疑う理由がなかった。だって笑顔だったから。優しかったから。一緒に星を数えて、一緒に花畑を歩いて、花冠を編んでくれた手が——短剣を握った手と同じ手だった。
背中の冷たさがよみがえる。刺された瞬間の。
——「先生の魔力、全部いただきます」
あの目。十年間の温かさが消えた、空洞のような目。
膝を抱える腕に力がこもった。半透明の体が震えている。
ししょうは優しい。レイド・ノクターンは、嘘のない人だ。冥府で魂に触れた時、確かめた。嘘はなかった。
でも——ゼルクだって、最初は優しかった。
十年間優しくて、最後の一瞬で全てが嘘になった。ししょうも、いつか——。
考えるな。考えちゃだめだ。ししょうは違う。違うはず。
——でも、もし。
涙が出た。暗い部屋で、声を殺して泣いた。
◇
ドアがノックされた。
「メルティ、入っていいか」
ししょうの声だ。
涙を袖で拭った。拭いきれていないのはわかっていたが、暗い部屋ならわからないかもしれない。
「……はい」
ドアが開いた。レイドが入ってきた。廊下の灯りが一瞬だけ部屋を照らし、すぐに扉が閉まった。暗闘の中、ししょうの魂が蒼白く光っている。魂視を使わなくても見える。それほど近くにいる。
ししょうがベッドの端に座った。リリスは起きない。800年の真祖は、起きるべき時を知っていて、そうでない時は深く眠る。
「怖いか?」
見抜かれていた。共鳴ではない。ししょうはメルティとの間に共鳴を持っていない。でも——わかるのだ。この人は。泣いた跡がなくても。声が震えていなくても。
「……ししょう。メルティ、怖いです」
口に出すと、もう止まらなかった。
「また裏切られるんじゃないかって。ししょうは優しい。みんな優しい。でもゼルクだって優しかった。十年間ずっと。なのに——」
「俺の魂に触れてみろ」
ししょうが手を差し出した。
「冥府で初めて会った時と同じように。嘘をついてるかどうか、確かめてくれ」
同じ言葉だった。裂け目の底の、渦の中で言われた言葉と同じだ。あの時——メルティは恐る恐る触れて、嘘がないと知った。
今、もう一度。
手を伸ばした。ししょうの手に触れた。魂の表面に指が届く。
流れ込んできた。
あの時と同じ——いや、少し違った。冥府の時より、レイドの魂は疲れていた。魂の強化を四人にかけ続けている消耗。七年間の摩耗の上に、さらに負担が重なっている。それでも——魂の芯は、何も変わっていなかった。澄んで、温かくて、嘘がない。
テルミナの人々を守ろうとする意志。仲間を失いたくない恐怖。教会の理不尽への静かな怒り。そして——メルティのことを心配している感情。今、この瞬間、ししょうは本気でメルティを心配してここに来ている。
「……変わってない」
声が震えた。
「ししょうの魂、全然変わってない。冥府の時と——全然」
「変わらないよ。これからも」
嘘じゃない。魂に触れているから、わかる。この人は嘘をつけない。魂がそう出来ている。
涙が溢れた。今度は恐怖の涙じゃなかった。
「ししょう。メルティ、決めました」
「ん?」
「もう怖がらない」
顔を上げた。涙で視界がぼやけているが、ししょうの顔は見えた。
「ゼルクに裏切られたから、人を信じられなかった。300年間ずっと。でも——ししょうは違う。リリスさんも、シャルちゃんも、セラフィナさんも違う。みんな、メルティの仲間だもん」
立ち上がった。小さな体が、暗い部屋の中で薄く光った。魂が呼応して輝いている。
「メルティは全力で戦います。ししょうを、みんなを——守ります。300年前は守れなかった。自分のことしか考えてなかったから。でも今は——守りたい人がいる」
ししょうの手が頭に乗った。大きくて、温かい手。撫でられた。
「頼りにしてる」
その一言で、胸の奥の冷たい塊が——溶けた。
「えへへ……ししょうに頼りにされるの、嬉しい……」
泣き笑い。かっこ悪い顔だと思う。でも嘘のない顔だ。
◇
決意に呼応するように、体が変わった。
魂が輝きを増している。ししょうの魂の強化が流れ込んでくると、いつもより遥かに強い共鳴が起きた。体の輪郭がはっきりしていく。半透明だった腕に色が戻る。足が地面をしっかり踏んでいる。
「……メルティの力、少し戻ってきた」
手を開いて閉じた。指先に魔力が集まっている。全属性の魔力。久しく忘れていた感覚。
「300年前くらいの……ううん、それ以上かも。ししょうの魂の強化と、メルティの魔力が混ざって——」
試しに小さな炎を灯した。掌の上に、青い炎。通常の赤い炎ではなく、魂の力が混じった蒼炎。温度が違う。密度が違う。
「お前の本当の力はまだこんなもんじゃないだろ。ゆっくり取り戻していけばいい」
「はい! ……ししょうがいれば、なんでもできる気がします!」
ししょうが苦笑した。「買いかぶるな」
「買いかぶってないです。事実です!」
袖を掴んだ。いつもの癖だ。でも今夜は——掴む力が違った。縋りつく弱さではなく、離さないという強さ。
◇
メルティが自分の部屋に戻った後。
レイドは窓辺に立っていた。月を見ている。明日のことを考えている。
ゼノンと再会する。聖騎士長バルドルと対峙する。教会と公の場で向き合う。
勝算はある。魂視で嘘を暴ける。町の人々の支持がある。法的にもオルガが備えている。だが——五十人の聖騎士団は軍事力だ。討論で負けても、力ずくで来る可能性は消えない。
「眠れぬのか、レイド」
リリスが来た。廊下に立っている。銀髪が月明かりに光っている。
「……ああ。明日のことを考えてた」
「案ずるな」
リリスが窓辺に並んだ。肩が触れる距離。
「ぬしの隣にはわらわがおる。そしてシャルロットも、セラフィナも、メルティも。ぬしはもう一人ではない」
「わかってる。だからこそ、みんなを守りたいんだ」
リリスが俺を見た。紅い瞳に、月光が映っている。
「守られるだけのわらわではないぞ?」
穏やかな声だった。だが、その奥に800年分の強さがあった。
「——ぬしも、守られていいのじゃ」
七年間。誰にも守られなかった。守る側にだけ立ち続けた。それが当たり前だった。守られることを、想像したこともなかった。
だがリリスの言葉は——拒めなかった。
「……ありがとう。リリス」
「礼はいらぬ。——明日は、わらわに任せよ。ぬしの背中は、わらわが守る」
月が傾き始めていた。夜が明ければ、嵐が来る。
だが——一人ではない。
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