第33話「セラフィナの翼」
セラフィナの魂に触れた。
A級認定の翌日。宿屋の部屋を治療室にして、天界の封印解除に挑んでいた。
シャルロットの呪いとは構造が全く違う。呪いは「外から締め付ける鎖」だが、天界の封印は「光で内側から力を閉じ込める檻」だ。ルシアから継承した魂の解放の基礎がなければ、手の出しようがなかっただろう。
七重封印の最外層。セラフィナの翼から力を奪っている「飛行の封印」。
魂視で見ると、セラフィナの翼の根元に金色の光の環が巻きついていた。美しい光だ。天界の技術は精巧で、封印そのものが芸術品のように整っている。だがやっていることは残酷だ。翼を持つ者から飛ぶ力を奪う。鳥の翼を折るのと何が違うのか。
「光の鎖を闇の力で壊すんじゃない。鎖そのものを解き放つ」
呟きながら、金色の環に指先を沿わせた。呪いの解除は「引き剥がす」。だが天界の封印は、力ずくでは対応できない。封印自体が秩序ある構造を持っている。その構造を読み解き、正しい手順で「開錠する」必要がある。
ルシアの知識が指先を導いた。環の結び目を見つけた。ここだ。
結び目に魂魄支配を流し込んだ。天界の光が反発する。闇の力に対する拒絶反応だ。だが押し通すのではなく、光と闇を調和させる。ルシアがリリスの魂を守った時と同じ原理——異なる属性の魂を繋ぐ技術。
反発が弱まった。光の鎖が——震えている。解かれることを拒んでいるのではない。解かれ方を「待っている」。正しい手順で触れれば、鎖自身が開く仕組みだ。天界の技術者は、封印を永遠に維持するつもりはなかったのかもしれない。いつか、解ける日が来ることを想定して作られた鎖。
セラフィナの体が震えた。痛みではない。力が戻ってくる感覚だ。長い間眠っていた筋肉に血が通い始めるような——痺れに似た、だが心地よい感覚。
結び目がほどけた。
金色の環が解けて——光の粒子になって散った。セラフィナの体から、無数の光の粒が放出される。部屋全体が金色に輝いた。
セラフィナの黒い翼に、白い光が走った。根元から先端に向かって、白い筋が黒い羽根を貫いていく。黒と白が混在する翼。闇堕ちの黒と、本来の天使の白が、一枚の翼の中に共存している。
セラフィナが目を見開いた。
「翼が……軽い……」
折れていた方の翼が——動いた。完全にではないが、以前の数倍は自由に動く。封印が一段解けたことで、折れた翼の修復も進んだのだ。
「飛べるか?」
「……試してみます」
◇
宿屋の裏口から外に出た。テルミナの空は青い。雲が少なく、風が穏やかだ。飛ぶには絶好の天気だった。
セラフィナが翼を広げた。黒と白の翼。広げると、翼長は三メートルを超えた。日光が羽根を透かして、黒い部分は深い藍色に、白い部分は虹色に輝いた。
「きれい……」
シャルロットが呟いた。自分で言ったことに気づいて口を閉じたが、訂正はしなかった。
セラフィナが膝を曲げ、地面を蹴った。
翼が空気を打つ。一度。二度。三度目で——体が浮いた。
最初はおぼつかなかった。左右に揺れ、高度が安定しない。だが五秒、十秒と経つうちに、体が思い出していった。翼の角度。風の読み方。上昇気流の捕まえ方。天界で何千回と飛んだ記憶が、骨に刻まれた技術が、蘇っていく。
セラフィナが加速した。
テルミナの屋根を越えた。塔を越えた。町の全景が足元に広がった。石造りの建物が積み木のように小さくなっていく。広場を歩く人々が豆粒になる。さらに上昇して、雲に手が届く高さまで。
風の感触が変わった。地上の風は地面の熱を含んでいて重い。だが高度が上がるにつれて、風が軽くなる。冷たく、澄んで、何の匂いもしない空気。天界の空気に、少しだけ似ていた。
「天使だー!」
メルティが地上で跳ねている。
リリスが目を細めて空を見上げた。
「あの子も、ようやく翼を取り戻したのじゃな」
空の上で——セラフィナは泣いていた。
風が涙を散らしていく。雲に手を伸ばした。届いた。冷たい水滴が指先に触れた。太陽が近い。光が暖かい。翼が風を掴んでいる。羽根の一枚一枚が空気を捉え、体を持ち上げている。この感覚。この自由。飛んでいる。自分の翼で。
天界を追放されてから、ずっと地面を這うしかなかった。折れた翼を引きずり、空を見上げるしかなかった。あの青空は、もう自分のものではないのだと——そう思っていた。
でも今、飛んでいる。この翼をくれた人がいる。
旋回した。地上を見下ろした。テルミナの町が小さく見える。その中に——四つの人影。手を振っている。メルティが両手を振り、リリスが優雅に手を上げ、シャルロットが腕を組みながらも顔を上げている。そして——レイドが、静かに空を見上げている。
急降下した。風が鳴った。地面が近づく。減速——着地。
足が石畳を踏んだ。翼を畳む。目の前にレイドがいた。
体が勝手に動いた。
駆け寄って——抱きついた。
両腕がレイドの体に回された。顔が胸に埋まった。自分が何をしているのか、理解するのに数秒かかった。理解した瞬間、顔が耳まで赤くなった。
「す、すみません。つい——体が勝手に——」
離れようとした。だがレイドが動かなかった。押し返されもしなかった。
「いいよ。飛べるようになって嬉しいんだろ」
「はい……はい。嬉しいです。あなたのおかげで——」
涙をぬぐった。笑った。これまでで一番の笑顔だった。裁定者の冷静さも、堕天使の影も消えて、ただ空を飛べた喜びが溢れている顔。
「ほう? セラフィナ、なかなか大胆じゃの」
リリスが優雅に微笑んだ。
「は、はあ!? 何自然に抱きついてるの!?」
シャルロットが爆発した。
「わーい! メルティもししょうに抱きつきたーい!」
メルティが反対側から飛びついてきた。両腕が塞がった。
「おい、一度に来るな——」
「わらわも」
リリスが背後に回った。腕を俺の首に回す。
「ち、違うから! 私は別に抱きつきたいとか——近いっ! 近い近い近い!」
シャルロットが「違う」と言いながら、四人の中で一番近くに来ていた。
通りを歩いていたテルミナの住民が、足を止めてこちらを見ていた。八百屋のおばさんが笑っている。パン屋の主人がにやにやしている。
「あの死霊術師さん、モテモテだなあ」
「若いっていいねえ」
恥ずかしい。だが振り払えない。振り払いたくもない。
◇
夜。宿の屋上。
風が心地よかった。昼間の熱気が引いて、夜の冷たさが頬を撫でている。星空が広がっている。
セラフィナが隣に立っていた。翼を少しだけ広げて、夜風を受けている。黒と白の翼が星明かりを反射して、淡く光っていた。
「レイド」
「ん」
「一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
セラフィナが星空を見上げたまま、静かに言った。
「いつか、封印が全て解けたら——私は天界に戻るべきなのでしょうか」
天界。セラフィナが生まれた場所。追放された場所。規律に背いて人を助けた罰として、翼を黒く染められた場所。
「お前はどうしたい?」
「……ここにいたいです」
声が小さかった。だが迷いはなかった。
「あなたの隣に」
夜風が吹いた。セラフィナの銀灰色の髪が揺れた。紫の瞳が星空を映している。
「なら、いればいい」
セラフィナが俺を見た。
「……ありがとうございます」
微笑んだ。昼間の泣き笑いとは違う、静かな微笑みだった。星空の下で、翼を持つ女性が、地上に留まることを選んだ顔だった。
屋上の下から声が聞こえた。
「ししょー、セラフィナさんばっかりずるいー」
「メルティ、盗み聞きするでないぞ」
「リリスさんも聞いてるじゃないですか!」
「わらわは聞いておらぬ。……共鳴で全部伝わっておるだけじゃ」
「それ聞いてるのと同じでしょ!」
シャルロットの声も混じった。「……うるさい、全員静かにして。私は寝るから」
寝室の窓が閉まる音がした。だが閉まったのは一瞬で、すぐにまた薄く開いた。聞きたいけど聞いていないふりをしたいのだろう。
セラフィナが小さく笑った。
にぎやかだ。ここは。
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