後11
サックスの異常な動きを思い出せ。
あの動きは、どんなものだったかを。
確かに、人間離れした機動力だったけれど……屋根から屋根に飛び移るような、身体能力の高さを感じさせるものじゃない。
屋根によじ登り、飛び降りる。
まるで、普通の人間の動きを早回しにしたかのような……。
「ハーム。サックスの異常な動きは、いつまでもできるものなんだろうか」
「……どういうこと」
「サックスが普通の人間なら、何かしらのカラクリがあって、あんなことになっているはずなんだ」
その異常性に。命の危機もあって、動揺しすぎていたんだ。
サックスは人間で、ただのウォッチメイカー。何かしらの科学技術によって、あれだけの動きを得ている。それだけの話だ。
それが、サイボーグ技術ではない、というだけのこと。
「科学技術で実現した動きなら、何かしらの動力というか……エネルギーなりなんなりを、消耗していると思うんだ」
「それは……そうかも」
「もっと、消耗させよう。サックスを走らせるんだ」
得た情報で、いくつもの仮説が組み立てられていく。
そうだ。今までもこうしてきただろう。考えろ。考え続けるんだ。思考で、相手を上回るんだ。
体は小さくて。見た目で舐められて。喧嘩が弱かった僕にできることは、考えることなんだから。戦闘も、移動も、全てハームに頼りっぱなしの僕にできる、唯一のことなんだから。
「もし……もしだよ。サックスの使っている技術が、サックスの体の動きを補助するようなものだったら。きっと、もっと派手な動きをしているはずなんだ」
「間違いないわね」
「でも、サックスの動きは、速さ以外は人並みだ。そりゃ、屋根に上ったりとかは、僕にはできないけれど、運動が得意なら出来たっておかしくない動き……だと思う」
「まあ、メルンじゃなければ、出来ると思う」
声に出して、考えを整理していく。
このジグソーパズルのピースがつながっていく感覚。
完成図は近い。見えてきた。
「きっと、サックスが使っているのは、時間エネルギーだ」
自分の周囲の空間に時間エネルギーを与えているんだ。だから、意識も、体の動きも。僕らから見れば、相対的に加速している。
倍以上の速さで走ることだって可能だし、射撃にしたって、じっくりと狙う時間がある。ハームの砲口に紫電が走るのを見てからかわすことだってできる。僕のハンドガンの銃口が光るのを見てから逃げることだってできる。
つじつまがあう。
「そんなこと、出来るの?」
「やったことないからわからないけど……」
金時計の機能を思い出す。
「都市に時間エネルギーを補充するための装置は、都市全体に時間エネルギーを均等に分配するためのものなんだ。あと、加速度なりなんなり、細かい調整をかけるためのもの。結晶を使って、空間に時間エネルギーを与えるのは、金時計の機能だ」
つまり。
「金時計と、時間エネルギーの結晶さえあれば、自分の周囲の空間を加速させることは、可能だと思う」
「なら、それで当たりね」
ハームがきっぱりと言い切る。
「ええ?」
「メルンがそう言うなら、それを信じる。わたしは、具体的に何をすればいい?」
「サックスが、周囲の空間を加速させているなら、その空間から動かなければいけないようにする。加速させる空間を増やして、時間エネルギーを使わせていく」
リソースを削れ。しびれを切らすまで。
「問題は、追い出すのか誘いだすのか」
こんな話をしている間にも、サックスとユキヒョウから攻撃は絶え間なく加えられている。それでも、さっきまでの絶望感はすっかりなくなっている。
回避と防御に徹する。思考の為の時間を稼げた今となっては、十分に勝ち目はあるんだから!
「せっかくだし追い出そうか。ユキヒョウとの距離をこのまま詰めてくれ」
ユキヒョウは、サックスを中心に円を描くように逃げる。そうすることで、二人がかりで撃てる位置を確保している。
ならば。そのユキヒョウが距離をとったとき、僕らの位置関係はどうなるか。
ユキヒョウとの距離と、サックスとの距離は同じくらいになる。
――今だ。
「突っ込め!」
ハームが、弾丸のように直線的にサックスに突っ込んでいく。
焦ったのか、連射されるハンドガンを、左腕を盾にして受け止める。衝撃が、神経を震わせ、骨を叩く。痛い。痛いけれど。距離を詰める対価が痛みなら、いくらでも支払ってやる!
風を切り裂き。
時間を加速させたとて、逃げ切れない速さで、サックスの背中を追う。
横合いから挟まれる熱線の妨害を、ひらりと飛び越え。一本の矢となって、サックスに突っ込んでいく。
「ちっ!」
「サックス! あんたのそのやり方には、大きな弱点があるんだよ!」
もう、見抜いた。
逃げ切ることは不可能だ。
急激に流れる景色が加速する。逃げるサックスの背中が、一気に迫ってくる。
「あんたがいた場所は、逃げる経路には。あんたがいる場所と、同じ速さで時間が流れているんだ!」
「くっそ。ほんとてめぇ、無駄に賢いな」
痛む左手で体を支えて、右手のハンドガンでサックスを狙う。
「だが、その賢さが命取りだ」
サックスが、走りながら右手を掲げた。
ぱっと手を放し、握り込んでいた「それ」を、宙に置いていく。即座に、両耳を塞いだ。
まずい!
「閃光手榴弾!」
両手で、ハームの耳を押さえた。ハームの毛皮に顔をうずめるようにして、目を庇う。
ギィィィン、と脳みそを直接抉るような音が聞こえたのは、一瞬のことだった。
一瞬、意識が遠ざかった。消えたがる視界を、手繰り寄せる。
僕は、今、どこにいるんだ。
全身が痛い。
見上げている空が、ぐるぐると馬鹿みたいに回転していた。体は水に沈められ、渦にさらわれてしまったかのように、わけのわからない不安定さに襲われている。
ハームは。サックスは、どこだ。
回り続ける視界の中心で、駆け寄ってくる黒い姿だえが、はっきりと見えた。コートを咥えられ、持ち上げられたのだろう。
視界が、ぐっちゃぐちゃになっている。
ああ。
これは。
三半規管をやられたのか。
平衡感覚が、なくなった。
音も、聞こえない。
耳の周りに、どろりと流れる血の温もりがあった。




