後8
このタイミングでライオンか……。
なんで、こうなるかな。これで終わり、なのか。
「なあ、ハーム。ライオンは、ライオンだけ?」
「どういう……ああ。ウォッチメイカーも来てるけど、まだ距離があるわ」
「なら、まだ。まだだ」
二対二なら、僕が足を引っ張る。でも、二対一ならまだ。
「なんとかなる、とでも?」
とうとう、姿を現しやがった。
百獣の王、ライオン。
たてがみは雄々しく広がり。クロヒョウのハームを遥かに上回る体格。大きな口から覗くのは、殺意を研いで研いで研ぎ澄ましたような牙の並び。
「……子どもかよ」
「どういう意味だ」
「子どもが考えた、『いかにも強そう』の塊ってことだよ。馬鹿らしい。こんなの、勝てっこないだろ」
至近距離で目にすれば。なんとかなるかも、という考えが甘かったのだと思い知らされる。
大きさは、力だ。巨大であるというだけで、危機となる。
「無謀さを悔いて死ね」
ライオンの口が開く。今日一日で、何度も何度も目にした、熱線を吐きだす砲口が目の前にある。
きっと。これを喰らったら、苦しむ間もなく死ぬんだろう。
「あんまり難しい決め台詞を言わないでくれよ」
ライオンの目が細められる。
「失敗したら、どんな言葉をかけてやればいいか、わからないだろう?」
耳がぴくりと動き。素早く飛び退る。跳ね飛ばされた砂粒に、目を細めた。
ライオンがいたところを、リニアカノンの砲弾が通過する。砲弾が押しのけた空気の塊を浴び、より一層壁に押し付けられる。
「メルンを殺すことだけは、わたしが許さない」
「憎むべきは、自分たちの非力さだろう」
「違うね。ハームは、非力じゃない」
ライオンの野太い声に割り込む。
「非力なのは、僕一人だよ。ハーム、僕を置いて、はぐれているウォッチメイカーを殺せ。一対一で交換だ」
「メルン!?」
「なんだと?」
二人のサイボーグ動物が驚愕に目を見開く。
ああ。そうだろう。ウォッチメイカーを守ることが、彼女たちの最大の存在意義なのだから。
「ハームの脚なら、こいつを振り切ってウォッチメイカーを殺せるだろう。ざまあみやがれ、戦力を分散したお前らのミスだ」
きっと、馬のウォッチメイカーが生きている間に、挟み撃ちを狙っていたんだろう。だから、人間よりもずっと機動力が高いライオンを先行させた。けれど、その到着よりも早く、僕らが倒してしまった。
「僕らの方が、一手早かった。お前たちは出遅れた。これで、イーブンだ。ハーム、行け」
「嫌!」
なんて言いながら。
行ってくれるのは、知っているんだ。
ハームは、僕が覚悟を決めたようなら、絶対に裏切らない。最後には、言うことを聞いてくれるって知っている。
ざっと路地に消えるしなやかな体を見送って。
「さて。ライオン君はどうするんだい?」
ライオンは憎しみのこもった目で僕を睨み返す。
「自力で立つこともできない敗者の分際で」
「追わないのかい? ご主人様がピンチだよ」
「それこそ、思うツボだろう」
「そうだね。でも、この状況だって、僕の思うツボなんだ」
「なんだって……」
僕は微笑んだ。
壁に触れる背中が冷たい。
血を流したからだろうか。なぜか、心臓もゆったりと脈を打っている。
すぐ眼前に迫っている死神の幻影が、なんだか弱そうに見えて仕方ないんだ。そんな鎌じゃ、僕には届かない。
「お前たち過激派が三級ウォッチメイカーから列車を奪うとき。どうやって奪おうとしたか知ってる?」
「持って、いるのか?」
過激派は、列車も、中に積んでいる『留学生』も、両方奪おうとした。
ただ、ウォッチメイカーやサイボーグ動物を動かすには目立ったから。生き延びられたとき、作戦全てが明るみに出て、破綻する可能性があったから。銃器を持った一般人で、なんとかするしかなかった。
だから、サイボーグ動物を一時的に足止めし、ウォッチメイカーを人質にして、まとめてこのハーメルンに連れ帰ってから処分するしか方法がなかった。
そのために持っていたのが、閃光手榴弾だ。
感覚器に強すぎる刺激を与えれば、サイボーグ動物だって、感覚が麻痺する。
強い音に、激しい閃光。そんなものを至近距離で喰らえば、相手を見逃す。
「ライオン君が動けば、すぐさま炸裂する。動かない方が身のためだよ。このために、僕はハームを遠ざけたんだから」
ライオンの瞳が揺れる。
彼の瞳の奥にある感情は、何なのだろう。怒りか、戸惑いか。それとも、恐怖か。
似合わないよ、百獣の王よ。覚悟が、足りてないんだ。捨てられないものが残っているんだ。まだ、喪うことに慣れていなんだ。人の命を奪ってばかりで、奪われることに慣れていないんだ。
勝者だから、弱いんだ。
這いつくばり、壁にもたれ、乾いた血でコートが軋んでいる。こんな、敗者一人も殺すことが出来ない。
「一体いつから、この状況を狙っていた?」
「僕らは、いつだって考えている。覚える必要はないけど、教えてあげるよ」
自分より高い位置にいる強者を見下しながら、言う。
「誰かが一秒間過ごしている間に、誰かは一秒間思考している。誰かが一秒間思考している間に、誰かは一秒間走っていて。誰かが一秒間走っている間に、誰かがその一秒間で命を落としているんだ。不平等な時間は、平等なんだ」
「お前は。お前は……危険だ。ここで、殺さなければ」
「遅かったね。決断が。お前が僕の話を聞いているこの時間に、全ては決したんだよ!」
死神の鎌は、振り下ろされた。
ライオンの胴体が揺らぎ、甲高い金属の悲鳴と、破片と、臓物を散らす。真横からライオンをぶち抜いた砲弾は、石畳に突き刺さり、土煙を巻き上げた。
「僕らの勝ちだ.ちなみに、閃光手榴弾なんか持ってるわけないだろ。時計管理局に提出してるよ、とっくに」
あんなの。咄嗟に思いついたハッタリだ。
地に倒れたライオンに言い放つ。
「まだ……だ」
ライオンの口に、熱が集まる。
まさか、砲撃を受けてまだ動けるのか。
血液が焦げる、不快な臭いが充満する。こんなところで、どんでん返しってありかよ。大人しく、死んでくれ――。
パンッと、破裂音がした。ライオンの眼球から、血飛沫が跳ねる。
「無事か、メルン君」
土煙を体で押しのけるようにして。その切れ間から、見慣れた人影が姿を現す。
既に動かなくなったライオンに、両手でハンドガンを構え、油断なく狙いをつけながら。
「遅くなって済まない。助けに来た」
助けに現れたのは。
「サックス、さん」




