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後7

「逃げよう」

「うん……? うん? え、逃げるの?」


 きっぱりと逃走を口にすると、ハームが頷いてから、困惑の表情を僕に向けてきた。

 まあ、ウォッチメイカーたちを個別撃破していこうっていうときに、逃げるって言うんだから、戸惑うのもわかる。でも。


「逃げる。もう一人のウォッチメイカーから潰す」


 このまま距離を詰めても勝ち目がないんだ。そこに、もう一人の動いているウォッチメイカーがやってきたら、完全に仕留められる。傷を負っていないうちに逃げるべきだ。


「りょーかい。あっちね」


 ハームの首が、駅の方向を向いた。もう一人のウォッチメイカーは、僕らの退路を潰すために動いていたみたいだ。

 敵だって、情報を共有しているはず。その上で、一斉にかかってこないのは、きっと二つの理由によるものだ。

 まず第一に、街の中央で待ち構えているウォッチメイカー。その人物、もしくはその人物の近くにあるものを、守らなければいけない。

 もう一つが、個別の戦力。特に、ライオンを連れた彼に、大きな信頼を置いているのだろう。


 ならば。最大戦力を無視し、相手の手数を削った上で、敵が守りたい「それ」を壊しにいけばいい!


 背後から追ってくる、砲撃による破壊音。それを無視して、一気に駅に向かって駆ける。

 砲撃をしていれば、体は固定されるから、追うことができない。砲撃をやめたところで、機動力の差で引き離せる。


 ライオンと、一級ウォッチメイカーに思いっきり背を向け、脱兎のごとく逃げだした。背後から怒りの声が飛んでくるけれど、無視だ無視。

 ついでに飛んできた砲撃には、少しだけひやりとした。


 駅が見えてきたところで、ハームがひらりと身をかわした。なんの警告もない、唐突な動き。思いっきり体を振り回される。

 翻ったコートの裾を掠め、熱線が通過した。


「うわっ」

「駅にいるの、一級ウォッチメイカーよ!」

「なんてこった」


 どれだけこの都市に一級ウォッチメイカーが集まっているっていうんだ。どう考えても過剰な戦力だろうが!

 それぞれが、個人で地方都市の旧式装備の警察組織を相手どれるような戦力なんだぞ!


 今更ながらに、ベルトマンがいないのが惜しまれる。

 一人でいい。一人でいいから、こっちにも一級ウォッチメイカーの味方がいれば。

 脳裏に、サックスの姿が過る。こんなとき、いつものようにふらりと現れて、助けてくれたら……。

 頭を振って、幻想を追い出した。

 やめろ。諦めろ。現実は、そう都合良くない。そんなに、やさしくない。

 僕とハームだけでなんとかするんだ。


「一度距離をとるかな」

「ダメ、向こうから来た!」

「は!?」


 カカッカカッと、硬いものがリズミカルに地面を叩く音がした。

 まさか。


「馬だって!?」


 サイボーグの馬に騎乗したウォッチメイカーが、こちらに向かって駆けてくる。

 騎乗を前提にしているのだろう。鞍も手綱もついていて、安定した体勢だ。

 筋骨隆々のサラブレッドに、濃い顔立ちのおっさんが乗っている。カウボーイ気取りとか、ふざけんな。


「少年、歓迎してやろう」

「騎馬戦とか、冗談じゃない」

「立体的に動いてかわすわよ」


 ハームがひらりと飛び上がり、屋根の上に乗り、距離を取るべく走り出す。

 後ろで、がらがらと建物が崩壊する音がした。振り返り、驚愕する。


「あいつ、屋根の上走ってるよ!?」


 重量感の塊のような馬が踏むたび、屋根が崩れていく。それよりも一歩速く、前に進んでくる。

 背後に崩壊の砂煙を背負い、轟音と共に追いかけてくる金属の馬体。異様な迫力に、ぶるりと震えた。


「なんだあれ、なんだあれ。怖すぎる」

「これが、一級ウォッチメイカーさ」


 走っている最中の馬が口を開く。中に見えるのは、赤熱した砲身。


「走りながら撃てるのかよ!」


 馬ほどの体格があれば、ってか。冗談もほどほどにしてくれ。

 ハームが路地に降りる。ふわりと、音を殺した着地。

 ずがん、と暴力的な着地音がした。振り返れば、ぴったりと馬がついてきている。重量のある馬の着地により、石畳の破片が舞い上がっている。

 土煙を上げながら走る馬の口は、もう閉じられていた。


「撃てるわけないだろう。馬鹿か、少年」


 一級ウォッチメイカーが歯を剥き出しにして笑う。

 腹の立つ野郎だ。

 威嚇に一発撃つ。馬の額で火花が弾けた。全く気にせず、前を睨んで追いかけてくる。効いている様子は一切ない。

 二発、三発と撃ってみるが、ウォッチメイカーの姿は馬の首にすっかり隠れて当たらず。馬は銃弾をものともせずに追ってくる。


「メルン、警戒して」

「え?」

「センサーに熱源反応。掴まって」


 ハームの胴体強く脚で挟み。手でも、しっかりと毛を握りしめた。

 視界が、また屋根の上に。眼下の路地を、灼熱が埋め尽くした。


「うっわ。まさか」

「それが、撃てるんだなぁ!」


 口から蒸気を垂れ流し、馬が追ってくる。

 こんなの、ホラーだ。何でもアリかよ。


「ベルトマンには死んでもらって正解だった! おかげで、戦いではなく、キツネ狩りを楽しめる!」

「何だって……?」


 ベルトマンを殺したのが正解だった?

 そうだろうさ。あの人は賢く、強かった。正しい道が見えていた人だった。

 弱ってさえいなければ、お前たちでは敵わなかっただろう。


「病人を暗殺したってだけで、よくも誇れるな」

「病人?」


 敵の声に、疑問が混じった。

 今だ。


「ハーム、路地に降りて、適当なところに僕を放りこんでくれ」

「わかった。気をつけてね」


 ハームの体が下に落ち。すぐさま、右折。方向を転換し、相手から死角になっている僅かな隙に、僕を建物の陰に放りこんだ。まともに壁に左肩を打つ。

 激痛と、ちかちかと目の前を飛び回る白い光。何より、骨が折れた音。意識を上塗りするように飛び交うそれらを無視し、道に出た。


「遅い! 遅いぞお、少年……って、どこに行った?」


 眼前にあるのは、遠ざかっていく敵の後ろ姿。

 右手でハンドガンを持ち、狙いを定める。


 ――発砲。


 防弾防刃コートに守られた背中が、ぐらりと前傾する。そして、その奥に翻る黒の影。

 馬の頭上を飛び越え、地に足をつけ。

 紫電が煌いた。血飛沫と馬の首が舞う。


「勝った……ははは、勝った。一級ウォッチメイカーを倒してやった」

「メルン! 酷い怪我……」


 帰ってきたハームが息を飲んだ。

 コートの左肩が真っ赤に染まっている。折れた骨が、皮膚まで突き破ったのか。

 壁にもたれかかる。


「うっわ……鎮痛剤を打って欲しい」


 脂汗がどっと吹きだしてきた。

 痛みを止め、コートの奥から手で骨を押し込む。


「ああああああ!」


 体内で何かが動く感覚が。止めた痛みの奥で、神経を走り回る言葉にしがたい感覚に、思わず声が出てしまう。

 折れた骨を、とりあえず正しそうな位置に戻し。


「ナノマシンを……」


 コートの肩をはだけさせ、ハームに牙を立ててもらう。

 肉が、骨が。再生しようと、不気味に軋む。

 あんな化け物みたいなサイボーグ動物に乗ったウォッチメイカー。普通の手段じゃ倒せなかった。あのまま追い回され、最後にはライオンと一緒に狩られるのがオチだっただろう。

 直線ではヒョウを超える機動力。それに、撃たれても怯まないタフネスに、馬鹿みたいな体重を活かした砲撃。

 代償を、自ら払わなければならない相手だった。

 奇をてらい、自傷し、無謀になって挑まなければならなかった。


「少し、休もう」


 袖で汗を拭う。

 でも。消耗が、大きすぎる。

 必要とはいえ、差し出すものが大きすぎたんだ。

 ちょっと、今すぐには動けそうにないや。


「それは難しいかも」


 ハームの声が震えた。それは、明確な危機を捉えた響きで。

 まさか。


「ライオンが、来てる」


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