後5
ビッグベンを出て、ニューロンドン駅に向かって歩く。
いつか見た全てが懐かしく感じられるのは。きっと、最近は景色を見る余裕がなかったからだ。そして、最近の日々が濃いものだったからだ。
駆け抜けたフロートカーが巻き上げた風に、赤いリボンが宙を舞った。
ああ。きっと、そうなのかもしれない。
胸を抉るように過ぎ去った記憶。
その痛みさえ、情報だ。思考を補強していく。
痛みに溺れるな。悼みにふけるな。そんな日々を送ってきたから、こんなにも痛いんだろう。
ニューロンドン駅に着く。
どの駅にも置いてある、ウォッチメイカーが使い、任務の終了等を報告するのに使う端末に、ハームの端子を接続した。
「ハーム、システムメッセージの送信を頼む」
「行くよ」
駅から送信するシステムメッセージ。これに、煩雑で無駄な情報を処理させてから、このニューロンドン市に返信を送らせる、というプログラムを添付する。
この、ウイルスを積んだようなメッセージを、全ての地方都市に一斉に送信。
「返信来た! 早い!?」
ハームが悲鳴を上げた。
まずい。早すぎる。
「何秒かかった?」
「四秒しかかかってない」
「まずいね、これは。場所は?」
「ハーメルン市」
「よし、急いで行こう」
列車の先頭車両に乗り込み、ハーメルンに向けて出発する。
動き出した列車の中で立ち上がった。
「どうしたの?」
「最後尾に移動しよう」
「え、なんで?」
今になればわかる。なぜ、ベルトマンが最後の任務で最後尾の車両に乗ったのか。
彼は、選択肢を教えてくれた。先頭車両に乗るだけじゃだめなんだって。
「ウォッチメイカーは、基本的に先頭車両に乗る。それは、後ろに『留学生』を積むから、癖になっているんだ」
「そういうこと、ね」
「うん」
普通の地方都市に行くなら、駅の内側と外側では時間が流れる速さが違う。だから、そもそも駅内に侵入者がいないと、列車が襲われることはない。
けれど、ハーメルン市は違う。過激派は、駅の外側から、容易に列車に攻撃を加えられる。
「返信まで四秒……きっと、相当な血が流れたんだろうね」
「そうね。子どもに限らず、老人も、かしら」
「きっと狙われたのは老人だ。過激派にとっては、そっちの方が都合がいい」
時間エネルギーは、空間と生き物の両方に存在する。
生き物の持つ時間エネルギーは、命を押し進めるために使われ、空間型に変換されていく。
時計管理局が、命を押し進めるための生物型の時間エネルギーを奪うのは、管理しやすいからだ。
空間型は、生き物の体内から取り出すと、そのまま空間に拡散していく。その瞬間から、周囲の空間の時間を進めてしまう。
それに対して、生物型の時間エネルギーは、空間型に変換しなければ、拡散することも時間を進めることもない。
扱いやすいのだ。持ち運びもできるから、地方都市に分配することもできる。世界の管理に使うことが出来る。
だから、残りの時間を多く持っている者から奪う。
では、他の都市に運ぶ必要がなければ?
その場の時間を加速させられれば良いなら?
――多くの時間エネルギーを持っていることがわかっている老人を、目的の場所で殺せばいい。
フロートカーを運び、三級ウォッチメイカーを襲撃したのも。
記録に残らない列車を動かしたのも。
アンジェが死んだのも。
目的は一点に収束する。
武力でニューロンドン市に勝つことが出来ない過激派が思い描いたのは。
ハーメルン市という一点に時間エネルギーをかき集め、一気に加速することだ。
各地から命という名の時間を集め、第二のニューロンドン市を作ろうと考えたんだ。対立し、実力の拮抗する第二の都市を作ることで、ニューロンドン市の一強という、世界の仕組みの根幹からぶち壊そうと考えた。
見事だ。
見事だよ。
ニューロンドン市を倒せる、実に鋭い刃だ。きっと、ビッグベンの喉元に突きつけることが出来る。
世界を変えることが出来る、具体的な手段だ。
けど。それじゃあ。
ニューロンドン市と、やってることが同じじゃないか……。
命を、守りたいからこその、反体制だろうが。それを、自らの手で殺してどうするんだよ。
返信時間が四秒。ラグなんかを考えれば、処理にかかった時間は三秒を切るだろう。
一時的とはいえ、ニューロンドン市の倍近い速度で時間が進んでいる。そこまで加速させるために、どれほどの命を奪ったんだ。
自由に動かせる列車で。
三級という、経験の浅いウォッチメイカーたちから奪った列車で、今も生贄を探して回っているのか?
申請者が決めた、買い取る期間よりも多く抜き取った寿命で。時間エネルギーで。ニューロンドン市から結晶を運んで、時間を加速させているのか。
そのために、今も買い取りを募っているのか?
許せないよ。
そんなことの為に、何人が命を落としたんだよ。
そんなことの為に、僕の手の中でアンジェが冷たくなったっていうのかよ。
なあ。
目的に正義があったって、手段を間違えた時点で、下らないことだよ。もう、そこに正義はないんだよ。どうしてわからなかったんだよ。
人を、手にかけた時点で。わからなかったのかよ。
ウォッチメイカーとして。時計管理局の人間として。ニューロンドン市の人間として。
ニューロンドン市の繁栄のため、っていう目的の為だとしても、それで人を殺すことを後悔したから。嫌気がさしたからこそ、反体制派になったんだろう。
お前たちの後悔は、そんなものだったのか。
犠牲になった人々の気持ちを、未来を想像できないのか?
留学生たちの、家族の笑顔は、思い出せなくなったのか?
共感性は、得られなかったのか?
怒りが沸き上がる。
腹が立つ。
憎しみが募る。
こぼれた涙が、冷たいんだ。
何より、悲しいんだよ。
「メルン、ハーメルン市が近いわ」
「警戒して。いつでも列車から飛び出せるように」
「わかった」
列車が減速し、ゆっくりと駅に滑り込んでいく。
動きが止まった、瞬間。
一条の閃光が、先頭車両に向かって駆けるのが見えた。轟音と、激しい振動。爆発し、飛び散った先頭車両の破片が、ばらばらと窓の外に飛び散る。燃える化学繊維が、緑と黄色の炎を吐いて花を咲かせる。
「来やがった!」
ウォッチメイカーは、先頭車両に乗る。
ならば、待ち伏せて、先頭車両に砲撃を加えれば、ウォッチメイカーをほぼ確実に殺すことが出来る。来るなら、このタイミングだと思っていた!
「まだだ。まだ、抑えてくれ、ハーム。敵の砲撃位置は?」
「確認できない! 撃ったら、もう移動しているみたい!」
「なら、ここで待機しよう。死んだと見せかけるんだ」
殺したと思ったならば、敵の手先が確認をしに来るはずだ。それも、ある程度の戦闘力を持つ者が。
きっとそれは、ウォッチメイカーだ。
「リニアカノンのチャージを始めてくれ……」
ならば。先制攻撃をしかけよう。
殺しに来たんだ。こっちも、殺すしかない。
敵の主戦力は、ウォッチメイカーのサイボーグ動物だろう。まずは、そこから削っていく。
「人影を確認。サイボーグ犬を連れている……」
ベルトマンとバックルを思い出した。胸の奥がちくりと痛む。
緊張、不安、恐怖、罪悪感で息が荒くなる。だんだんと早くなっていく動悸。
その胸を抑え込むように、コートの内ポケットに手を入れた。
インヘリタンス。ベルトマンから、ウェッソンを経て受け継いだハンドガンを抜く。ストックを伸ばして肩に当て、安全装置を解除した。
「ハームは、合図と同時にサイボーグ犬を撃ってくれ。僕が、ウォッチメイカーを殺るよ」
お前たちのせいで。
死に、慣れてしまったんだから。
殺すことに、もう、躊躇いはない。




