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中7

 どこで「こと」が起きたのかは、すぐにわかった。空を見上げれば、一条の黒煙が立ち上っている。そこを目指してハームと走っていく。そう離れていない。

 黒い棒と化し、火を上げる街路樹。炎上している真っ最中の自動車。余波を受け、表面が焦げた凱旋門。

 そして、倒れている人影。それは。


「ベルトマンさん!?」


 なぜ。なぜベルトマンが倒れているんだ。

 ざぁっと感覚が遠のいた。心臓がばくばくと早鐘を打っている。

 コートから白煙を上げながら。左腕と左足を失い、焦げた断面を晒して、倒れている。


「べ、ベルトマンさん。な、なにが」


 駆け寄ると。アスファルトの上で黒く丸まっていた何かが、ゆらりと姿を起こした。

 ぼたり、ぼたりと血肉を垂れ流し。徐々に赤く濡れた金属の光沢を剥き出しにしていく、それは。体の表面がほぼ焼け落ち、金属が痛々しく露出したバックルだった。

 関節部分が軋み、スパークを上げる。肉が焼ける臭いが、生々しい。

 ふらり、ふらりと。体を揺らし、後ろ足を引きずりながら、僕とベルトマンの間に入り、牙を剥いて唸る。もう、今にも倒れそうで。どろりと、最後の命を滴らせながらも。ベルトマンを守ろうとするかのように、威嚇している。


「バックル……僕だ。メルンだ」

「か……っは」

「いい。何も言わなくていいよ」


 バックルの目と鼻は、焼けて潰れていた。痛々しい傷に血の泡が立っている。それすらも、体から剥がれようとしている。

 僕だとわかったからか。バックルはゆっくりとその体を横たえた。機械の駆動音が止まる。

 剥き出しになった機械部分がアスファルトに当たり、重たく硬質な音をたてた。ひび割れた骨格部分から、冷却液が蒸発し、霧となって消えていく。

 

「メルン君、来たのか……」


 ベルトマンが弱弱しく声を発した。


「ベルトマンさん! 今すぐ医療用のナノマシンを投与します!」

「要らん。無駄なのだよ」

「何故ですか! 命に関わります!」


 炭化した傷口のひびから、今も血を流している。せめて、止血しないと。


「私も、バックルと同じだ。任務で傷を負い過ぎた」


 それはつまり。

 ベルトマンはもう、傷を治す力がない、ということで。


「そんな……」

「タバコをとってくれないか? 無事だと思うのだが」

「はい」


 震える手で、ベルトマンの胸ポケットからタバコを取り出した。ベルトマンの口に咥えさせ、一緒にポケットに入っていたライターで火をつけた。

 残っている右手の指先でタバコを挟んだベルトマンは、ゆっくりと煙を吐き出した。


「ああ……痛みが和らぐ」

「薬をたくさん飲んでいたのも、そんなものを吸っていたのも。悪性腫瘍に蝕まれていたからなんですね」

「なんだ。よく見えているではないか。優秀だ」

「そんな。そんなことって」


 顔色が悪かったのも。時々動きが悪かったのも。怪我を嫌っていたのも。

 全て、そういうことだったっていうのか。

 怪我を嫌っていたのに。なぜ、バックルと二人で街に出たんだ。戦う力が残っていなかったんだろう。それなのに、なぜ僕を連れて行ってくれなかった。


 いや。僕がいたからって、何にもならなかったのはわかるさ。ここに倒れているのが、二人じゃなくて、四人になっていた。そうなるだけなのはわかるんだけど。

 意味がないけれど。こんなの、ないじゃないか。

 目を閉じたまま、ベルトマンがゆっくりと言葉を紡ぐ。


「聞いてくれ、メルン君。君に資格があると言ったな。あれは、私の後継者としての資格だ。君はまだ知らないだろうが、時計管理局には三つの派閥がある」


 もう、これ以上無理しないでくれ。楽にしてくれ。そう言いたいけど。

 今は、ベルトマンが伝えたいことを全て受け取らなければならない。死を目前にした、彼の言葉を受け取らなければならない。


「体制派。反体制穏健派。そして、反体制過激派。我々は、内部でずっと争いあってきたのだよ。私は穏健派として、この世界に波風を立てることなく、静かにニューロンドン市のやり方を変えようと動いてきた。時に体制派と戦い、時に手段を選ばない過激派と」


 ベルトマンも、ニューロンドン市のやり方に反対して戦ってきたのか。

 その結果、傷を癒すことが出来ない今の姿がある。尊敬の念を抱かずにはいられなかった。


「過激派は、ずっと私を殺したがってきた。だからこそ、新人をつけ、私の足を引っ張らせようと考えたらしい。馬鹿な奴らめ。どうせ先は長くなかったのだ。メルン君のような優秀な人材を手に入れた私の勝ちだ」


「僕は、ベルトマンさんを殺すために組まされたのですか?」


「そう、だろうな。それぞれの派閥で、どのウォッチメイカーにどのウォッチメイカーを組ませるかで、上は大いに揉めたそうだ。そのときに、過激派が強引に私と組ませたのが君だ。調べさせてもらったが、試験時、戦闘技術に関しては成績が低かったようだな」


 僕が、戦闘が苦手だったから、ベルトマンさんと組まされた。

 敵の思惑通り、僕はベルトマンさんを守れなかった。


「そんな顔をするな。奇襲で砲撃されれば、防げるウォッチメイカーなどいない。それに、小柄ならば。小柄なりに出来ることはある。いずれにせよ、ここで私が散る定めだったのならば……メルン君という人材を得たことを、私は喜びたい」


「僕は……どうしたら良いんですか? ベルトマンさんの意志は、どうやって継げばいいんですか?」

「過激派を止めろ。奴らは手段を選ばない。アンジェの件でわかっただろう、あれも過激派の仕業だ。君が真実を突き止め、犠牲者を減らすのだ」

「はい」


 半分ほど吸ったタバコが、ベルトマンの指をすり抜け、地面に落ちる。もう、タバコ一つ持つ力も残っていない。

 ベルトマンの言葉は、きっと本心なのだろう。きっと、ベルトマンは僕と組めたことを心から喜んでくれている。

 それでも。

 浮かんだのは、後悔の念だった。


「僕が……僕らが護衛していれば、あなたはまだ永らえられたかもしれない。ニューロンドン市で起きていることを、僕がちゃんと見ていれば。待ち伏せだって、事前に察知できたかもしれない。護衛しなかったから……」

「私の護衛?」


 ベルトマンは薄目を開け、にやりと口元を歪ませた。今にも死にそうなくらい、呼吸も浅くなっているのに、不敵に笑う。


「私の護衛は、後にも先にもバックル一人だ。譲らんよ。彼に悪い」


 ベルトマンの手が、アスファルトの表面をゆっくりと撫でる。そして、バックルに触れた。漏れ出した冷却液で、霜が張り付いた、金属の首元を、指先で優しくさする。


「どうした。何故冷たくなっているのだ。らしくないではないか」


 切れ長の目から、一滴の雫がこぼれ、頬を伝った。

 僕が初めて見た、ベルトマンの涙だった。


「バックル。お前、今まで一度も私の前を歩いたことがないくせに。最期、だけ……今、私も、行く」


 バックルに触れていた指が。力を失い、地面に垂れた。

 呼吸を、心拍を、脳波を確かめるまでもない。今、たった今。大切なものが、喪われた。


「ベルトマンさん……」

「メルン。亡くなったわ」


 バックルの後を追うかのように。

 ベルトマンが、息を引き取った。

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