中2
これは、僕が口を出せることなのだろうか。
彼にとってはお金が必要で、そのためには寿命を売ることも辞さない覚悟をしての申請だ。それに、売る寿命の長さにだって、ちゃんと意味がある。
寿命を売ったお金で、子どもを育て上げ、子育ての終わりと同時に死ぬ。父親としての覚悟に満ちている。
脳裏をよぎるのは、やっぱりアンジェのことだ。トラウマとして、僕の記憶にざっくりと刻まれている。それでも、アレックスを止める言葉が出てこない。止めてはならない。そう思わせる気迫がある。
思わずベルトマンの様子を窺った。薄紫の唇が、ゆっくりと開かれる。
「残念だが……あなたの申請は受けられない」
紡がれたのは、あまりに予想外の言葉だった。
「……え?」
それはアレックスにとっても意外だったらしく、困惑の声を上げた。
人の命を奪ってでも時間エネルギーを回収するのがニューロンドン市の、ウォッチメイカーのやり方だろう。どうして、買い取れないなんて言葉が出てくるんだ。
「なぜ、ですか? あまりにも短い年数だと買い取れないとは聞いていますが……」
そこまで言い。アレックスは顔を青ざめさせた。
まさか。
「つまりは、そういうことだ」
寿命を売れるほど、アレックスには時間が残されていないというのか。
「そ、それは……まさか。いや、ばかな」
テーブルに置かれている手が、忙しなく握ったり開かれたりされる。頭を振ったり、口をもごもごと動かしたりと、途端に落ち着きがなくなる。
隣で聞いている僕ですら、心臓をざわりと撫でられるような感覚がした。本人ならなおさら動揺するだろう。
「あ、あの。それは、エイミーが成人するまでの時間すら残されていないということですか? それとも、買い取る分の時間が短すぎるということですか?」
ベルトマンに注がれる視線には、まるで熱量を持っているかのような必死さがあった。それを、いつも通りの表情で受け止めながら、言う。
「安心したまえ。買い取る時間があまりに短いため、採算が合わないという理由で受け付けないだけだ」
「そう、ですか。これは喜んでいいんですかね」
アレックスは、泣いているような、笑っているような。くしゃっと歪んだ顔で、掠れた声を出した。
僕らは、その答えを持っていない。「あなたの今後の生き方で決まる」とか「不幸中の幸い」だなんて、薄っぺらすぎて、言葉にする前に歯の隙間から抜けて飛んで行ってしまう。
彼には、子どもと過ごす人生を削る覚悟を決めてまで、お金を必要とする理由があったのだ。
「さて。我々が伝えられるのは、これだけだ。では、失礼する」
「……失礼いたします」
結局、僕はなにもできなかった。
こんなことになるなんて、全く予測していなかった。
奪われる命があって。
自ら売られる命があって。
そして、買われることすらない命がある。
なぜ、同じ命なのに、こんなにも扱いが違うのだろう。この格差は、なんだ。
無言に見送られ、部屋を出た。
ベルトマンと車に向かって歩いていく道すがら。
「浮かない顔だな。これはメルン君好みの結果であろうに」
不意に、ベルトマンに声をかけられた。
そう。今回は、寿命を買い取らずに済んだ。それは、僕が望んでいた結果であって、不満に思うことはない。ない、はずなのに。
「そう、なんですかね」
はっきりと肯定できない。
なぜだ。理由があるから、寿命を買い取ることを前向きに捉えていたのか、僕は。つい昨日、寿命の買い取りのせいで、アンジェが目の前で亡くなったというのに。その瞬間が、今もはっきりと目に浮かぶというのに。
僕は、彼の寿命を買い取りたいと思っていたのか。
自分自身を、疑う。
僕は。何を願っている?
「実に曖昧な答えだな」
「すいません」
「まあ、いい。少しは成長したのだと考えよう。だから――」
ベルトマンが、振り返った。その眼差しは、僕ではなく、その後ろに向けられている。
「後をつけ回すのはやめてもらおうか」
僕も振り返ると、そこには笑顔のサックスがいた。
「よお。別につけ回してたわけじゃねーよ。ただ、この辺りの人で申請があって来ただけだ。貧困地域だからな、珍しいことでもないだろ。で、肩を落とした後輩君がいるから、ちょっと様子を眺めていただけさ」
ひらひらと朗らかに手を振る。その様子に、どことなく安堵を覚えた。
彼も、ニューロンドン市のやり方に反対しているウォッチメイカーだ。それなのに、僕を気遣うだけの強さを持っている。その強さに憧れる。
「貴様に絡まれる時間は無駄だな。行かせてもらう」
「つれないな。まあ、俺だって仕事があるから、あんまり構われても困るんだが。じゃあな、メルン君。また今度」
ベルトマンのサックス嫌いも相変わらずだ。
ニューロンドン市のやり方で、ウォッチメイカーとしての務めに忠実なベルトマン。対して、反対しているサックス。水と油のようなものだろう。仲が悪くて当然だ。
「サックスとあまり関わるな。あいつは、周囲に悪影響しか与えん」
「はあ。覚えておきます」
むしろ僕はサックスのおかげでだいぶ救われているのだけれど。
サックスと会ったからか、あからさまに不機嫌になったベルトマンは、フロートカーがビッグベンに着くと、さっさと降りて行ってしまった。
「ん。メルン」
ハームが前脚で床に落ちている小さな箱を叩く。
「これ、ベルトマンのタバコじゃない?」
拾って、箱を開けると、チャコールフィルターのタバコが整然と並んでいた。匂いを嗅ぐと、確かにベルトマンが漂わせている甘い香りがする。
「間違いないね。なんでベルトマンってタバコ吸ってるんだろう? 健康とか、うるさそうじゃない?」
「でも、凄まじく不健康そうな顔してるわ」
「確かに」
癖になりそうないい匂いだ。
ストレスの多い仕事をする人ほど、喫煙者が多いんだったっけな。タバコを吸うと、ストレスが和らぐのだろうか。
「一本もらっても大丈夫かな」
繰り返し匂いを吸い込むだけで、気分が落ち着いてくる気がする。体の感覚が軽くなるような……。
「メルン、それ以上吸っちゃダメ!」
「え? なんで?」
「それ、依存性のある、神経に強く作用する物質を含んでる」
「は?」
慌てて顔から遠ざけた。
「なんだよ。それ、麻薬じゃないの?」
「一応、政府の認可を受けた業者なら取り扱うことができる、薬物ね」
「ベルトマン、こんなものを吸っていたのか……」
「知らんふりして、あとで本人に返すのが良さそうね。メルンは体重がすごく軽いんだから、薬物には気をつけてよ」
「うん」
持っているだけで怖くなってくる。
顔から遠ざけようとした結果、無難にズボンのポケットにねじ込んだ。




