中1
現実を受け止められなかった。
腕の中で冷たくなっていく重み。それは、アンジェを医師に預けてからも、ずっと残っている気がした。
廊下を歩いている最中に、それに引きずられるように膝をついた。
「大丈夫か?」
「ベルトマンさん……アンジェさんは、本当に亡くなったんですか?」
「ああ。亡くなった。我々の目の前で、息を引き取ったのだ」
「彼女は、まだ生きているはずで……本来なら、これから僕らが家に送り届けるはずでしたよね」
「そうだ」
「なんで……いないのでしょう」
「わかっているのだろう?」
わかって……いる。死んだ人が隣にいるはずがない。それは、わかっている。
なぜ、死んだのか。それが理解できない。
生きようとしていた。まだ見つけてはいなかったけど、これから、生きる意味を探そうとしていた。寿命を売っても、残りの命を有意義に過ごそうとしていた。それなのに。
「僕らが殺したんですよね」
死んだ。
いや、殺された。
僕らによって。
「違う」
「何が違うというんですか」
「殺したのはメルン君ではない。我々だ」
「何が違うっていうんですか! 僕も、ウォッチメイカーだ!」
「黙れ、無能」
「なんだって……?」
僕を見下ろすベルトマンの目には、これまで見たことのない複雑な色が浮かんでいた。
「貴様は、ウォッチメイカーとしては無能もいいところだ。貴様は最悪の仕事をした。時間エネルギーの為に、命を奪うウォッチメイカーとしては、最悪の仕事だった。故に……彼女の命を守るということにおいては、最善を尽くした」
そんなことを、言うな。
なら僕は、この気持ちをどこにぶつけたらいい。どうすればいいんだ。あんたに投げつけるわけにはいかないだろうが。ベルトマンも、何も悪くないことは知っている。あんたが正しいのは知っている。あんたが原因じゃないのは知っているんだよ。
「残存寿命、抽出した時間エネルギー、それらに関わる機材、もしくは人間に間違いがあった。殺したのは、我々だ」
だから、自分が原因の一つのような言い方をしないでくれ。
この気持ちを、吐き出したくなる。
「僕は、どうしたらいいんですか?」
「働き続けるか、やめるか。それしかないだろうな。明日にも類似の仕事が入っている。辞表を提出するならば、今日が好機だ。どうする?」
「明日も……」
言葉に詰まった僕に、ベルトマンが妙に優しい声で言う。
「我々の仕事は、ニューロンドン市の殺しを担うようなものだ。耐えられないならばやめるといい。貴様の知らない誰かが、貴様と関わりのない人間を、貴様が気づかぬ間に殺すようになる。それだけのことだ。それで、いいのかね?」
「いえ、何度も言っているように、僕はこの仕事を続けます」
「ならば、立ち上がれ」
くそ。進み続けるしかないのはわかっている。感傷に浸る暇がないのも理解した。
アンジェの死を受け入れる時間がないことも。
例え、今日一日の彼女の表情全てが脳裏に焼き付いているとしても。いや、焼き付いているからこそ。
次こそ、同じ轍を踏まないために、前に進まなければいけない。
立ち上がる。自分の体を持ち上げるだけなのに、人を背負っているかのように重たい。
「そうだ。それでいい」
「また明日、よろしくお願いします」
「原因の究明はこちらでしておく。メルン君は、明日の仕事に備えろ」
「はい」
帰り道が。
ハームと共に歩くこの廊下に。足りない何かを感じながら。自分の部屋へと歩いた。
僕には次がある。でも、失われた命に次はない。
許してくれとは言えない。
「ごめん」
これも、自己満足でしかない。
あまり寝れない夜が過ぎた。ニューロンドン市の時間は、本当に淡々と進んでいく。
ベルトマンと合流し、次の申請者の家に向かった。原因究明で忙しかったのだろう。いつも以上にやつれて見えた。
今日会うのは、四〇代半ばの男性らしい。二人子どもがいる。奥さんは既に亡くなられているそうだ。
増改築が繰り返された、古い建物。その一室のドアを叩いた。インターホンのような機器は一切ついていない。ニューロンドン市に、まだこんな建物が残っていたのかと、妙な感動を覚えた。
「どちら様ですか?」
出てきたのは、まだ幼い女の子だった。おそらく、九歳の姉。しっかり者のお姉さん、といった、賢そうな顔をしている。
ハームとバックルを見て目を輝かせた。次に僕の顔を見てにぱっと笑う。それから、ベルトマンを見て凍り付いた。
「えっと、今留守です!」
「……いるじゃん」
「あ、えっと、居留守なんです!」
「ちょっと待って。僕らはお父さんに呼ばれてきたんだ」
ドアの奥に逃げようとするのを呼び止めた。少女はおそるおそる、といった様子でベルトマンを見上げ、それから、奥の部屋に向かって大きな声を出す。
「おとうさーん、お客さんだって!」
「ああ。知っているよ。入ってもらってくれ」
「わんちゃんと猫さんいるよ?」
「それでいいんだよ」
「はーい」
少女はこちらに向き直ると、ぺこりと頭を下げて「どうぞ」と言った。
招かれて奥に進む。二部屋しかない、三人家族で住むには小さな間取りの家。リビングには、物が雑然と散らばっている。その中で所在なさそうに縮こまっている、奇麗に上が片づけられたテーブルの前に、車椅子の男性がいた。
「汚い場所ですいません。申請を出した家主のアレックスと申します」
「失礼する。一級ウォッチメイカーのベルトマンだ」
「ご丁寧にどうも。三級ウォッチメイカーのメルンです」
「ベルです」
「エイミーです!」
紋切型の挨拶をすると、子ども二人も挨拶を返してきた。次女のエイミーは、まだ六歳だったか。
エイミーは肩まである亜麻色の髪を結んだ赤いリボンをつまみながら。
「あのね、これ、ぱぱが作ってくれたの!」
「そうなんだ。可愛いね」
「こらっ、エイミー! ダメだよ!」
可愛らしく自慢して、お姉ちゃんのベルに注意されていた。
まだ見た目に恐ろしさを感じない年なのか、ベルトマンの前でも無邪気で豪胆だ。今度は大喜びでバックルに突撃しようとして、父のアレックスに腕を掴まれている。
「すいませんね。騒がしくしてしまって……。ベル、大人だけで話をしたいから、エイミーを隣の部屋に連れて行ってくれ」
「うん」
お姉ちゃんに手を引かれ、駄々をこねながらエイミーは退場していった。
「さて、話を始めてもよろしいかな?」
何事もなかったかのようにベルトマンが切り出す。アレックスはこくこくと頷いた。
「あ、どうぞ席についてください。出せる飲み物が、水道水くらいしか無いのが心苦しいのですが……」
「不要だ」
「あ、はい」
車いすのアレックスに手間をかけさせるのも心苦しいが、ベルトマンのようにバッサリ斬り捨てると、それはそれで不憫だ。
僕ら二人で席につき、アレックスは車いすをテーブルの対面に移動させた。
「よろしくお願いします。見ての通り、恥ずかしながら金が無いのですよ」
それは、言われなくてもわかっていた。
この古い建物、物の置き場がなく雑多に積み重ねられた部屋。なにより、アレックスの車いすが物語っている。
医療用ナノマシンで、多くの傷や病気が治せるこの時代で。また、サイボーグ技術が発達し、機械の義足が生身の脚以上に動きやすくなったこの時代に、車いすに乗らなければいけないなんて、よほどお金が無いのだろう。
「こうなった理由は話せば長いんですけどね。ともかく、お金が必要なんです。それで、エイミーが成人するまで生きられるギリギリの寿命を残して、残りの年数を全て買い取っていただきたいのです」
アレックスは、覚悟を決めた男の顔をしていた。




