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翌日、昼休み。
春明は、昼休みが始まると、一人ですたすたと教室を出て行った。
和が汐織の席に駆け寄る。
「春明くん、行っちゃったよ。今日は二人で練習とかしないの?」
汐織は弁当を開きつつ、和に答える。
「そうね、色々あって暫くの間は練習はお休みね」
汐織は淡々と言った。
和は不思議そうに汐織の顔を覗きこむ。
汐織はその目線に少したじろぐ。
「汐織ちゃん、春明くんと喧嘩でもしたの?」
汐織は一瞬だけぴくりと体を動かしたがすぐに取り繕って、
「別にしてないわよ」
と吐き捨てるように言った。
「そっか、そうならいいんだけど…」
和はまだ納得していないような表情だったが、二人はそれ以上話さず、食事を始めた。
春明は一人で食事を終えると、いつものベンチの上で横になってまどろんでいた。
晴れ渡った空から、木洩れ日が春明をちらちらと照らしている。
風は青臭く、夏の近づきを感じさせる。
春明の頭に、すずめの鳴き声が響く。
まぶたが下がってきて、うとうとと寝入りそうになっている。
――気持ちがいい…。こうやっていると嫌な事を忘れられる…。
「…春明くん」
春明が眠りに落ちそうになった瞬間、春明の頭に声が響いた。
春明は目を擦りながら、のっそりと体を起こす。
誰だろうか、と春明は寝ぼけ眼で傍に立っている人影を見上げる。
そこには檸檬が立って春明を見下ろしていた。
「あ、堂島さん」
「…こんにちは」
檸檬が律儀に挨拶した。
「隣…いいかな」
春明は慌てて席をつめる。
「あ、あぁごめん」
檸檬はベンチに座ると、春明に向き直って話し始める。
「…今日は、霜月さんと一緒じゃないんだ…」
春明は返答に詰まる。
「あ、あぁ汐織ね。あいつも中々忙しいみたいで」
「そう…なんだ」
二人はそれだけ話すと黙り込んでしまった。
春明が何かを思い出したようにポンっと手を叩くと話を切り出す。
「あ、そういえば、堂島さんが貸してくれた本、読んだよ」
檸檬の顔がぱっと明るくなって、春明の顔を覗きこんだ。
「…どうだった?」
「いやぁ、面白かったよ。堂島さんの言うとおり、スッタフのコラムとかが良かったよ」
檸檬は満足げに何度も頷く。
「キャラクターの立ち回り方とか詳しく書いてあったし、勉強になったよ」
「…また、和の家で対戦しよう…」
「そうだね、今度は前よりは戦えるだろうし」
二人は昼休みが終わるまで、そのゲームの話を続けていた。
放課後、春明はバイトだ無いため、ゆっくりと帰りの支度をしていた。
春明がちらりと汐織の席を見ると、汐織も春明を見ていて、視線が交わる。
汐織はあからさまに不機嫌な顔をするとぷいっと顔を背ける。
春明もそんな汐織の態度に顔を歪めた。
自分の席で、荷物を鞄に詰め終わった和が、汐織の席に駆けてきた。
「汐織ちゃん、今日、私の家にこない?」
汐織は春明から目線を外すと、和に向き直る。
「ええ、いいわよ。私今日予定ないし」
「わぁ、やった!」
ぴょんと跳ねあがって喜ぶと、今度は春明の方へ駆け寄ってくる。
「春明くんはどうかな?アルバイトかな?」
汐織が横目で春明を見る。
「いや、アルバイトじゃないけど…」
そう言ってもう一度、汐織の方を見てやる。
「ごめん、俺今日用事あるから、もう帰るわ」
そう言って、春明は足早に教室を後にした。
和はきょとんとして春明の後姿を追っていた。
「どうしたんだろ…なにか急ぎの用事かなぁ」
汐織はそんな春明の様子を見て顔をしかめた。
「あんな奴、放っておいてわよ。さぁ和ちゃん行きましょう」
和はつんけんとした態度の汐織をのぞき込む。
「…汐織ちゃん、もしかして春明くんと喧嘩でもしたの?」
汐織はぴくりと肩を上げた。だがすぐに平然として和に話し始める。
「別に喧嘩なんてしてないわよ。ただ、あいつがヘタレで逃げ出したってだけよ」
「やっぱり喧嘩なんじゃ…」
と、和は言いかけて口を噤んだ。
和は不安そうな表情で黙って汐織を見つめている。
「大丈夫だから、なんでもないから、ね」
汐織は精一杯、明るい表情を作って、和に言った。
和はまだ不安そうな表情のまま、指をくわえて汐織を見ている。
汐織は席を立つと、和の背中を押して急かした。
「ほら、もう行きましょ、ね」
「わわ、押さないでもいくよぉ。ほら檸檬ちゃん行こっか」
自分の席にずっと座っていた檸檬は立ち上がって、二人に続いた。
三人は、並んで歩いて学校を後にした。
和のマンションについた三人はお茶を飲みながら駄弁っていた。
ぼりぼりと煎餅をかじりながら、和が汐織に聞いた。
「ねね、やっぱり春明くんと喧嘩したんでしょ」
汐織はうんざりしたような表情でそれに答える。
「だから、さっきも言ったでしょ。あいつが逃げただけだって」
和と檸檬は顔を見合わせて、困ったように笑い合った。
「じゃあさ、その春明くんが逃げ出した原因ってなんなの?」
汐織はお茶を啜ってから、太いため息を吐いた。
「それはね、私の出した指示に怖気づいたからよ」
檸檬が体を乗り出して、汐織に聞いた。
「…どんな指示を出したの」
汐織はしぶしぶと二人に経緯を話した。
「だから私はね、時間も無いし、あいつのことを思って…」
和は腕を組みながら話し始める。
「うぅん、汐織ちゃんも春明くんの為とはいえ、少しいき過ぎたんじゃないかな」
檸檬も頷いて、和に同意する。
「…私もそう思う」
汐織は納得出来ないと言った表情になる。
「そうかしら」
檸檬が身を乗り出して、汐織に言う。
「…彼は繊細だから…」
汐織はキッと表情を鋭くした。
「いや、私なんて小学生の時からあいつのこと知ってからね、堂島さんよりはわかってると思うけど…」
少し棘のある言葉に檸檬は、心なしか少し傷ついたような表情になる。
汐織は慌てて言葉をつけたした。
「あ、ごめんなさい。ちょっと感情的になってるわね、私…」
汐織も項垂れて落ち込み始める。
部屋に重い沈黙が満ちる。
少ししてから、和が話し始めた。
「まぁ、明日になれば春明くんも汐織ちゃんも元通りになってるよ」
と、和は笑顔で楽観的なことを言った。
「だと…いいけど」
汐織は俯き気味に、暗い声色で和に答えた。
檸檬は深刻そうな表情でいる。
そして汐織は心の内で呟き始める。
――絶対に私からは謝らないんだから…。
堂島さんも堂島さんよ。春明のことばかり庇って。
なによ、もしかしてあいつに惚れているんじゃないかしら。
ふいと、汐織はムキになっている自分に気がついた。
――何、ムキになってるんだろう、私…。
汐織は深く息を吸ってゆっくりと吐いて、心を落ち着けた。
「まああいつの話はもういいでしょう?三人で何かしましょ」
そう言って汐織は話を逸らした。
和は一瞬きょとんとしたものの、すぐにぱあっと明るい表情になって、
「うん!そうだね。映画を観る?それともゲームをする?」
そういって和は、テレビをいじりはじめた。
ふと、汐織は檸檬をちらりと見る。
檸檬は不安そうな表情でいた。
それがなぜか、汐織には少し腹立たしかった。
夜、春明は布団の上に仰向けになって天井を見つめていた。
頭の中には汐織との出来事が思い返される。
――あいつ、まったく気にしてなかったようだったな…。
確かに俺は汐織の協力で色々と助かったけれども…。
最近のあいつは俺の感情なんかまったく気にしていない風だった。
演劇部に入るだ?勝手に決めるなってんだよ。
このままあいつに従ってたら、次になにをされるかわかったもんじゃない。
あいつが方針を変えるまで絶対に口を聞かないでいよう。
恋人探しの為の練習は…しばらく、俺一人でやろう。
春明はそう決心すると、電気を消してまぶたを閉じた。




