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翌日、昼休み。
春明と汐織はいつものように、ベンチに座ってノートを読んでいる。
汐織の嬉々とした表情とは正反対に、春明の表情は浮かなかった。
ノートには演劇論や役者の心得といったものが、びっちりと書いてあった。
ノートを人ととおり見終わった春明がおずおずと口を開く。
「これは、ちょっと関係ないんじゃないかな…」
「詩とか台詞ならまだ、言葉が増えて役に立つと思うけど…。僕は役者になりたいわけじゃないし、身振りとか表情とかはちょっと…」
汐織はくしゃっと不機嫌な顔になった。
「だから、これも目的に繋がっていくのよ。私の言うこと聞くって言ったなじゃない」
「それは…」
春明は口ごもる。
「この練習だって、意味があるのよ。あなた表情暗いでしょ。表情筋使ってなかったのよ。それに眼も死んでるわ。だからこの練習で鍛えるのよ。そうだ演劇部に入ってみたりとか?いいかもしれないわ」
春明は黙ったまま動かない。
表情は、眉を寄せて険しい表情になっている。
汐織はその表情に気が付かない。
「それじゃ、練習を始めるわよ」
汐織は立ち上がって、春明を急かした。
「…表情筋がどうだとか…」
春明はぼそぼそと呟いた
「え、なんて?小さくて聞こえないわ」
春明は小さく舌打ちをする。
「最近、お前無理強いしすぎだよ」
語気を荒げて春明が言った。
「え、急にどうしたのよ…」
汐織は、春明の強い口調に少し腰が引く。
「表情筋使ってこなかっただのなんだの、失礼なんだよ」
「実際そうだと思ったから言っただけよ…」
「…それに演技の練習だ?演劇部だ?そんなのはやりたくない…。お前さ、俺で遊んでるだろ」
「そ、そんなことないわよ。ただ、私はあんたの事を考えて…」
春明は立ち上がって、大きなため息を吐いて、項垂れている。
「お前の指示に従うって約束したけどさ、これ以上こんな練習するなら俺はもう…」
汐織は感情的になって春明に答える。
「なにそれ、私は本当にあなたの為を思って練習を考えてきたのよ。夜遅くまで資料を集めて、ノートに書き写して」
「そんなの、お前の苦労なんて知らないよ」
「あんたねぇ…」
汐織は半ば呆れて、半ば怒りで震えて言った。
春明もイライラと脚をぱたぱたと繰り返し動かしている。
「俺はお前の人形じゃないんだ。少しは俺の感情も考えてくれ…」
「なによそれ。私はね、あんたの目標の為だけを思って――」
汐織が全てを話し終える前に、春明はすたすたと歩き始めた。
「ちょっと、話聞きなさいよ」
汐織はそう叫んで春明を呼び止める。
「これから、どうすんのよ!」
春明は黙ったまま、振り向きもせず去っていく。
汐織は呆然と春明の後ろ姿を見ていた。
放課後、汐織は教室で呆然と窓の外を眺めていた。
春明はバイトへ、和はどこかへふらりと出て行った。
汐織は太いため息を吐いて、俯く。
汐織はぶつぶつと愚痴り始める。
――何よ、私はあいつの為を思って…。
今までの成功だって、きっと私の助けがあって出来たのよ。
それなのにあいつは…。
無理強いだって?それぐらい急がないと条件に間に合わないでしょう。
それぐらいあいつだって覚悟してるはずよ。
なのにあいつは、お前の人形じゃないだの無理強いするなだの、わがまま言って。
ふと、汐織の頭に檸檬の言葉が浮かんだ。
――あいつが繊細…ねぇ。
繊細というよりも、只のへたれよ、あいつは!
汐織はぴりぴりとしたまま席を立つ。
汐織は図書室へとすたすたと向かって行った。
図書室へ入った汐織は、数冊の本を取ると、机に座って本を開いた。
しかし汐織は、なかなか集中できず、そわそわと本を開いては閉じている。
汐織の頭の中は昼の出来事で一杯で、文字が頭に全然入らない。
汐織は読書を諦めて、頬杖をついてぼうっとあらぬ方向を見つめている。
ふと、汐織の視界に人影は入る。
汐織はその人影を見上げる。
「あ、堂島さん」
檸檬が本を数冊、脇に抱えて立っていた。
檸檬は黙ったまま、汐織に小さく頷く。
檸檬は汐織の向かいの席にくると、
「…ここ、座ってもいい?」と聞いた。
「別に、いいわよ」
檸檬は汐織の返事を聞くと、本を机に置いて席に座った。
汐織は、なんとなく本を読み始める。
汐織は、ちらちらと檸檬の様子を見ている。
檸檬も本をぱらぱらとめくっている。
図書館には人がすくなく、しんと静寂が満ちた。
ふと汐織は、明日から春明とどう接していいか考えはじめた。
――私から謝るなんて、絶対嫌よ。私は間違ってないんだから…。
あいつから謝ってくるまで、もう協力してやらないんだから。
汐織はまたイライラとしだして、表情を歪める。
そんな汐織の表情の変化を見た、檸檬は口を開く。
「…どうしたの、霜月さん…」
檸檬が首を傾げて言った。
汐織はあわてて取り繕って、答える。
「べ、べつに何でもないわよ」
「…そう」
檸檬はまだ、不思議そうな顔で汐織を見つめている。
汐織は本の影に顔を隠した。
檸檬がふいと話し始める。
「…今日の昼も、春明くんと練習したの?」
汐織はぎくりと体を強張らせる。
「え、ええ。そうね、練習したわよ」
「…そう。あのね…」
檸檬はもじもじとして、何かを言い出そうとしている。
「…檸檬さん、どうかしたの?」
汐織は不安そうに檸檬に聞いた。
「…もし良かったらね…今度二人練習見せてもらいたいんだけど」
汐織はあからさまに慌てて、言葉を探す。
「あ、ああ、私は別に構わないんだけどね。あいつが恥ずかしがるかもしれないから、ちょっと聞いてからじゃないとわからないわ」
檸檬は残念そうに、俯く。
「…そう、わかった」
「ごめんなさいね、一応聞いてみるけど」
汐織は嘘を重ねたせいで、胸がずきんと痛んだ。
二人はまた本を読み始める。
図書室はまた沈黙に包まれた。
夜、バイトを終えた春明は、家に向かって暗い農道を歩いてた。
足取りは重く、表情も暗かった。
春明は昼の出来事を思い出す。
――明日からどう、汐織に接しようか…。あんなこと言っちゃったしなぁ。
春明は腕を組んで考え始める。
――それにしても。
それにしても、表情筋使ってないだの、眼が死んでるだの…。
流石に俺だって腹が立つ。
それにあんな演劇部みたいな練習したくない。
そりゃあ何かしら効果はあるだろうけど…。
まるで俺で遊んでいるみたいじゃないか。
汐織の指示はなんでも聞くと最初に約束はしたけれども、俺の意思だって考えて欲しい。
それを気付かせる為には、向うが謝るまで話さないほうがいいかもしれない。
そうだ、そうしよう。
そうすればあいつだって少しは反省するだろう。
春明はそう心に決めると家路を急いだ。




