22
翌日、朝、教室に入った春明に、近づいてくる人があった。
「おはよぉ、春明くん」と野咲和がにこやかに挨拶した。
春明は急な挨拶にどぎまぎしながら、なんとか返事をする。
「お、おはよう野咲さん」
「春明くん。呼び方、違うよ」と和は指を振る。
春明は照れ臭そうに言い直す。
「和さん、おはよう」
和は満足そうに頷く。
「うん、おはよう」と和はにこやかに答えた。
和は身を乗り出して、
「昼休み、行けたら行くね。また動物とかの話ししようね」
「そうだね」と照れ臭そうに答える。
和は春明の返事を聞くと、手を振って別の友人のもとへ駆けて行った。
春明は和と朝の挨拶を交わした感動と緊張で、背中にうっすらと汗をかいていた。
朝から気分がいい。と春明は充実感を得ていた。
春明が教室に目をやると、すでに席に着いていた汐織が、ちらちらとこちらの様子を見ているのがわかった。
「お、おう」と手をかるく上げて挨拶する春明。
汐織は少しの間、春明の顔を見ていたが、ぷいとそっぽを向いた。
春明はそんな汐織の態度を特に気にすることもなく、自分の席に向かった。
春明は今日の放課後が待ち遠しくてたまらなかった。
昼休み、春明と汐織はいつものベンチに座っていた。
二人は深刻そうにぼそぼそと小声で話し合っている。
「和さんが来るかもしれないこの場所で、会議するのは危険だと思うの」
春明が真面目な表情で答える。
「いや、和さんだって毎日ここに来る訳ではないと思うぞ」
「それはそうだけど…」
「それに、和さんとゆっくり話せる、こんないい場所は他に無いと思う。それと、急に俺たちがここにこなくなったら、避けられてると思われるかもしれないし」
汐織は黙って春明の話を聞いている。
「だからこのままでいいんじゃないか。ノートのやりとりなんてすぐに終わるし。和さんがこなかった時だけ、例の活動をするようにすればいいと思う」
「少し心配だけどあなたがそれでいいなら、いいんじゃないの」としぶしぶと汐織は言った。
汐織はまだ不安そうな表情で続けて言う。
「じゃあ新しいノートだけ渡しておくわね」
「ああ、また詩がびっしり書いてあるのか?」
その春明の言葉を聞くと汐織の表情が変わった。
「また?なにその言い方。ああそう、私の協力なんて役に立たないってことね」
と言い捨てるように汐織は言った。
「いや、すまん…そんなつもりで言ったんじゃないんだ」と申し訳なさそうに春明は言った。
「…私の指示を聞くっていったじゃない」
「わかってるって。ちゃんと読んでくる」と汐織の出したノートを春明は受け取る。
汐織は少し気を悪くした風にそっぽを向く。
春明は渡されたノートを黙って読み始める。
「《食事に誘うための順序》か、そういえば和さんっていつもお昼どうしてるんだろう」
汐織が向き直って言う。
「そういえばそうね。教室で食べてるみたことないわ。きっと外のどこかで食べてるのよ」
「今日、聞いてみるのはどうだろうか」
「いいわね。何かのきっかけになるかもしれないわ」
二人が話し合っていると、校舎の方から駆けてくる小さな人影があった。
春明はそれに気付くと、
「あ、和さんが来た」とノートを慌ててカバンにしまった。
和が二人に近づいてくると、両腕に菓子パンを数個抱えているのがわかった。
「春明くん、汐織ちゃん」と笑顔で呼びながら駆けてくる。
二人の傍へ着くと、軽く息を切らせながら口を開く。
「お昼ご飯、一緒に食べない?」
春明と汐織はは少しの間きょとんとして、見合っていた。
和は微笑みながら、首を傾げて二人の返事を待っている。
春明が慌てて答える。
「あ、ああ勿論だよ。俺も和さんを誘おうと思ってたんだ」
「そうなんだぁ。じゃあここで三人で一緒に食べようか」
「そうだね」と春明は少し緊張した調子で答えた。
和は二人の間に腰を下ろす。
そうしてから、菓子パンの袋ぴりぴりと封を切る。
機嫌よく、鼻歌を始める。
春明と汐織はまだ、弁当に手をつけていない。
汐織は春明に目で何かを訴える。
(ほら、あなたから話し始めるのよ)
春明は視線に気が付くと、それを察する。
春明が話を始めようとしたちょうど、和が話し始めた。
「二人はお弁当なのかな?」
出鼻をくじかれた春明は、少し戸惑って答える。
「い、いや、俺もパンだよ。ただ、スーパーで買っておいた割引品だけど」
それを聞いた和は身を乗り出して、春明の持っているパンをのぞき込む。
「わっ、安いねえ。半額なんてのもあるんだねぇ」
惣菜パンをまじまじと見られて、春明は恥ずかしそうにしている。
次いで和は、汐織の方を向いてたずねる。
「汐織ちゃんは…お弁当だね」
和まじまじと汐織の弁当をのぞき込む。
「ええ、母に作ってもらってるの」と少し照れながら答えた。
和は満足して、パンを食べ始める。
汐織が春明に急かすような視線を送る。
春明は固唾を飲んでから口を開いた。
「和さんって、いつもはどこで昼食をとっているのかな?」
和は口に含んだぱんをこくりと飲み込んでから答える。
「いつもはねぇ、中庭だったり、階段だったり、別のクラスの教室だったり…」
「へぇ、色んなところで食べているんだね」
「うん、その日の気分で決めてるかな」
「そうなんだ。俺たちはいつもここで食べてるからさ…和さんも、気が向いたときだけでいいから、ここで一緒に昼ご飯食べませんか」と春明は緊張から、語尾が敬語になった。
「勿論だよ!和もこの場所好きだからね」
春明はほっと息を吐いてから、パンを食べ始める。
汐織も春明が食べ始めたのを見ると、弁当を食べ始める。
三人それぞれが食事を終えると、まず春明が話し始めた。
「和さんて、学校にはどうやって通ってるの」
「歩きだよ。んーとね家はショッピングモールのすぐ隣にあるの」
春明は驚いて答える。
「へぇ、わりとうちの近所だね」
「そうなんだぁ。汐織ちゃんは何登校なの?」
「私はね、電車よ。ショッピングモールとは反対方向ね。」
三人はしばらくそんな世間話を続けていた。
話しあ盛り上がってきたところで春明は芸術の話しを切り出した。
「和さんて美術部に入ってるんだよね」
春明はもう緊張していなく、すらすらと話し始めた。
和は少し困った表情で、
「うぅん、一応は入ってるけど、ほとんどいかないんだよね」
首を捻りながら続けて言う。
「和はね、もっと外にでて自由に描きたいの。だから縛られてるのはあんまり…」
「そうなんだ。だからいつも外に出て歩き回っているんだね」
「うん、外に出てね、風景や動物を見ているとね、すごく心地いいんだ」
それを聞いた春明はぱっと顔を明るくした。
汐織に教わった文句を使うの今しかないと。
「俺もわかるな。ここのベンチで横になってさ、澄んだ小鳥達の囀り、薫風に揺れる木々の木洩れ日、昼下がりの心地よい程度に怠惰な空気、それらが俺を癒してくれるから」
少し恥ずかしそうに春明は和の様子を見る。
和はにかっと頬を上げて答える。
「春明くんも自然が好きなんだねぇ。それに見た目と違って繊細なんだね」
「見た目と違って…ね」と春明は苦笑いで言った。
それを聞いた汐織はぷっと吹き出す。
和がはっとしたように顔を上げる。
「もう昼休み終わっちゃうね。あっという間だったね」
「ええ、教室に戻りましょう」
三人は立ち上がる。
和がにこにこと二人を見上げて言う。
「それじゃ三人で戻りましょ」
二人は照れ臭そうに頷いて、歩きはじめる。
二人は歩調を和に合わせて、努めて小さくした。
春明はその日のバイトは絶好調だった。
和と過ごした昼を思い出してはにやにやとしている。
店長が気味悪そうに声をかける。
「大丈夫?春明くん」
「なんでですか?今日の俺は絶好調ですよ」春明は溌剌と答える。
春明は充実感に満ちていた。
そして明日も和と話せるのか気になってしょうがなかった。
友達がいるだけで、こんなに学校が楽しみなるとは。
早く明日になって欲しい。
今度はどんな話をしようか。
春明はにんまりと気色悪い表情を張り付けて仕事を続けた。




