19
春明は和の姿が見えなくなると、緊張の糸が切れ、どっと疲れが湧いてきた。
額の汗を拭いて、大きくため息を吐く。
汐織が陰から春明のもとへ駆けてくる。
「どうだったの、うまくいった?」と早口に言った。
春明は少し間を置いて、唾をごくりと飲んでから、
「なんとか…只、絵画の話はできなかったけど」と乾いた口で言った。
「いや充分よ、ホントよくやったわ」と汐織は驚いて言った。
汐織は心の中で呟く。
――正直、駄目だと思っていたけど…。案外うまくいくものね。
「私の考えた台詞や例のノートは役にたったかしら?」と汐織は一番気になっていることを、身を乗り出して春明にたずねる。
「いや、準備してきたことは失敗、全然うまくいかなかったよ」
春明は続けて、
「普通にスキー場の話とか、校庭にくる猫の話とか…」
「な、なるほど」と汐織は頷くと、春明に背を向けてメモを取り始めた。
――やはり父の考えてるようなアバンチュールは所詮、空想のもの、か…。
少しだけ残念そうな顔をする汐織。
「おい、汐織。何してるんだ」
汐織はびくんと体を跳ねらせて、慌てて答える。
「結果をメモっているのよ。今後にも役立つはずでしょ」とメモをしまいながら言った。
「それより」と汐織は話しを切り出す。
「次回どうするかよね。しつこいと思われないように、また声をかけなくちゃいけないわね」
汐織はぶつぶつと言葉を続ける。
「本来、友達なんて自然にできるものだと思うけど、あなたの場合は特殊だから、少し急いだ方がいいわ」
「はあ」と春明は気の抜けた返事をする。
「目標は二人でどこかで落ち着いて話すことね。昼食をとるなり、お茶でもするなり二人の場をつくることね」
春明が不安そうな声で口を挟む。
「いや、できれば汐織にも会話に入って貰いたいのだが。勿論、俺が慣れるまででいい。もう話題が無いし、汐織がいた方が落ちていて話ができるかもしれないし」
汐織は少し考えてから頷く。
「そう…ね、暫くはそうしてもいいかもしれないわね」
春明が嬉しそうな顔になる。
「ただ」と汐織がつけたして、
「ただ、私もその、友達がいないこと、知ってるでしょう」とつぎはぎに言った。
春明の視線からに逃げるように顔を背けて続ける。
「だから、そんなに期待してほしくないというか、なんというか」
「あ、ああ。居てくれるだけで構わないからお願いしていいか?」
「…わかったわ」と汐織は頷く。
それを聞いて春明の表情は柔らかくなった。
ふと汐織は時間が気になって時計を確認する。
「もう時間が無いわね。とりあえず今日はここまでね」
「ああ、また明日の昼休みにここでいいか?」
「ええ、ちゃんとノートを読み返してくるのよ」
「わかってる。それで明日はバイトが無いから、放課後も空いているから」
「そう…まあとりあえず教室に戻らないと、遅刻するわよ」と校舎に向かって駆け出す。
春明も汐織に続いて、歩き出す。
すると汐織は足を止めて振り返る。
「一緒に来ないでくれる、クラスに誤解されるかもしれないでしょ」と怪訝な表情で言った。
春明は立ち止まって、汐織が校舎に入るまで立って待っていた。
夜、汐織はベッドの上で昼休みの出来事を思い返していた。
楽しそうに話す二人、野咲さんの笑顔。
――野咲さんか…。クラスでも変わり者あつかいされていて、また、可愛がられている不思議な子。いつもふらふらとしている、掴みどころの無い子。
明日もしかしたらあの場に私もいるかもしれない。
正直、私も野咲さんと話してみたい。
上手く話せるだろうか。
いや、吾妻だって話せたんだ。私にできないはずがない。
汐織は電気を消すと、三人で楽しそうに会話している場面を思い浮かべて目を閉じた。




