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下から三番目の恋愛活動  作者: 兵衛 清彦
第一章「霜月沙織と野咲和」
16/50

17

翌日、朝。

春明は朝食を済ませると、いつものように弟妹らの面倒をみて、ちゃんと登校するのを確認する。

母の陽子がそんな春明の様子をじっと見ていた。

春明はてきぱきと動いて溌剌としている。

きっと叔父の出した条件に関係したことだろうな。と陽子は察す。

陽子は思わず春明に声をかける。

「春明さん、なにかいいことでもあったのかしら。とても元気そうよ」

春明は少しだけぎくりと体をとめる。しかしすぐに陽子に向き直って、

「いや、特にいいことはないよ。ただ単に体調がいいだけだよ」

「あら、そう。ほらあなたも家を出ないと、遅刻しちゃうわよ」

春明は時計を見るとあわてて玄関へと駆けて行った。

陽子は笑顔で春明を見送った。


昼休みになると春明はいつもの場所、校庭隅のベンチに来ていた。

汐織はまだき来ていない。

春明はいつも昼食を済ますのが速かった。

惣菜パンと学校の自販機で買った黒ゴマオレを数分で済ましていた。

春明は手持無沙汰になり、なんとなしに校舎を見上げる。

開け放した窓にカーテンが揺らいでいるのが見える。

春明は自分のクラスの方に目をやる。

窓際にちょこんと両腕を乗せ、空をぼうっと眺めている女子がいた。

ふわふわと少し癖のある栗色の髪の毛が、風に揺られている。サイズが合っていないのかシャツの裾は手首を完全に覆っている。小さい口はぽかんと開いていて、丸く澄んだ瞳はじっと空を見続けている。

それは野咲和だった。

春明はそんな和を見続けながら思い出す。

和もクラスで浮いた存在だった。それは春明とは違った意味で。

和は愛らしい容姿と無邪気な行動でクラスの男子女子問わず可愛がられていた。

ただ、和は基本的に一人でいることが多かった。きままに外を散歩したり、なにかをうんうんと考え込んだりしていることが多い。所属している美術部にもあまり顔を出さない。

春明にとって、和は雲のように掴みどころが無く、ふわふわとした不思議な存在だった。


春明が和について考えていると、遠くから誰か駆けてくる。

春明は考えるのを止めて、駆けてくる方へ振り向くと、それは汐織だった。汐織はノートとファイルを一冊づつ抱えている。

汐織が少しだけ息を切らしながら、春明にたずねる。

「なに見てたの?」

「ほら、あそこに野咲さんが…」と、春明は校舎の方を指さす。

汐織が目を細めてみるも、

「誰もいないじゃない」

春明も確認する。

「あれ、さっきまでは居たんだけど」春明はきょろきょと校舎を見回す。

「まぁ野咲さんはいつもふわふわと動き回っているからね」

「それじゃあ活動しましょう」と汐織はベンチの隅へ腰を下ろす。

汐織は春明に向き直り、持ってきたノートとファイルを春明に突き出す。

「これ、絵画鑑賞の入門書の要点を書いてきたわ」

春明はそれを受け取ると、ぱらぱらとめくり始める。

ファイルに入った資料には絵画の画像がのっている。

「ありがとう。しっかり勉強するよ」

汐織はそれには答えず淡々とした口調で説明を始める。

「それで、実際に話しかけることについては…」と間を置いて、

「手順はこちらて用意するわ。話しかける話題の《形》もこちらで用意するわ。ただ、言葉選び、つまり話の具体的な内容はあなたが考えるのよ。そうしなくちゃ、あなたは何も変わらないからね」

「ああ…わかってるよ」と春明は真面目な顔で頷く。

「資料も手順も私が用意してるんだから、充分過ぎる援助だと思うけど」

春明は黙ったまま、ノートをめくっている。

しばらくしてノートに目を通し終わった春明は、不安そうに汐織のほうを向く。

「ちょっと言いづらいんだけど…こんな臭い、いや大げさな台詞で、友達でもない男子から話しかけられたらドン引きすると思うんだけど」

汐織はそれを聞くとむっとした表情で言い返す。

「条件、忘れたの?」

春明は俯いてぼりぼりと頭を掻きながら言う。

「そりゃあ、忘れてはいないけど」

「じゃあ言う通りにするのね。安心なさい。父の書斎からよさそうな本を選んで、書き写したんだから」

春明はしぶしぶと頷く。

「わかったよ…」とまだ少し不安げに答えた。

「それじゃあ」と汐織は場を切りなおして、

「さっそく練習するわよ。そのノートに書いてある詩を参考に、どうやって話しかけるか具体的に考えていきましょう」

春明は頷くと、自分のカバンからノートとペンを取り出しながら思う。

――本当に大丈夫かなぁ。

 不安そうな春界の表情に対し、汐織はの方は嬉々としている。

春明がおずおずと手を上げる。 

「質問、いいですか」

「…どうぞ」と資料を見ながら汐織が答えた。

「ノートを見て思ったんだけど、俺にはこんなに語彙がない。それに韻だのなんだのってのも、難しくてよくわからないんだが…」

汐織はこめかみに手を当ててため息を吐く。

「ちょっとまってね」と言って汐織はカバンから『恋愛理論』を取り出す。

びっしりと張ってある付箋の中からある一ページを開く。

《異性との友情について》のパラグラフを読み進める。

汐織はうんうんと頷きながら文字を追う。

春明は不安そうに汐織を見つめる。

汐織がぱたんとノートを閉じて、春明に向き直る。

「そうね。無理して格好の良い言葉を使わなくてもいいわ。むしろ使わないほうがいい」

汐織は得意げに続ける。

「それよりも、あなたの身についている言葉、身近な言葉、それを目いっぱい使っていけばいいと思うの」

「身近な言葉…」

春明はぶつぶつと言葉を探している。

「なにか思い浮かぶ単語とか無いの?」と汐織が急かす。

春明は両手を組んで唸る。

「無意識に浮かんだ言葉でいいわ。詩とかそういうのは気にしないで言ってみて」

「割引、夕食、エリンギ、レタス、しめじに胡椒…それに」と春明は指を折りながら言った。

汐織は大きくため息をついて春明を止める。

「もういいわ。あなた食べ物の事しか考えてないの?」

「いやだって、思いつくままって言ったから…」

「わかったわ。それじゃあ、詩の言葉を借りるなり辞書を読むなりして、あなた自身でどうにかしてくること、わかった?」

「ああ、やってみるよ」と、春明はしぶしぶ頷く。

「それじゃ実際に声をかける練習をしましょうか」

ごくりと春明は固唾を飲む。

 「これが一番難しいかもしれないわね」と汐織は深刻そうに言った。

汐織は続ける。

「本によると…じゃなくて、私の考えだとやっぱり定番は天気の話かしら」

「え」と春明はぽかんとする。

汐織は少し焦っている。

「いや、だから天気よ、私なにかおかしいこと言った?」

「い、いや何でもないよ」

――本当に大丈夫なのか。いや、俺がおかしいのかもしれない。

そうだ、汐織の言う通りにしよう。下から三番目の俺が考えるよりよっぽど正しいだろう。

春明は自分にそう言い聞かせる。

汐織は、慌てて春明に背を向けカバンから『恋愛理論』を取り出す。

――おかしいこといったかしら。いや、私の集めた情報によれば問題ないわ。ええ、大丈夫。

汐織は、落ち着きを取り戻して、春明に向き直る。

「方法の一つとして天気と言ったまでよ。勿論他にも方法は考えてあるわ」

「ああ、そうなんだ」と春明はほっと息を吐く。

「そうね、どうやって自然に芸術の話しまで持っていくかが問題ね」

「うん、俺もそう思う」と小さく頷く春明。

「いや、鼻っから芸術の話題でいくのもありかもしれないわね…」

汐織は頭のエンジンがかかったように、饒舌になり、そしてぽんぽんと案が浮かんでくる。

春明の方も、そんな汐織が頼もしく思えてきて、信頼を寄せて、やる気も俄然出てくる。

「うんうん、それで」

「だからね、天気といっても雲というのは象徴的にはね…こうで…ああで…」

「なるほど…だからか…それで…」

二人はだんだんと興奮してきて、話もどんどんと膨らんでいく。

休み時間が終わる寸前まで二人は黙々と話し合っていた。


その日の夜、バイトを終えてシャワーを浴びた春明は、いつものように布団に寝転んでいる。

仰向けになって、汐織に渡されたノートを広げる。

ぱらぱらとページをめくりながら昼休みに話し合ったことを思い出す。

「こんにちは、今日はやたらに白樺の若葉が薫りますね。野咲さん、ここに座って少しお話ししませんか?僕らはシロツメクサの上に立ったのだから」

口の中で口説き文句を繰り返す。

野咲さんか…。

春明の頭にはこじんまりした和の姿が思い浮かぶ。

春明はすっかりその気になっていた。

 


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