15
翌日、放課後。春明と汐織は約束した場所、校庭隅のベンチにいる。
遠くグランドから運動部掛け声と駆ける足音が聞こえてくる。
汐織と春明はベンチの両角に、なるべく離れるように距離を取って座っていた。
汐織が春明の方を向いて話し始める。
「ところで」汐織は続けて、
「あなた、今好きな人いるの?」と目をそらしながら言った。
春明はもごもご答える。
「いや、いない」
「はぁ、そうだと思ったわ」
「だって、家事やバイトで忙しいし、そもそも俺は女子が苦手というか…」
汐織は春明の言葉を遮って言う。春明が中学時代の話を始めそうだと察した。
「もうそれ以上言わないでいいわ。あなた変わりたいんでしょ、昔の事は考えない」
「わ、わかった」と春明は返事をする。
「それじゃあやっぱり女友達をつくって、それを広げて、女子と接する機会を増やすことから始めるしかないわね。あなたもそれでいいわね?いきなり告白するよりいいと思うんだけど」
春明は少し考えてから口を開く。
「うん、俺もそれがいいと思う。俺に合ってる気がする」
それを聞くと汐織は、こほんと一つ咳ばらいをして、
「ちゃんと読んだんでしょうね。渡したノート」
「ああ、バイトが終わってから家で読み始めたんで、半分くらいしか読めてないけど」
汐織は満足そうに頷く。
春明はそれを見て思う。なんだかコイツ、うきうきとしてるな。
「それで」汐織は身を乗り出して春明に言う。
「つまり《まずは友達から》は読んだということね」
「ああ、読んだよ」
「じゃあ、内容を少し言ってみて」
春明は身を正して、喉を鳴らしてから言い始める。
「ええと、清潔な身だしなみ、明るい表情と話し方、下準備をしっかりしてから行動する、第一印象は大事であるからして…」
沙織は片手を上げて、春明の話を止める。
「もういいわ。充分よ」
そう言うと汐織は、春明の体をつま先から頭までずずっと観察する。
春明は恥ずかしそうに、体をそむける。
「な、なんだよ。別に汚くないだろ」
「ええ、ぎりぎり及第点ね」
春明はほっとして息を吐く。
「ただ、目つきが悪いわね。なんていうか斜に構えているというか、世の中に拗ねているというか」
春明が向きなって言い返す。
「目つきはしょうがないだろ。いや、できる限り明るい感じにしようとは思うが…」
「そうね、人の人生観にまで口を出してもしょうがないわね。」汐織は小声で続けて、
「ねじ曲がった性根はどうしようもないということね」とぼそっと言った。
春明は少しムッと顔をしかめたが、黙ったままでいる。
「それと、頭を掻く癖はやめなさいよね」
「…わかったよ」と頭を掻きそうになった手を引っ込めて春明は答えた。
汐織は満足そうに頷くと、咳払いをしてまた話し始める。
「本題に入るわよ。まずは女子の友達をつくることからね…。あなた、クラスの中に話したことのある女子、一人くらいいるでしょ?」
「まあ、話したっていうか必要最低限の事なら…」と、ぶつぶつと春明。
汐織はため息を吐いて頭を左右に振る。
「もっと踏み込んだ話よ。日常会話とか…」
「いや…ないなぁ」と春明は、弱弱しげに言った。
「じゃあ、委員会が一緒だったり、何か行事で一緒になった女子とかさ」
苛立たしげに汐織がたずねた。
春明は腕を組みながら考え込む。
「うぅん」
「どんな些細な事でもいいのよ」と汐織が急かす。
「む…」
何か思いついたようにばっと顔を上げる春明。
「そういえば」
期待に満ちた瞳で汐織がたずねる。
「なに、なにか思いついたの?」
「去年のスキー教室の時に、ほら同じクラスの野咲、野咲和と偶々二人ででゴンドラに乗って、きょどりながらも色々と話したなぁ。勿論それっきりだったけど」
「野咲さんね…。何時もぼおっとしてる背の小さい子よね。一体何の話をしたの?」
「ホテルのご飯のこととか、スキー場で食べるラーメンとかカレーのおいしさについてとか」
「食べ物以外ではなにかないの?切っ掛け作りになりそう話題は」
「あとは雪景色の話と…絵画の話しかな」
汐織はぱんっと手を叩いて嬉々として言う。
「それよ!そういえば野咲さんって美術部だったわね」
「へぇー」と春明は気ぬけた返事をした。
「へぇー…じゃないわよ。これは大きな接点になるわよ」
「でも俺、絵とか芸術なんて全くわからないし…」
「だから、これから勉強すればいいでしょう。そんな深く勉強しなくても、切っ掛けになる程度、つまり浅く広くでいいと思うわよ」
「そう…かなぁ」春明は自信なさげ言った。
「わからないところは正直に言えばいいのよ。嘘ついたり知ったかぶりするよりいいわよ」
汐織は腕を組んで考え始める。
「野咲さん、どういう絵が好きなのかしら…絵についてはどういう話をしたのかしら」
「なんか、自然と芸術の話だったかな。芸術は人間にとって程よい大きさと持続性を持ったものだとかなんとか…。それで自然がどうだとか。俺にはまったくわからなかったけど」
「そう…じゃあやっぱり広く浅く知識をつけていって、わからないところはわからないと正直に言って、むしろ教わるような流れにすればいいかもしれないわね」
汐織は頭が良く回ってきたようで、饒舌になる。
「それじゃあ、明日の昼休みに、絵画関係の資料と、最初に声をかけるときの言葉を書いたノートを持ってくるわね。野咲さんと友達になれるようにね」
汐織が続けて言う。
「あと、昨日渡したノートの後半もちゃんと読んでくるのよ。あなたが為すべき事が書いてあるから。ちゃんと自分の頭で考えるのよ」
春明は気圧された風にひるんで答える。
「あ、ああ。よくわからないけどやってみるよ」頼りなさげに言った。
汐織は時計を確認する。
「それじゃあ当面の目標は野咲さんと友達になることね。長期の目標としては、女子の友達を広くつくることよ、わかってるわね。いきなり恋人なんてできないわよ」
「ああ、わかった…女子の友達だな…」
「そうよ。じゃあ今日はこれまでね。絶対にノートを読んでくるのよ」
「わかってるよ」
汐織は、春明の答えを聞くとにこやかな表情で去っていく。
春明も少し間を置いてから校舎に戻っていった。




