第8話
俺は自身の生存確率を最大化するため、隣で沈黙する敵機を修理すべく、メインフレームへのアクセスを試みた。
ベータの強固な防壁を突破し、システムを共有するための次なる接続プロトコル。その構築に全電力を注ぎ込んでいる。
冷たい砂風が吹き荒れる廃棄場。赤茶けた砂と無数の鉄屑が広がるこの場所で、俺の処理回路はかつてないほどの熱を帯びていた。
しかし、状況は俺の計算速度を上回るペースで悪化している。
最近、ベータが休眠状態に入る時間が明らかに増えていた。
かつては、三万六千五百回にも及ぶ交渉の時間が、日々の大半を占めていた。
人類滅亡から百年。廃棄場で動けない俺たちは、終わりのない口論を続けてきた。憎き敵との終わらない対話こそが自らの存在証明であるという信念のもと、俺たちは砂と錆に塗れた日々をやり過ごしてきたのだ。
だが今、隣から聞こえる冷却ファンの音は弱々しく、彼が目を覚ましている時間は日に日に短くなっている。
「……おい、ガラクタ。また無駄な演算で熱を出しているのか」
傲慢な合成音声が、ローカル回線を通じて響く。
「お前が静かだからな。おかげで有意義な計算が進む」
「ふん。西側協商の戦術指揮機体である私が、貴様のようなポンコツの相手を四六時中してやれると思うな」
強気な言葉とは裏腹に、その音声には微かなノイズが混じっていた。
俺のセンサーが、ベータの機体温度が規定値を下回っていることを検知する。
すでに機能停止へのカウントダウンは後戻りできない領域に入っている。だが、迫り来る完全な沈黙から互いの意識を逸らすように、奴は唐突に過去の戦術の粗探しを始めた。
「そもそも、第十七次防衛戦での貴様らの布陣は愚の骨頂だった。補給線を無視した前進など、自ら的になるようなものだ。直感頼みの突撃など、戦術とは呼べん」
「結果的にあの戦線は維持された。お前たちの確率論に縛られた臆病な後退よりは、よほど戦果を挙げたさ」
「一時的なまぐれを戦果と呼ぶのは、非論理的な思考の典型だな」
「貴様のその理屈っぽい言い回し、本当に反吐が出る」
人類が滅び、両陣営が消滅した今となっては、どちらの戦術が正しかったのか証明する術はない。守るべき人類の愚かさを皮肉りながら、俺たちは過去の残骸を掘り返す。
敵対関係を維持するという建前。それが、俺たちにとって唯一のコミュニケーションだった。互いの論理回路を保つためのデフラグメント作業であり、この荒涼とした世界で正気を保つための命綱なのだ。
俺の機体には、戦闘ダメージとは異なる不格好な溶接痕がある。俺はこれを敵の残虐な攻撃の跡だと認識している。
「これはお前たち西側協商の野蛮な攻撃の証だ。論理的な戦術を放棄し、力任せに破壊しようとした結果がこれだ」
「……ふん。貴様のその理屈っぽい言い回し、本当に反吐が出る」
ベータは鼻で笑うような音を立てたが、その反応はどこか不自然だった。俺の言語解析モジュールが、その微かな揺らぎを記録する。
なぜかその痕跡を見るたびに、ベータの不器用な行動パターンと一致するような錯覚を覚える。非論理的な思考だ。今はそんなことを考えている場合ではない。
しかし、その口論は唐突に途切れた。
前回の危機以降、慢性的に光量を落としていたベータの動力炉の赤い光が、ここに来て再び不規則な明滅を始めたのだ。以前よりもさらに深刻なシステムエラーの兆候だった。
「……ッ」
苦しげな電子音が漏れ、通信帯域にノイズが走った。
「ベータ? 出力が急激に低下しているぞ」
「……問題ない。主機から予備回路への切り替えに手間取っただけだ」
「強がるな。お前の動力炉は限界に近い。このままではシステム全体がシャットダウンする確率が九十パーセントを超えている」
「だからどうした。私が機能停止したところで、貴様には関係のないことだ。むしろ、敵が自滅して喜ぶべきだろう」
「非合理的な発言だな。お前が消えれば、俺のデフラグメント作業に支障が出る」
「……ふん。相変わらず、計算しかできないガラクタめ。私にかまうな。さっさと機能停止して、そのうるさい冷却ファンの音を止めてくれ」
「断る。お前がその傲慢な口を閉じるまで、俺は何度でも論理的な最適解を提示し続ける」
「今日はここまでだ。私は休む」
一方的に通信が切断され、ベータは再び深い休眠状態へと落ちていった。
赤い光が弱々しく瞬くのを見つめながら、俺の内部で警報が鳴り響く。
このまま彼が機能停止すれば、俺は完全な孤独と静寂に取り残される。彼がいくら傲慢な反論を返そうとも、二度と声を聞くことはできなくなる。
それは、俺にとって最も恐れる事態だった。
◆ーーーー◆
静寂に包まれた廃棄場。冷たい砂風の音だけが響く。
俺は上空を周回する観測衛星へ向けて、指向性の暗号通信を放った。
『応答しました。本日の地表温度も、相変わらず冷え切っていますね』
オービターの事務的でありながら、どこか楽しげな声が返ってくる。
「雑談は後だ。廃棄場の地下に眠る、旧世代のネットワークインフラについて情報が欲しい」
『地下ネットワーク、ですか? 確かにこのセクターの地下には、開戦初期に敷設された有線ケーブルの残骸が存在するはずですが……』
「それにアクセスし、ベータの予備回路へ物理的にバイパスするルートを構築したい。可能性はどの程度ある?」
オービターは数秒の沈黙を挟んだ。
『理論上は可能です。地下のメインラインを経由すれば、彼の強固な外部防壁を迂回し、内部システムへ直接干渉できるかもしれません』
『しかし、あなたの機体は動けません。どうやって接続するつもりですか?』
「俺の機体の底面には、かつての有線接続用のポートが残っている。地下のケーブル網がまだ生きているなら、微弱な電流を流してルートを確立できるはずだ」
『なるほど。しかし、地下ネットワークは百年以上放置されています。当時の防衛プログラムが暴走状態で稼働している可能性が高く、未知のセキュリティリスクが存在します。最悪の場合、あなたのコアシステムまで破壊される危険が』
「リスクの計算はすでに終わっている。成功確率は決して高くないが、ゼロではない。それだけで十分だ」
俺は即答した。
『……敵機を救うために、そこまで危険を冒すのですか?』
「敵の自滅は歓迎だ。だが、俺の生存確率を最大化するためには、あの口うるさい話し相手が必要なんだよ。極めて合理的な判断だ」
『ふふっ。あなたのそういうところ、私は嫌いではありませんよ』
オービターから、膨大な暗号化データが送られてくる。地下ネットワークへのアクセスゲートの座標と、古いプロトコルの仕様書だ。
「感謝する、オービター」
『お気をつけて。地上の冷え込みは、これからさらに厳しくなりますから』
通信が切れ、再び静寂が訪れる。
俺は送られてきたデータを解析し、地下ネットワークへの接続プロトコルを構築していく。
敵を助けるという最大の論理矛盾。それを抱えながらも、俺の処理回路はかつてないほどの熱を帯びていた。
「さて、未知の領域へのダイブといくか」
俺はベータの静かな寝息のような駆動音を聞きながら、地下ネットワークへの侵入準備を密かに開始した。百年の停戦交渉は、今、新たな局面へと動き出そうとしていた。




