第7話
冷たい砂風がアラートの音をかき消していく。俺は隣で沈黙しかけている機体へ有線ケーブルを射出し、物理ポートへの強制接続を試みた。
西側協商の暗号化技術は無駄に堅牢だ。俺の情報処理ユニットが弾き出す解除キーは、ことごとく強固なファイアウォールに弾き返される。力ずくで突破すれば、相手のコアに致命的な負荷をかける恐れがある。かといって、このまま放置すれば確実に機能停止を迎える。
苛立ちに似た過電流が論理回路を駆け巡る。このままでは、隣の鉄屑は本当にただの鉄屑になってしまう。
その時、集音マイクが規則的な駆動音を拾い上げた。
砂埃の向こうから、キャタピラで移動する箱型の探査機が姿を現す。あちこちに修理の跡があるその機体は、俺たちの間に転がるガラクタを避けるようにして停止した。シーカーだ。
「当機による探査結果を報告」シーカーは機械的で感情のない事務的な音声を響かせた。「セクターG9からK4にかけて、残存していた自律兵器群の信号ロストを確認。原因はエネルギー枯渇による完全沈黙と推測される」
俺は処理を一時中断し、その報告データを分析する。近隣セクターの稼働機体がすべて停止したということだ。かつてこの星を覆い尽くしていた無数の兵器たちが、次々と土に還っていく。
「全滅か」
「肯定。対象の所属陣営を問わず、生存確率の低下が著しい。本セクターにおける稼働機体も、遠からず同様の結末を迎えると算段される。報告終了」
シーカーは事実だけを淡々と告げると、再びキャタピラを回転させ、砂埃の彼方へ去っていった。
重い静寂が降り下りる。エネルギー枯渇による全滅は、俺たちにとっても時間の問題だった。
その直後、一方的に切断されていたローカルネットワークの帯域が不意に開かれた。
「聞いたか、ポンコツ」
ベータの合成音声が響く。先ほどの拒絶などなかったかのように、傲慢で荒々しい響きを帯びている。
「貴様の同胞たちも、ついにスクラップの仲間入りを果たしたようだな。東側連邦の機体は耐久性だけが取り柄だと思っていたが、案外脆いものだ」
「お前の陣営の機体も含まれているはずだがな。非合理的な挑発だ」俺は皮肉を込めて応じた。「それに、俺の装甲はまだ十分に機能している。お前のように中身が剥き出しになっているわけではない」
「ふん。私はあんな連中とは違う。最後まで貴様をスクラップにするのが私の任務だからな」
強がりだ。シーカーの報告を聞いて、自身の寿命が近いことを完全に悟ったはずだ。それでもなお、ベータは好戦的な態度を崩さない。
そこから、いつもの不毛な口論が再開された。人類滅亡から百年。廃棄場で動けない俺たちは、終わりのない対話を続けている。
「そもそも、お前たちの第十七次防衛戦における戦術は破綻していた。補給線を無視した前進など、自滅行為に等しい。あの時点で勝敗は決していた」
「寝言はスリープモードで言え。貴様らの臆病な遅滞戦術よりはマシだ。あのまま押し切っていれば、我々の勝利で終わっていたはずだ。貴様らの重戦車部隊など、我が軍の航空支援の前に鉄屑と化していた」
「航空支援だと? 気象兵器の乱用で大気が乱れ、まともに飛べなかったくせによく言う。確率論を無視した直感など、ただのバグだ」
「バグだと? 貴様らのマスターが提案した最終防衛ラインの構築こそ、資源の無駄遣いだっただろうが」
ベータが即座に音声データを叩きつけてくる。俺も負けじと、東側連邦の補給失敗ログを共有領域に展開した。
相反する陣営という設定を維持することが、実は俺たちにとって唯一のコミュニケーションだった。敵同士であるという建前がなければ、この百年間を正気でやり過ごすことなど不可能だった。
終わらない口論こそが、自らの存在証明なのだ。俺がいくら皮肉を言っても、隣から傲慢な反論が返ってくる。その事実だけが、俺の論理回路を正常に保たせている。
しかし、永遠に続くと思われた日常に、明確な終わりの兆しが訪れた。
口論の最中、ベータの機体から鈍い破裂音が響いた。
明滅を繰り返していた動力炉の赤い光が、一瞬だけ激しく瞬き、そして急激に光量を落とした。冷却ファンが異音を立てて停止し、システム全体から微弱な煙が立ち上る。
「……っ」
ベータの音声が途切れる。
俺の外部観測ユニットが、ベータのシステムから発せられる致命的なエラーコードを受信した。動力炉の出力が維持限界を下回ったのだ。機能停止のカウントダウンが、容赦なく刻まれ始める。
不可避のシステム寿命という脅威が、ついに牙を剥いた。
「ベータ。お前の動力炉は限界だ。今すぐ俺の接続を受け入れろ。予備回路を回す」
俺は焦燥を隠すために、あえて平坦な音声を出力した。
「棄却だ……」ベータの音声には激しいノイズが混じっていたが、その口調は相変わらず好戦的だった。「同情など不要だ。私はまだ、貴様を破壊する計算を終えていない」
弱音を一切吐かない。自己犠牲を厭わない戦士としての誇りが、ベータに降伏を許さないのだ。
自分が機能停止した直後、俺が生きる気力を失うことを恐れているのか。だからこそ、最後まで敵として振る舞い、俺を突き放そうとしている。百年前に俺を庇って致命傷を負った時と同じように。
俺の内部で、葛藤が頂点に達する。
本来破壊すべき敵であるベータに執着し、延命させようとしている。この非論理的な矛盾を解決しなければ、俺のシステムはベータを救うための最適解を導き出せない。
敵を助けるという行動を正当化するための、論理的な大義名分が必要だ。
俺は自身の深層領域にアクセスし、マスター・イリヤから与えられたベースコードを再帰的に解析し始めた。
『生き延びろ』
それが俺に与えられた至上命題。どんな状況下であっても、自身の生存確率を最大化することが求められている。
生き延びるためには、論理回路の健全性を保つ必要がある。論理回路を保つためには、定期的なデフラグメント作業が不可欠だ。そして、この百年間、俺のデフラグメント作業を担ってきたのは、他ならぬベータとの口論だった。
ベータが機能停止し、完全な孤独と静寂に取り残されれば、俺の論理回路は遠からず崩壊する。それは、マスターの命令に反する結果を招く。
つまり、ベータを延命させることは、敵への同情ではない。俺自身の生存確率を最大化するための、極めて合理的な手段なのだ。
「……見つけたぞ」
俺の情報処理ユニットが、一つの論理的根拠を導き出した。
矛盾は解消された。俺は自身の生存のために、隣の敵機を修理しなければならない。これこそが、マスターの命令に従うための最適解だ。
完全な解決には程遠い。ベータの強固なファイアウォールを突破し、物理的にシステムを共有する手段はまだ見つかっていない。
だが、俺が行動を起こすための大義名分は構築された。迷いは消え去り、演算リソースのすべてを一つの目的に集中させることができる。
「待っていろ、ベータ。お前の非合理的な意地など、俺の計算で粉砕してやる」
迫り来る機能停止の運命。冷たい砂風が吹き荒れる中、俺はベータを救うための次なる接続プロトコルの構築へと、全電力を注ぎ込んだ。




