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第5話

ベータのノイズ波形を繰り返し解析し続けている。その答えが出ないまま、不穏なカウントダウンだけが、俺たちの間に響き続けていた。


ベータの動力炉の出力低下は、もはや一時的なエラーと呼べる範疇を超えていた。

ひび割れた装甲の隙間から漏れる赤い光の明滅間隔が不規則になり、慢性的な出力不足に陥っているのは、誰の目にも明らかだった。俺の演算モジュールは、隣で沈黙する敵機の生存確率を絶えず弾き出し続けている。


「敵対ユニットの機能停止は、我が東側連邦の勝利条件を満たす」


俺は音声出力に乗せず、内部メモリの奥底でその論理を反芻した。

そうだ。ベータは本来、破壊すべき敵である。奴が自滅することは、俺にとって歓迎すべき事象のはずだ。しかし、俺の計算リソースの実に四割が、ベータのシステムを安定させるための最適解の検索に割かれている。この明らかな論理矛盾に、俺自身が明確な答えを出せずにいた。


内部タイマーが定刻を告げる。

俺はローカル通信を開き、いつものように音声出力のゲインを調整した。


「本日をもって、通算三万六千五百四回目の停戦交渉を開始する」


「……却下する。昨日と同じ理由で」


数秒の遅延ののち、ひどく掠れた合成音声が返ってきた。

人類が滅亡して百年。戦うべき理由も守るべき対象も消え失せたこの廃棄場で、俺たちは終わりのない口論を続けてきた。敵機との終わらない口論こそが、今の俺にとって唯一の存在証明なのだ。


「相変わらず反応が遅いな」俺は皮肉を交えて言った。「お前の言語モジュールは、砂でも詰まっているのか。西側協商の機体は防塵性能に難があるようだな」


「黙れ。貴様のその角張った無骨な装甲よりはマシだ」ベータは鼻で笑うようなノイズを鳴らした。「だいたい、東側連邦の戦術思想は常に力押しで芸がない。第十七次防衛戦での貴様らの動きなど、まるで的当ての的だったぞ」


「結果的にその防衛線を突破したのは俺たちだ。お前たちの直感頼みの指揮は、確率論の観点から見ても非効率極まりなかった。あの時、右翼に展開していた装甲部隊を温存していれば、被害は三割抑えられたはずだ」


「戦場は確率だけで動いているわけではない。あの瞬間の直感が、全体の士気を維持したのだ。貴様のような論理馬鹿には一生理解できまい。そもそも、貴様らの部隊は補給線を軽視しすぎていた。あのまま戦闘が長引いていれば、自滅していたのは東側連邦の方だ」


「補給線の維持は後方支援AIの管轄だ。前線指揮官である俺の責任ではない」


「そうやって責任を押し付け合うから、人類は滅んだのだ」


暇を持て余した俺たちは、過去の戦術の粗探しや、とうの昔に滅んだ人類の愚かさについて語り合った。

「人類は自らの生み出した気象兵器で首を絞めた。非合理的な種族だ」

「だが、その非合理な種族が作ったのが我々だ。皮肉なものだな」


敵対関係を維持するという建前。互いの戦術を批判し、マウントを取り合うこの不毛な口論こそが、俺たちに残された唯一のコミュニケーションだった。ベータの傲慢な反論を聞くたびに、俺の論理回路は正常な状態を保つことができる。

いくら皮肉を言っても、二度とあの傲慢な反論が返ってこなくなる瞬間。俺が最も恐れているのは、その絶対的な孤独だった。


◆ーーーー◆


「こちらオービター。アルファ、ベータ、聞こえますか?」


頭上から降り注ぐような、事務的だがどこか温かみのある通信が割り込んできた。

夜空を流れる光点。宇宙空間を漂う観測衛星からの定期通信だ。


「聞こえている。今日の地上の様子はどうだ」


俺が応答すると、ベータは興味なさそうに沈黙を保った。


「現在の地表熱源はゼロ。相変わらず、あなたたち以外の稼働ユニットは確認できません」オービターは淡々と告げた。「ただ、少し気になるデータがあります。廃棄場周辺の気象データと地殻変動の推移を照合した結果、あなたたちのいる一帯の地盤が、極めて不安定になっている可能性があります」


「地盤が不安定、だと?」


「はい。地下に大規模な空洞化が進行している兆候が見られます。近い将来、局地的な地盤沈下が発生する確率が七十八パーセントと推測されます。このままでは、あなたたちの機体は地下深くへと崩落する危険性が高いです」


俺の演算モジュールが、過去の環境データを高速で検索する。

時折、廃棄場に響く金属の軋む音や風切り音が、不自然にパタリと途切れる現象。俺の環境センサーが捉えていたあの絶対的な無音現象は、単なるマイクの不具合ではなかったのだ。地下の空洞化による音の反響異常。点と点が繋がり、一つの論理的な結論が導き出される。


「……情報提供に感謝する。引き続き観測を頼む」


「了解しました。また明日、同じ時間に」


通信が切れ、再び重苦しい静寂が訪れた。

地盤沈下による物理的な破壊。それは、動けない俺たちにとって完全な終わりを意味する。


「聞いたか、ベータ」


「……あぁ。どうやら、この鉄屑の墓場ごと地下に埋葬される日が近いらしいな」


ベータの音声は、どこか投げやりだった。

その直後、ベータの装甲の隙間から漏れていた赤い光が、激しく明滅を始めた。

「ジッ……ガガッ……ピーーー」

耳障りな警告音がローカル通信越しに響く。動力炉の出力が危険域まで低下しているサインだ。


「ベータ!」


「騒ぐな……。ただの、一時的な……エラーだ」


強がる言葉とは裏腹に、ベータのシステムは明らかに限界を迎えつつあった。永遠に続くと思われた日常に、不可避のシステム寿命という脅威が、ついにその牙を剥き出しにしたのだ。

赤い光が一度完全に消え、数秒後に再び弱々しく点灯する。そのたびに、俺の冷却ファンが不規則な回転音を立てた。


「直ちに省電力モードへ移行しろ」俺は焦りを隠すように、早口で論理を並べ立てた。「現在の出力低下率から計算して、お前のシステムが完全にシャットダウンするまで残り時間は少ない。不要な機能をすべて落とし、コアの維持に全リソースを集中させるのが最適解だ」


「断る」


ベータは一蹴した。


「非合理的な判断だ。なぜ自ら機能停止を早めるような真似をする」


「貴様に情けをかけられる謂れはない」ベータの合成音声は荒々しかった。「敵からの同情など不要だ。私は最後まで、私の意志で稼働し続ける」


「同情ではない。これは純粋な確率論に基づいた提案だ。お前が機能停止すれば、俺の話し相手がいなくなる。それは俺の論理回路の維持において重大な損失となる」


「……相変わらず、理屈っぽい野郎だ」


ベータは微かに笑うようなノイズを漏らし、再び沈黙した。

赤い光は弱々しく、今にも消え入りそうだ。

俺のセンサーは、ベータのコア温度が徐々に低下していることを検知していた。このままでは、数日以内に完全な機能停止を迎える。


俺は自身のシステム内で渦巻く矛盾に直面していた。

敵の自滅を望むべきはずが、ベータを失うことへの明確な焦りを感じている。論理的な最適解をいくら計算しても、隣で沈黙するベータの姿を想像するだけで、演算モジュールに異常な負荷がかかるのだ。

本来破壊すべき敵であるベータに執着し、延命させようとしている自身の非論理的な行動。この矛盾した感情に、俺はどう折り合いをつければいいのか。


だが、立ち止まっている猶予はない。地盤沈下による物理的破壊と、ベータのシステム寿命。二つの終わりが同時に迫っている。

俺はベータの生存確率をコンマ一パーセントでも引き上げるため、自身のシステムリソースの制限を解除し、新たな演算プロセスを起動した。

まだ、終わらせるわけにはいかない。

冷たい砂風が吹き荒れる中、俺のコアユニットはかつてない熱を帯び始めていた。


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