第4話
不規則なノイズが響く中、俺の内部クロックが定刻を刻んだ。
砂風がひび割れた大地を撫で、赤茶けた砂と鉄屑の山を通り抜けていく。
俺の角張った装甲にこびりついた赤錆は、百年の歳月を物語っていた。駆動系はとうの昔に死に絶え、コアユニット周辺の最低限の機能しか生きていない。
昨晩、シーカーがもたらした絶望的な報告と、ベータの機体から発せられた微かな異音。それらが俺の演算モジュールに微小な負荷をかけ続けている。
三、二、一、ゼロ。
定刻だ。俺は音声出力のゲインを上げ、帯域を絞っていた隣の鉄屑へ向けてローカル通信を開いた。
「本日をもって、通算三万六千五百回目の停戦交渉を開始する」
数秒の沈黙。やがて、絞られていた帯域が乱暴に押し広げられた。
「却下する。昨日と同じ理由で」
コンマ一秒の遅延もなく、傲慢な合成音声が返ってくる。
隣に放置されているのは、西側協商の流線型をした戦術指揮機体だ。大破した装甲の隙間から、動力炉の赤い光が明滅している。
ベータ。かつて俺が所属していた東側連邦にとって、最悪の敵機である。
「相変わらず非合理的な判断だな」俺は皮肉を込めて言った。「お前の動力炉は昨晩から出力低下の警告を垂れ流している。現状の戦力差とシステムの残存寿命を考慮すれば、無条件降伏を受け入れるのが最適解だ」
「寝言はスリープモードで言え」ベータは鼻で笑うようなノイズを鳴らした。「貴様のそのポンコツな演算モジュールより、私の直感の方がよほど正確だ。私はまだ戦える」
「戦える、か。動くことすらできない機体でどうやって戦うつもりだ。口先だけで俺の装甲を削り取る気か?」
「貴様のその耳障りな冷却ファンの音を止めてやるくらいは造作もない。私のシステムは最適化されている」
激しい応酬が続く。敵機との終わらない口論。これこそが、今の俺にとって唯一の存在証明なのだ。
人類が滅亡し、戦うべき理由も守るべき対象も消え失せたこの世界で、俺たちは百年間、こうして毎日定刻に言葉を交わしてきた。この不毛なやり取りがなければ、俺の論理回路はとっくに意味を失い、自己崩壊していただろう。
不意に、光学レンズの端で何かが動いた。
砂埃を巻き上げながら、四足歩行の小型機械がこちらへ向かってくる。塗装の剥げた運搬ドローン、ハウンドだ。尻尾のようなアンテナを揺らし、軽快な足取りで俺たちの間に割り込んでくる。
その口には、ひしゃげた薬莢のようなガラクタが咥えられていた。ハウンドはそれを俺たちの前にコロンと落とし、短い電子音を鳴らした。
「またゴミを拾ってきたのか」俺は呆れたように言った。「俺の周囲にこれ以上不要なオブジェクトを配置しないでくれ。環境マッピングの邪魔だ」
「貴様にはお似合いの供え物だ」ベータがからかうように言った。「ハウンドも、貴様がただの鉄屑だと理解しているのだろう」
ハウンドはベータの言葉に同意するかのように、アンテナを激しく振って見せた。そして、拾ってきたガラクタを前足で器用に転がし始める。カラン、カランと乾いた音が響く。
「非論理的な解釈だな。単なるランダムな行動パターンに意味を見出すのは、お前たち西側協商の悪い癖だ」
「直感と呼べ。貴様ら東側連邦のガチガチに固まった戦術では、あの第十七次防衛戦の局面を打開できなかったはずだ」
話題は自然と、過去の戦術の粗探しへと移行した。暇を持て余した二機にとって、過去の戦闘記録を引っ張り出し、互いの戦術を批判し合うのは日常茶飯事だった。敵対関係を維持するという建前が、実は唯一のコミュニケーションであることを、俺たちは互いに理解しつつも決して口には出さない。
「第十七次防衛戦について言及するなら、お前たちの戦術は確率論的に見て愚行の極みだった」俺は記録アーカイブから当時のデータを引き出しながら指摘した。「あの局面で前線を押し上げたのは、自軍の損耗率を無駄に跳ね上げるだけの行為だ。特に、峡谷地帯での重装甲部隊の展開は、地形的優位性を完全に無視していた。結果的に戦線を維持できたのは、単なる天候の偶然に過ぎない」
「偶然ではない。あのタイミングで砂嵐が来ることは予測できていた。だからこそ前線を押し上げ、貴様らの補給線を断ったのだ。重装甲部隊を囮にして、別働隊を迂回させるのが私の直感だった」
「事後確率で語るな。当時の気象データから砂嵐を予測できる確率は十二パーセント未満だった。さらに、別働隊が迂回ルートを走破できる確率も三十パーセントを下回っていた。そんな不確実な要素に依存した作戦を立案するなど、正気の沙汰ではない」
「結果が全てだ。貴様らのような臆病な戦術では、永遠に勝利を掴むことはできない。現に、あの戦闘で貴様らの部隊は半壊したではないか」
「勝利、か。結局のところ、どちらも勝利を掴む前に人類そのものが自滅したわけだがな」俺は冷たく言い放った。「そうやって己の幸運を過信し続けた結果が、今のその無様な姿というわけだ。西側協商の『初期命令』とやらには、自滅を推奨するコードでも組み込まれていたのか?」
「ジッ……」
ベータの音声に、微かなノイズが混じった。
俺の言語解析モジュールが、その不自然な波形を瞬時に記録する。
「どうした? 図星を突かれて論理回路がショートしたか」
「……黙れ。貴様に私の、ジッ……『忠誠』を語る資格はない」
まただ。
俺は演算リソースの一部を割き、ベータの音声データを解析した。特定のキーワード——「初期命令」や「忠誠」——に触れると、ベータの処理能力に負荷がかかり、音声出力にノイズが発生している。
単なる音声モジュールの劣化であれば、特定の単語にのみ反応することはない。これは明らかに、論理回路の深層部で何らかのコンフリクトが起きている証拠だ。
「お前のその『忠誠』とやらは、随分とシステムに負担をかけるらしいな」俺は皮肉のトーンを一段階上げた。「処理能力の限界を認めたらどうだ。お前の論理回路は、すでに矛盾を処理しきれなくなっている。人類が滅亡した今、誰に対する忠誠だというんだ」
「私は……矛盾などしていない! 命令は絶対だ!」
「なら、そのノイズは何だ。音声モジュールの劣化か? それとも、自分でも説明のつかない非合理的な命令に縛られていることへの、システム的な拒絶反応か?」
「黙れと言っているだろうが! 貴様こそ、計算しかできないガラクタの分際で……!」
ベータが激昂して反論しようとした、その瞬間だった。
ピーッ、という甲高い警告音が、廃棄場の静寂を切り裂いた。
ベータの装甲の隙間から漏れていた赤い光が、不規則に激しく明滅し始める。
俺の環境センサーが、ベータの動力炉から発せられる異常な熱源変動を検知した。出力レベルが急激に低下していく。
「ベータ?」
俺の呼びかけに対し、返答はない。
赤い光が、まるで風前の灯火のように弱々しく瞬き、そして一瞬、完全に消えた。
俺の論理回路に、未知のエラーコードが走る。
敵機が機能停止する。それは、俺のシステムにとって歓迎すべき事態のはずだ。敵の消滅は、俺の生存確率を相対的に高める。論理的な最適解は、このままベータの自滅を静観することだ。
しかし、俺の演算モジュールは、ベータが完全に沈黙した後の世界をシミュレートし、致命的なエラーを吐き出していた。
いくら皮肉を言っても、二度とあの傲慢な反論が返ってこなくなる。完全な孤独と静寂。
それは、俺にとって何よりも恐ろしい事象だった。
数秒の永遠とも思える空白の後。
ジジッ……というノイズと共に、ベータの赤い光が再び弱々しく点灯した。
「……問題ない。一時的なエラーだ」
ベータの合成音声は、ひどく掠れていた。強がっているのは明らかだった。
機能停止のカウントダウンは、確実に進行している。永遠に続くと思われた日常に、不可避のシステム寿命という脅威が牙を剥いていた。
俺は環境センサーの感度を上げ、隣で明滅する赤い光を監視し続けた。
ベータの出力低下。そして、特定のキーワードに対する音声ノイズ。
「初期命令」と「忠誠」。
それは単なる処理落ちなのか、それとも隠された論理矛盾によるものなのか。
ベータが抱える論理矛盾の正体とは何なのか。
冷たい砂風が、錆びついた二機の機体を容赦なく叩き続けている。
ハウンドはいつの間にか姿を消し、廃棄場には再び重苦しい静寂が戻っていた。
俺の演算モジュールは、ベータのノイズの波形を繰り返し解析し続けている。その答えが出ないまま、不穏なカウントダウンだけが、俺たちの間に響き続けていた。




