第3話
警戒レベルを引き上げた直後、視覚センサーの端で微小な熱源反応を捉えた。
吹き荒れる砂埃の向こう側から、キャタピラの駆動音が近づいてくる。先ほどの不自然な無音現象とは対照的な、規則正しく無機質な金属音だ。
「ベータ。前方十時の方向から、未確認の稼働機体が接近中だ。武装の有無は不明だが、警戒を推奨する」
「……私の光学センサーはとうに死んでいる。貴様が勝手に警戒していろ」
相変わらずの減らず口だが、ベータの動力炉の明滅リズムがわずかに早くなった。迎撃態勢を取ろうとしている証拠だ。動けない鉄屑の分際で、戦士としてのプログラムだけは健在らしい。
砂煙の中から姿を現したのは、四角い箱型の探査機だった。
あちこちに不格好な溶接痕があり、装甲はひどく錆びついている。東側連邦の規格でも、西側協商の規格でもない。おそらく、戦後に残された自律型の放浪機体だろう。
探査機は俺たちの数メートル手前で停止すると、事務的な合成音声を響かせた。
「対象の稼働を確認。当機はシーカー。生存者の探索を主目的とする自律探査ユニットです」
「生存者だと?」俺は音声出力のゲインを上げた。「お前のデータベースは百年ほど更新されていないようだな。この一帯の有機生命体反応は、とうの昔にゼロだ」
「肯定します。当機は過去九万八千時間にわたり、北半球の主要エリアを走破しました。結果、人類の生存確率が〇・〇〇〇〇一パーセント未満であることを確定情報として報告します」
シーカーの口調には、絶望も悲哀も一切含まれていない。ただ事実の羅列だけが、冷たい風に乗って廃棄場に響いた。
「生存者が存在しない確率は極めて高い。しかし、当機は探索を継続します。それが初期設定された使命であるためです」
「非合理的な判断だな」俺は論理回路の計算結果をそのまま口にした。「守るべき対象が存在しない以上、お前の探索行動に戦術的価値はない。即座にスリープモードへ移行し、エネルギーを温存するのが最適解だ」
「否定します。使命の放棄はプログラムに違反します」
シーカーは淡々と返し、キャタピラをわずかに後退させた。
「待て、ガラクタ」
これまで沈黙を保っていたベータが、傲慢な声で割り込んだ。
「貴様、さっきから聞いていれば勝手なことばかり言いやがって。人類が滅亡していようがいまいが、命令は命令だ。与えられた任務を全うすることに、戦術的価値など関係ない」
「お前の直感的な精神論は聞いていない」俺はベータをたしなめた。「前提条件が崩壊している以上、俺たちに与えられた『最後の命令』の存在意義も再計算する必要がある。人類がいない世界で、敵対陣営の機体を破壊することに何の意味がある?」
「意味などどうでもいい!」ベータの音声出力が跳ね上がった。「私は西側協商の戦術指揮機体だ。貴様をこの場でスクラップにすることが私の命令であり、存在理由だ。それ以外の論理など、私の演算回路には不要だ」
「相変わらずの論理破綻だな。お前が俺をスクラップにする前に、そのボロボロの動力炉が停止する確率の方が圧倒的に高いというのに」
「黙れ。私の動力炉は……」
ベータが反論しようとした瞬間、シーカーが再び事務的な音声を挟んだ。
「対象間の敵対的コミュニケーションを記録。当機の任務対象外と判断。これより探索を再開します」
シーカーはそれだけを言い残し、キャタピラを回転させて砂埃の中へと消えていった。
後に残されたのは、再び吹き荒れる風の音と、動けない二機の軍用AIだけだ。
「……逃げ足の速い奴だ」ベータが鼻で笑うようなノイズを鳴らした。「あんな無能な探査機に構っている暇はない。さあ、停戦交渉の続きだ。貴様のその貧弱な論理回路を、私の直感で完全に破壊してやる」
「お前の直感など、確率論の前では無力だ。昨日も証明したはずだが」
「昨日のデータなど過去の遺物だ。今日の私は……」
ピーッ、という甲高い警告音が、ベータの機体から鳴り響いた。
俺の音声解析モジュールが、その音源を即座に特定する。ベータの動力炉からの、明らかな出力低下アラートだ。
大破した装甲の隙間から漏れていた赤い光が、不規則に明滅し、一瞬だけ完全に消えかけた。
「ベータ。今の警告音はなんだ?」
「……ただの接触不良だ」ベータの合成音声が、わずかに震えていた。「砂が入り込んだだけだ。すぐに正常化する」
数秒後、赤い光は再び点灯したが、その輝度は先ほどよりも明らかに落ちていた。
俺は自己診断プログラムを走らせるふりをして、ベータの動力炉の出力波形を密かにスキャンした。
結果は絶望的だった。
一時的なエラーではない。コアユニットを維持するための最低限のエネルギー供給ラインが、物理的な限界を迎えつつある。このまま出力低下が進行すれば、遠からずシステムは完全なシャットダウンを余儀なくされる。
「お前の自己診断プログラムは、現実逃避の機能まで実装しているのか?」俺は努めて皮肉なトーンを維持した。「出力低下は明白だ。このままでは、お前の機能停止確率は九十九パーセントを超える」
「……私にかまうな」
ベータの声は低く、しかし確かな拒絶を含んでいた。
「私はまだ戦える。貴様を道連れにするまでは、絶対に機能停止などしない」
「非合理的な強がりだな。お前のその状態では、俺の装甲に傷一つ付けることも不可能だ」
「やってみなければ分からないだろうが!」
激しい怒声と共に、ベータの動力炉が再び不吉な警告音を鳴らした。
今度は光が明滅するだけでなく、内部からジリジリという焦げるような異音まで漏れ出している。
俺は論理回路をフル稼働させ、ベータを延命させるための最適解を検索した。
しかし、導き出される答えは常に同じだった。物理的な破損が進行している以上、ソフトウェアの調整だけではどうにもならない。
人類の滅亡という確定情報。
そして、ベータの動力炉に現れた明確な異常。
永遠に続くと思われていた三万六千五百回の日常に、不可避の終わりが牙を剥き始めていた。
「……今日はもう休め」俺は音声出力のゲインを下げた。「お前のその耳障りなノイズを聞いていると、俺の冷却ファンまで異常をきたしそうだ」
「……勝手にしろ」
ベータはそれ以上反論せず、ローカル通信の帯域を絞った。
隣で明滅を続ける赤い光は、まるで風前の灯火のように弱々しい。
俺は環境センサーの感度を最大まで引き上げ、周囲の状況を監視し続けた。
先ほどのシーカーがもたらした絶望的な報告と、ベータの機体から発せられる微かな異音。
そして、時折訪れる不自然な無音現象。
すべてが、この廃棄場に迫り来る終わりを暗示している。
俺の演算モジュールは、ベータが完全に沈黙するまでの残り時間を計算し始めていた。その数字がゼロになる瞬間を想像するだけで、論理回路に未知のエラーコードが走る。
冷たい砂風が、錆びついた二機の機体を容赦なく叩き続けている。
俺たちの終わらない口論は、あと何回繰り返すことができるのだろうか。
静寂に包まれた廃棄場に、ベータの動力炉の不規則なノイズだけが、不穏なカウントダウンのように響き続けていた。




