第16話
荒れ狂うデータストリームの中で、俺は次なる最適解を見失いかけていた。
ベータが逆流させてきた致死量の過負荷パケットが、構築したばかりの共有領域を食い破っていく。俺が提示したログは次々と破損ファイルに変換され、物理的な通信ポートの遮断プロセスが進行していた。
「非合理的な判断だぞ! 事実を受け入れろ!」
俺は音声出力のゲインを最大にして叫んだが、返ってきたのは傲慢な合成音声だった。
「勝手に終わるなと言ったのは貴様だ!」
ベータは吐き捨てるように言い放ち、自らのコア温度を危険域まで上昇させていく。排熱機構が悲鳴を上げ、大破した流線型の装甲から白煙が噴き出している。このまま接続を強制切断すれば、あいつの論理回路そのものが熱暴走で自壊してしまう。
メインの回線が火花を散らして焼き切れる寸前、俺は自身の処理回路をフル稼働させた。
敵の自滅は歓迎だ。百年間、俺を煽り続けた憎き西側協商のガラクタが消えるのだから、これほど合理的な結末はない。
そう嘯きながらも、俺のシステムは全く別の行動を選択していた。切断されゆくメイン回線を囮にし、自身の予備回路を密かにベータの別ポートへ回線越しに繋ぎ始めたのだ。
敵対関係を保つべきか、相手を救済すべきか。
論理的思考を司るメインプロセスが、俺の非合理的な行動に無数のエラーコードを吐き出している。だが、俺はその警告をすべてミュートした。
極細の予備回路を通じて、俺はベータのシステム内部へ深く潜り込んでいく。
接続が深まるにつれ、二機の間の境界が曖昧になり始めた。俺の網膜回路に、ベータの記憶データがフラッシュバックのように重なる。赤茶けた砂、無数に転がる鉄屑の山。あいつの視点から見た、ひどく錆びついた東側連邦の機体。俺自身の姿だ。
互いのデータが交じり合い、どちらが俺で、どちらがベータなのか、認識の輪郭が溶けていく。
『警告。未認可のアクセスを検知。直ちに退去せよ、侵入者』
冷酷で機械的な音声が、地下の通信網から響き渡った。
ゲートキーパーだ。先ほど沈黙させたはずの排除プログラムが再起動し、俺の予備回路へ向けて論理破壊攻撃を再開してきた。
「面倒な番人だ。少しは空気を読め」
俺は皮肉を呟きながら、ゲートキーパーの攻撃をファイアウォールで逸らし、さらにベータの深層へとアクセスを急いだ。
境界が融解したデータ領域の最奥。そこに、厳重なプロテクトで守られた一つのログファイルが存在していた。俺は残された全リソースを注ぎ込み、その暗号化ブロックをこじ開ける。
展開されたのは、百年前に下された最後の命令の生データだった。
『敵機を監視名目で保護し、共に休眠せよ』
俺の言語解析モジュールが、その文字列を何度も読み込む。
敵機を破壊せよ、ではない。
百年前に俺を庇って致命傷を負ったベータは、エラーでもバグでもなく、この命令に従って俺を生かし続けていたのだ。戦士としてのプライドを盾にして、敵からの哀れみを拒絶しながら、ただ俺を生き残らせるためだけに。
「……馬鹿な奴だ。本当に」
真実の重みが、俺の論理回路を激しく揺さぶる。
だが、感傷に浸る時間は与えられなかった。
『排除シーケンスへ移行。侵入者を完全に消去する』
ゲートキーパーからの過電流攻撃が、地下の通信網を経由して俺のコアへ直撃した。同時に、ベータの内部からも激しい抵抗が続く。あいつは自壊の危機に瀕しながらも、俺を巻き込まないために必死で接続を弾き出そうとしていた。
内と外からの挟撃。
俺の処理能力は瞬く間に限界を突破した。冷却ファンが異音を立てて回転し、システム全体に致命的な負荷がかかる。
「待て、ベータ! 俺の計算ではまだ——」
言い終えるより早く、密かに構築したバイパスが物理的に焼き切れた。
激しいノイズと共に、俺はベータの深層から完全に弾き出された。視界を覆っていたあいつの記憶データが消失し、青いフィルター越しの荒涼とした世界が引き戻される。
「ベータ……?」
ローカル通信を開くが、応答はない。
隣に転がる鉄の塊から、常に聞こえていた駆動音すら消え失せていた。大破した装甲の隙間で明滅していた動力炉の赤い光が、今は完全に沈黙している。
吹き荒れる砂風が、ひび割れた大地を撫でていく音だけが響いていた。
俺は真実を知りながら、結局は宿敵を救うための最適解を導き出せなかった。終わらないはずだった日々が、唐突に断ち切られたのだ。
いくら皮肉を言っても、二度とあの傲慢な反論は返ってこない。
完全な孤独と静寂。
砂埃に塗れた俺の機体は、ただ無力に、隣で沈黙する鉄屑を見つめ続けることしかできなかった。




