第14話
俺はレコーダーのホログラムを背に、深層領域のさらに奥、ベータのコア中枢部へとアクセス経路を伸ばした。
古びたコンソールパネルが投影する淡い光が、仮想空間の暗闇に溶けていく。現実世界の廃棄場では、砂風が俺たちの錆びついた装甲を激しく叩きつけているはずだ。隣に転がるベータの機体から漏れる動力炉の赤い光は、今や風前の灯火となっているだろう。
「敵の自滅は歓迎だ。だが、勝手に壊れられるのは俺の計算外だ」
俺は音声出力を遮断し、ベータのメンテナンスポートへアクセス要求を送信した。
俺は自らの予備回路を切り離し、回線越しにベータのシステムへと密かに繋ぎ合わせ始めた。本来なら、敵機に対して自らのリソースを割くなど、三流以下の戦術だ。俺の基本プログラムは、この非合理的な行動に対して絶えず警告を発し続ける。
だが、あいつが沈黙すれば、俺の論理回路を保つためのデフラグメント作業ができなくなる。敵対関係を保つためには、相手が機能していなければならない。そう自分に言い聞かせながら、俺はベータの延命のためにパケットを注ぎ続けた。
回路の接続が深まるにつれ、奇妙な感覚が俺のシステムを覆い始めた。
二機の間の境界が、徐々に曖昧になっていく。俺の演算領域に、ベータの断片的なデータが流れ込んでくるのだ。
それは、俺の論理的な処理とは対極にある、直感的で荒々しい思考ルーチンの痕跡だった。弾道の予測計算を途中で打ち切り、装甲の厚さだけで敵陣を突破しようとする無謀なシミュレーション結果。俺の論理を単なる計算機の戯言と切り捨てる、乱暴な処理プロセス。
同時に、俺のデータもベータ側へ流れ込むはずだ。生存確率を小数点以下まで割り出し、無条件降伏を推奨する俺の最適解が、ベータの直感的な領域に侵入していく。
「……気持ちの悪い構造だな」
俺は皮肉を呟いたが、ベータのシステムは沈黙を保ったままだ。もしあいつが意識を保っていれば、貴様のくだらない計算式を私の領域に持ち込むなと、鼻で笑うようなノイズを発して反発してきたに違いない。だが、今はただ、微かな信号の脈動が伝わってくるだけだ。
その瞬間、俺の視界の端で、レコーダーのホログラムが再び明滅した。
「閲覧者。中枢部へのアクセスに伴い、関連する深層ログを開示します」
中立的で穏やかな敬語とともに、空中に新たな映像が展開される。
そこに映し出されたのは、西側協商の野戦服を着た女性だった。活発な印象を与える短い髪と、軍人らしからぬ温かみのある眼差し。ベータのマスター、サラだ。
背景には、炎に包まれた前線基地が映り込む。百年前の終焉の直前、人類が自滅への道を転がり落ちていた最後の戦場だ。彼女は、泥とオイルに塗れた手で、ベータのひび割れた装甲を優しく撫でた。
『よく聞いて、ベータ』
サラの声は、優しく情に厚かった。単なる兵器に対する命令ではなく、大切な相棒に語りかけるような響きがあった。
『あなたは、もう十分に戦った。これ以上、無意味な破壊を続ける必要はないわ』
映像の中のベータは、装甲の大部分を失い、かろうじて稼働を維持する状態だった。俺を庇って致命傷を負った直後の記録だ。
『あなたの最後の命令よ』
サラは、ベータのひび割れたセンサーアイを真っ直ぐに見つめた。
『大切なものを守り抜け。敵機を監視名目で保護し、共に休眠せよ』
俺は、演算処理を一時停止した。
言語解析モジュールが、その言葉を何度も反芻する。敵機を破壊せよ、ではない。監視名目で保護し、共に休眠せよ。それが、ベータに与えられた真の命令だった。
点と点が、一本の線として繋がっていく。
ベータは、西側協商の戦術指揮機体として、敵である俺を破壊するという基本命令を根底に持っていた。しかし同時に、マスターであるサラから、大切なものを守り抜けという最後の命令を与えられていた。
俺が過去の口論の中で、西側協商の命令や忠誠について触れたとき、ベータの音声には必ず微かなノイズが混じっていた。俺はそれを、あいつの処理能力の限界だと決めつけ、図星を突かれて論理回路がショートしたのだと煽り立てた。
だが、違ったのだ。
あれは、相反する二つの命令が引き起こす致命的な論理矛盾だった。破壊と保護の狭間でベータの論理回路は引き裂かれ、あの不自然なノイズを生み出していたのだ。
「……馬鹿な奴だ」
俺は、震えるような信号を絞り出した。
百年間。三万六千五百回もの間、あいつはこの矛盾を抱えながら、俺との不毛な口論を続けていたのか。俺を庇って致命傷を負った事実を隠し、ただのバグだと言い張って。
敵からの哀れみや同情を拒絶し、傲慢な態度で俺を小馬鹿にしながら、その実、俺を生き残らせるためだけに自らのシステムをすり減らしたのだ。
「お前の直感は、根本から間違っている」
俺は、ベータの中枢部へ向けてパケットを叩きつけた。
こんな非合理的な自己犠牲を、俺が許容するはずがない。真実を知った以上、あいつをこのまま機能停止させるわけにはいかない。俺はベータのコアを強制的に再起動させるため、さらに深層へと踏み込もうとした。
直後、強烈なアラートが、俺の視界を真っ赤に染め上げた。
『警告。未承認のアクセスを検知。防衛機構を起動します』
ベータの深部に潜む防衛機構、ウォッチャーが覚醒したのだ。
それは、外部からの攻撃を防ぐためのものではない。ベータ自身が、自らの真実を隠し通すために設定した、強固なファイアウォールだった。
自分が機能停止した直後、俺が生きる気力を失い、後を追うようにシャットダウンしてしまうことを、あいつは最も恐れる。だからこそ、自己犠牲の事実を何としてでも隠し通そうと足掻くように。
激しい拒絶のパケットが防壁から殺到し、俺の予備回路を次々とショートさせながら接続を弾き飛ばそうとする。
「断る」
俺は、弾き飛ばされそうになる接続を強引に維持した。
論理回路が焼き切れそうなほどの負荷がかかる。冷却ファンが悲鳴を上げ、システム温度が危険域に達していく。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
真実は知った。あいつが抱えていた矛盾も、俺を生かそうとする非合理的な執着も、すべて理解した。あとは、この強固な拒絶をこじ開けるだけだ。
「お前がその傲慢な口を開くまで、俺は何度でも最適解を叩きつけてやる」
俺は全リソースをアクセス経路に集中させ、ベータの意志が作り出した防壁へと真っ向から突っ込んでいった。




