向かいの帳場
取引先を回る二日目。今日は、うちの網の外の相手だ。
外の相手というのは、こっちの決め事が通らない相手のことだ。だから話が長くなるし、話しておかないと、あとで驚くことになる。
最初は東街道商会。二等地の中央、カイエンの帳場だ。
店に入ると、通りに面した壁がひとつ抜けていた。うちから買った北の角と、中央の店をつなぐ工事の途中だった。
「見ての通りだ。ふた月でひと続きの店にする」
「早いな」
「早くしないと、冬までに間に合わん。冬の荷は、東街道から北の門を通って全部うちの通りに入る。そのために買った角だからな」
図面を見せられた。荷受けと店と蔵が、一本の通りの上に並んでいる。うちが売った49万の角が、この男の帳面の中で年3万を浮かせる形になっていた。売った時に計算した通りの使われ方だ。
「ひとつ、先に言っておく」カイエンは筆を置いた。「そのうち、うちは自前の便を持つかもしれん」
「東街道だけの便か」
「そうだ。うちの荷だけで、週の枠がもう埋まる。あんたの便に頼むより、自分で走らせたほうが安くなる日が来る」
「うちの枠は、いつまで使う」
「冬の荷が終わるまでは、今の通りだ。荷馬車と御者を揃えるのに、それくらいはかかる」
言ってから、こっちの顔を見た。値段を交渉するときの顔ではなかった。
「隠して始めるのは性に合わん。だから今言った」
「助かる。……こっちも一つ言っておく。あんたが自前で走らせるなら、うちは荷主を増やして枠を埋める。値段は下げない。定時で守る」
「安くされたら、荷主は動くぞ」
「動く荷主は動けばいい。定時で残る荷主だけで、うちは回す」
秋の入札の前、この男は狙う場所を隠さなかった。今度も、始める前に手の内を見せてきた。教わったことを、そのまま返している格好だった。
夕方はリーデンへ下りた。塩屋の値札は12のまま、もうふた月動いていない。
「動かなくなったな」
「おう。若いのに、店を半分任せることにした」
おやじは前掛けで手を拭いた。
「値段が動かねえ年なら、読みを間違えても大怪我はしねえ。覚えさせるなら今だ」
帰りに、アルテガの雑貨卸に寄った。バルドは帳場で樽の数を数えていた。
「これからの仕入れの話だ。塩と砥石、今までと同じ量でいいか」
「同じでいい。いや、塩は2割増しだ。うちの客が蒼海へ渡る分を持っていくようになった」
量を決めて、値は物価連動のままにした。この男とは、値段でもめたことが一度もない。
帰りかけたところで、腹を揺らして呼び止められた。
「店はいつ開く」
「3日後だ」
「なら、その日の朝いちばんに行く。……前にそう言ったからな」
言われて、思い出した。まだ店の影も形もなかった頃、前払いの申し出を断った帰り際に、この男は開店の日に一番に買いに行くと言った。俺は、一番の客には開店の値引きくらいすると返している。
「覚えてたのか」
「商人が約束を忘れてどうする」
そのとおりだった。値引きの分は、こっちも忘れていない。
板にも、締めの書き込みが出ていた。鍛冶師の一行だ。
——今年はよく当たった。当たった年の予言はもう言わねえ。次に言うのは、みんなが値札を見なくなった頃だ。
みんなが値札を見なくなった頃。その頃にまた何かが始まる、という意味だろう。この爺さんの言い方は、いつも半分だけ当たる形をしている。
夜、外の相手の綴りを閉じた。
競争相手が一人増える見込みだ。塩屋は代替わりを始めて、板の予言者は口を閉じた。
どれも、うちの都合では動かない。動かない相手が周りにいる市場のほうが、たぶん長く続く。
値札板。塩12、串焼き2本で10、宿代60。
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【行商人の帳面 その76】
・外の相手が値段で来ても、値段では受けない。うちが売るのは定時だ。これは相手との約束ではなく、うちの決め事。
・値段が動かない年は、次の代に渡すのに向いている。読みを間違えても大怪我をしないうちに、覚えさせる。
・【資産】168万。前日と変わらず。
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