店が変わる前に
開店まで、あと3日。今日は、取引のある相手を回る日にした。
店が変われば、荷の流れも人の置き場所も変わる。変わってから相談するのでは遅い。うちと取引のある相手を順に回って、新しい店でどうするかを一人ずつ決めていく。回る順は、いつも通り一番大きい相手からだ。
バルガの炉に着くと、テツジンは新しい鋼の棒を並べているところだった。蒼晶を混ぜた鋼が、この春から売れ始めている。
「鉄の契約な。3か月で結び直さねえか。断らなけりゃ、そのまま次の3か月に続く形で」
「長いな」
「長いから言ってる。約束じゃなくて店との契約にしとけば、お前じゃなくても続くだろう」
この人は、人をよく見ている。最近の俺の動きから、何となく何かを察しているのだろう。聞き返しはしなかった。
「呑む。3か月、断るまで続く形だ」
「決まりだな。……それとな、炉をひとつ、弟子に任せる」
炉の奥で、若い鍛冶が一人で火を見ていた。連盟の中の一つの炉を、来月から丸ごと持たせるという。
「あいつの炉の分の鉄は、あいつと別に契約してくれ。おれを通さずにだ」
「いいのか。あんたの取り分が減る」
「減らねえと、あいつは一人前にならねえ」
帰りに、その若い鍛冶と納めの話をした。値段は連盟と同じ決まりのまま、量は月に半分から始める。判を押す手が少し震えていた。俺も、初めて連盟と結んだ日はそうだった。
発着場では、ガロが配車の板の前で待っていた。
「班を2つに割りたい」と、こっちが言うより先に言われた。「荷が倍になってんのに、班がひとつのままだ。目が届かねえ」
「割ったら、もう片方の班長は誰にする」
「ロダだな」
名前を聞いて、こっちも同じことを考えていたと言った。冬に袋を持って残ると決めた男が、今は新入りに荷札の書き方を教えている。
「本人には」
「まだだ。大将から言ってくれ。おれが言うと、断りにくいだろ」
その日の夕方、ロダに話した。しばらく黙ってから、袋を担ぎ直して、やります、と言った。それだけだった。冬に残ると言ったときと、同じ返事の長さだ。
ガロ自身の話も聞いた。現実の建設会社で、来月から現場をひとつ任されるという。
「向こうで現場、こっちで班。忙しくねえか」
「同じ仕事だからな。人と荷物の置き場所を決めるだけだ」
店に戻って、コウと帳場に座った。新しい店での役割の話だ。
「一等地の帳場は、おまえに頼む。そのあとのことも、聞いておきたい」
コウは手帳を閉じて、少し時間をかけてから言った。
「……いつか、自分の名前で商いをしたいです」
「いつごろだ」
「まだ決めてません。学ぶべきことが、まだまだたくさんあると思っています」
答えを急がないところは、この一年で覚えたものだと思う。
「急がなくても、自分のペースで進めればいい。店を開ける日には、よければ俺を最初の客にしてくれ」
「……それ、断れないやつです」
「断らせる気がないからな」
相場表の前では、ムギと後輩が明日の下書きを合わせていた。
「新しい店では、書き役は給金で頼む。薬草の買い取りとは別の支払いだ」
ムギは筆を置いて、数を確かめるみたいに指を折った。
「毎朝、決まった時間に、決まった仕事をして、決まった額をもらうんですね」
「そうだ」
「……それ、ずっとやりたかったやつです」
数えるのが好きだと言い続けてきた子の、いちばん静かな返事だった。後輩のほうは、新しい店から薬草の買い取りの帳面を任せる。線をつなげなかった名前を全部覚えている子が、名前を書く側に回る。
ミレイユの店には、昼過ぎに寄った。薬の棚の位置は、新しい店の図面で先に決めてもらってある。一番いい場所で、棚代は相場で取る。
「配分の計算書、新しい店の分は欄が増える」
「増やすのは、こっちの仕事よ。あなたは数字を持ってくるだけでいい」
去年、出資の名簿を断ったときから、この人の検算の速さに何度も助けられた。値が動くたびに、翌朝には配分の紙が机に置いてある。
「店が変わっても、検算は続けてもらえるか」
「当たり前でしょ。数字が増えるほうが、私は楽しいの」
夜、締めの検算をした。今日の約束を、綴りに順番に挟んでいく。断るまで続く鉄。若い鍛冶の炉。班を2つに割る紙。給金の書き役。ミレイユの検算。
どれも、俺がいなくても回る形をしている。回る形にしておくと、次に何かを始めるときに、抜けられる。
値札板。塩12、串焼き2本で10、宿代60。
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【行商人の帳面 その75】
・値段が物価に合わせて動く形で結んでおけば、契約を長くしても損得は変わらない。金額を固定した契約だけが、先が長いほど怖くなる。
・人に持ち場を渡すときは、基準を紙にしてから渡す。残念だが、紙は写せても勘は写せない。
・【資産】168万。現金6万、棚12万、造作8万、権利142万。
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