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第73話 俺のいない一週間

開店まで、あと10日あまり。その前に、確かめておきたいことが一つ残っていた。


俺がログインしなくても、便と店と相場表は、いつも通りに回るのか。


ちょうど、現実のゼミの合宿が1週間入った。山の宿に籠もって、発表と議論漬けの1週間。ログインの時間は、どうやっても取れない。試すなら、この週しかない。


出発の前に、コウとガロとムギに同じことを言って回った。


「1週間、俺はログインしない。決め事は今まで通り。迷ったら、商談の基準の紙と、変動契約に戻れ。それでも決まらないことは後回しにして帳面に書いて残しておいてくれ」


「……1週間、まるまるですか」とコウ。


「まるまるだ。一度、俺抜きで回してみてくれ」


「分かりました。留守の帳面、細かく書いておきます」


ガロは配車の板を叩いて笑った。


「1週間くらいで騒ぐかよ。便は時間割で走ってんだ、大将で走ってんじゃねえ」


「言い返す言葉がないな」


「現場は段取りが全部。あんたに教わる前から知ってた口だ」


ムギは、少しだけ考えてから言った。


「相場表は、いつも通りに書きます。……いつも通りが、一番難しいやつですよね」


「よく分かってる」


三人との会話を終えて、ログアウトした。次にログインするのは、1週間後だ。


現実の合宿は、悪くなかった。物価と契約の回では、値上げの時期と契約の更新の時期がずれる理由を、資料の数字から追った。最近見たような内容だったので感慨深かった。


発表の番では、物価が動く年の契約の形の話をした。運賃を物価に連動させる約束の書き方を、金額を伏せて黒板に書いた。教授が最後に言った。実務ではスライド条項と呼ぶ、公共工事の約款にも燃料サーチャージにも同じ仕組みがある、と。向こうの世界で組んだ約束は、現実ではとっくに名前のついた仕組みだった。


3日目の夜、布団の中で気づいたことがある。塩の袋の数を、数えていない。蔵の残りも、便の空き枠も、頭の中で一度も計算していない。留守を任せた顔ぶれを一人ずつ思い出しても、心配になる材料が一つも出てこなかった。


1週間後の夜、ログインして、まっすぐ店の帳場に行った。


コウが留守の帳面を開いて、数字を並べていく。


「便は14本、全部定刻です。臨時の頼みが1件ありましたが、木曜便の空き枠で受けました。島の船便が、海が荒れて1日延びて、ロダさんが先に卸先へ使いを出して、詫びまで済ませてあります。相場表は毎朝、ムギさんと後輩の子で書きました。店の実入りと口銭、締めて1万5000です」


「島からは、他に何か」


「燻製の樽が定数どおり。それと文が1通。豚がまた増えたそうで、次の祝いも現物で行く、と」


祝われる予定はまだ立てていないんだが、島の帳面では、開店はもう祝い事らしい。


「揉め事は」


「1件。運賃を3か月固定にしろというお客が来ました。断りました。連動でよければ通常の枠代で受けます、と言い添えて」


俺と同じ答えを、俺より短い言葉で言っている。


「よし」


「あと、相場表の前の人数も数えてあります。朝の客、先週より2人増えました」


数えなくていいことまで数えている。誰に似たのかは、考えないことにした。


「決まらなかったことは」


「ありません。……これまで教わったことで、全部対応できました」


その言い方は、もう見習いのものじゃなかった。俺は留守の帳面を、最初の頁からめくり直した。荷札の控え、相場表の写し、断りの記録。日付と署名まで揃っていて、どの頁にも俺の字がない。俺の字がないのに、うちの形をしている。


海が荒れた朝に先へ使いを出したのは、干し魚のシガーを面談で通したときの理由と、同じ形だ。海が荒れて遅れると分かった朝のうちに、先に詫びの使いを出した男だった。あのとき基準の紙に書いた一行が、そのまま今週の島で使われている。


「コウ。新しい店の帳場は、おまえが座れ」


「……ソーマさんは」


「俺は仕入れと、取引先の回りを持つ。帳場に座りっぱなしの行商人じゃ、看板が嘘になる。それに、この1週間ではっきりした。店はもう、おまえの字で回る」


コウは手帳を握り直して、それから深く頭を下げた。断り文句は出なかった。断らないところまで、育っている。


妙な行商人だ、自分を要らなくする算段を自分でするのか——硫黄石の商いを組んだとき、島のまとめ役にそう言われたことがある。あのときは理屈で答えた。人がひとりいないと止まる商いは、そのひとりの値段まで含めると高くつく、と。


理屈で答えた話が、この一週間、目の前で動いていた。俺のいない発着場から便が14本出て、俺のいない帳場で、7日ぶんの締めが終わっていた。


去年の春、手帳にこう書いた。歩いた分しか稼げないのが行商で、座っていても品と客が来るのが店だ、と。


資産、164万5000。俺が離れていた1週間で、1万5000増えた。増えた分の帳面に、俺の字は1文字もない。


これで開店の朝を、安心して迎えられる。


帳面を閉じて、留守の間の礼を、三人それぞれに1行ずつ書いた。


値札板。塩12、串焼き2本で10、宿代60。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その73】

・事業は、作った人間が要らなくなって完成する。

・基準と変動契約は、紙に書けば人から人へ写る。写った先で、作った人間の字は要らなくなる。

・留守の帳面に自分の字がないこと。それが番頭への一番の信任で、俺への一番の配当。

・【資産】164万5000。留守の1週間で1万5000増。

◇――――――――――


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