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第72話 答え

応接室を出た。答えは、今夜のうちに持ってくる。そう言って出てきた。


夕方のアルテガの通りを、あてもなく歩いた。


露店が店じまいの値札を出し、荷車が発着場へ戻っていく。宿の窓に灯りが順に入って、串焼きの屋台の前には仕事帰りの列ができる。物の値段が動いて、人がそれに合わせて動く。作り物だと分かっていても、よく出来た世界だと思う。俺はこの通りで一年、その値段を読んで食ってきた。


歩きながら、S.K.の用件を数え直した。この世界の経済を作る側への招待だ。


普通に考えれば破格だろう。


たった一人のプレイヤーが5万人の世界の作り方に口を挟める席で、しかも条件はこっち持ちだという。


この誘いを受けて得るものと、失うものを数える。


得る物は、この世界の行く先に関わることで手に入る。


アップデートの予定を先に知って、値段がどう動くかを考え、打つ手を出せる。それができれば、経済格差で辞めていくプレイヤーを、これまでより多く救えるかもしれない。


こっちから出す条件次第では、これまでより大きな影響力を持って、この世界を楽しめるかもしれない。


払う物は、さっきの一言で全部出ている。商売をする側にはほとんど立てないだろう。安いところで仕込むことができない。塩も蒼晶も、値が動くから儲けが出る品だ。残るのは、値の動かない品を定価で並べる店になる。


それでも店は回るが、これまでうちがやってきたような稼ぎ方はできなくなる。


それで、計算は終わりだった。


そして、答えを出す理由はもっと単純な話だ。


この春、値が下がり始めた頃に、現実で隣町まで行った。理由は単純で、こっちで塩の値差を見つけた目が、向こうでも使えるか試したかった。


結果は、使えなかった。頭の中ではわかっていたことだが、隣町のスーパーの塩は、うちの町と2円しか違わなかった。卵も、米も、洗剤も、どの店の棚を見ても、値段はほとんど同じだ。バルガとアルテガのあいだで塩が倍になる、この世界の当たり前が、現実にはない。


差がないのは、誰かが先に運んでいるからだ。俺が去年一年かけて作った便を、現実では何万人かが毎日、当たり前の顔で回している。倉庫と、トラックと、値札を貼る人の手だ。差が生まれた瞬間に埋める人が、数え切れないほどいる。


その日、帰りの電車で決めた。次に相場を読むのは、こっちじゃない。向こうだ。


この世界に教えてもらった相場を読む楽しさ、商うことの喜びをもっと広い世界で味わいたくなってしまった。


勝てる見込みがあるからじゃない。差のない世界で差を見つけるほうが、差のある世界で運ぶより、はるかに難しい。難しいほうを、やってみたくなった。


柱が立ったその日から、店や便は自分がいなくても回るように少しずつ進めてきた。


特に店はコウに任せてもきっとうまくやるだろう。


5万人の世界の作り方に口を挟む席は、破格だ。ただ、俺が次に立つ場所は、5万人の外にある。


夜になってから、応接室に戻った。S.K.は、同じ席に座っていた。


「待たせた」


『構いません』


「断る。……いや、言い方を変える。選ぶ」


顔を上げて、ちゃんと言った。


「俺は、現実で商いをする。この世界で知った楽しさや悔しさを、向こうでも経験したい。だから、こっちの世界の席には座れない」


S.K.は、すぐには返さなかった。


『……現実で、ですか』


「ああ。隣町まで行って、値段を見てきた。差がなかった。差のない場所で差を見つけるほうが、難しい。難しいほうをやってみたい。この世界に教わったことは、向こうで使う」


『そうですか』


それだけだった。ただ、間の取り方が、さっきまでと違っていた。


S.K.は、引き止めなかった。


『分かりました』


即答だった。あまりに即答だったので、聞いてしまった。


「……この返事も、予測してたのか」


『予測はしていませんでした。ですが、よい商人はよい選択をするものですから』


この人なりの、たぶん最上級の言い方だと思う。褒め言葉として受け取っておく。


最後に、一つだけ聞いた。


「なんで、俺だった。読みの当たる商人なら、他にもいる」


『設計された経済は、必ずどこかで設計を超えていきます。超えた部分を作れたひとが、あなたでした』


この人はこの一年、自分の作った仕組みを超えていく部分を探して数えていた。それがたまたま、俺の商いだった。それだけの話だ。


席を立った。


『こちらの世界の、一等地の店は、いつ開けますか』


聞いたのは、向こうだった。


「半月後だ。大市場の北の角」


『そうですか』


それきり、店の話は続かなかった。


『良い商いを』


アバターは、それだけで消えた。


一人になった応接室で、少しだけ座っていた。


断った席の条件を帳面に書き残すかどうか迷って、やめた。書けば、いつか見返して惜しくなる日が来る。代わりに1行だけ書いた。俺の持ち場、値札と値札の間。


書いてから気づいたことがある。去年、出資の名簿を断ったときは、条件を紙に書き出して一晩考えた。今夜は、通りを一回りするあいだに答えが出た。答えのほうが、先にあったからだ。


持ち帰った物は、1ゼルもない。それでも帰りの夜道は、荷を満載で歩いた日と同じ足の重さがした。


明日、コウに聞かれたら、大きい商談は流れた、と答えることになる。嘘じゃない。


資産、163万。動かさない話をしに行って、動かさずに帰ってきた。


値札板。塩13、串焼き2本で10、宿代60。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その72】

・得意なことを、得意な人がやる。護衛を雇った日に覚えた計算の、これが最終形。

・いい席かどうかは、座る人間で決まる。いい席でも、座る人間を間違えれば安くなる。

・断りは、選び直しの形で言う。縁は切らない。

・差のない世界で差を見つけるほうが、難しい。次は、難しいほうをやる。

・【資産】163万。動かさず。

◇――――――――――


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