第71話 集計に出ない場所
約束の夜、S.K.の指定した場所へ入った。
場所は、ゲーム内の応接室ふうの空間だった。去年の夏、大商隊祭の経路の商談をした、あの部屋だ。机と椅子の置き方まで、あのときのままだった。
簡素なアバターが、先に座っていた。
『時間どおりですね』
「商人なので」
『ふふ、そうですね』
座った。今夜は、こっちから切り出すことは何もない。用件は、向こうにある。
『メッセージに用件を書きませんでした。書くと、会う前に断られると思ったので』
「断られるような用件なのか」
『あなた次第です。順に話します』
S.K.は、机の上に何も出さなかった。数字は、全部口で言った。
『我々は、この一年で二つのことをしました。蒼海で世界の金を増やし、拠点と船で減らしました。減らしたのは、値上がりが続くと、始めたばかりの人から先に辞めていくからです』
「知ってる。店の売上帳で、朝の客を数えた」
『知っています。見ていましたから』
「物価は、1.15で止まった。あんたの目標どおりに、か」
『目標の数字は答えられません。止まった場所が、答えです』
「それで、用件は」
『これからの、この世界の話です』
S.K.は、初めて少しだけ間を置いた。
『物価の下りに巻き込まれてこのゲームを去るプレイヤーの数が、私たちの想定より5%ほど少なかった。会社のデータ上、この理由は不明となっています』
「それで?」
『こちらの追加調査では、あなたの店の窓口に荷を預けた人が、40件あまり。あなたの契約の書き方を写した者が、90あまり。これだけでは、5%には遠く及びません』
「じゃあ俺じゃないんじゃないか」
『そうかもしれません。ただし、資産情報から離脱率の高いと思われていたユーザーにおいて、実際には離脱しなかったユーザーの多くは公式掲示板においてあなたに関する情報を得ていたユーザーが大半でした』
公式掲示板。値下がりの生存確認のスレは、俺も読んだ。うちの窓口や変動契約の名前は、名無しのレスにちらほら出るだけだった。
「ちらほら、だぞ。板で名前が出た程度で、辞める奴が辞めなくなるとは思えない」
『名前ではなく、やり方です。値段が動く分だけ約束の値も動かす。売れなくなった物を預けて、時間をかけて売る。掲示板でそれを読んだ人が、下りで同じことをした。あなた自身ではなく、あなたの行いが影響力という形でもって世界を動かしたのです』
言い返す言葉を探して、やめた。数えたのは向こうで、こっちにその数字はない。
『単刀直入に申し上げます。私と一緒に、この世界の経済を作りませんか。私の隣に、席をひとつ用意できます』
用件が、やっと出た。
「……具体的に」
『定期的に、あなたの読みを聞く。次の調整に、この世界に生きる人の声を映す。対価は払います。条件は、あなたが出していい』
「声を聞いて、どうする」
『次の調整に使います。あなたと、あなたの取引先が物価の下りの前にやったことを、今度は世界の側で先にやる。そのための帳面が、我々にはまだ足りなかった』
一つだけ、先に確かめた。
「その席に座った俺は、これまで通り商売を続けられるのか」
『できません。運営の中身を知った者の売り買いには、制限を掛けます。当然の措置です』
「だろうな。あんたなら、そこを緩くは作らない」
『返事は、今夜でなくても構いません』
「今夜で出す。少し考えさせてくれ」
『どうぞ』
それから、頭の中で得る物と失う物を数え始めた。
値札板。塩13、串焼き2本で10、宿代61。
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【行商人の帳面 その71】
・運営の集計は、件数までは出す。誰がどう運んだかは、出さない。
・向こうが欲しいのは、運ぶ側の帳面。うちの仲間の名前は、その中に入っている。
・返事は、聞いた場で数える。数えるのは、得る物と払う物。
・【資産】163万。増減なし。
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