第67話 時間を売る店
週明けの朝、店の前に列ができた。並んでいるのは、買い物の客ではない。売れずに困っている在庫を抱えた人たちだ。
相場表の横に貼り紙を出して、3日になる。下げを数えた晩に書いた、あの1枚だ。【売り急ぎのご相談、承ります。買い取りはしません。預かって、売ります】。
今日から、この窓口を開ける。うちの手元は6万しかないから、買い取りはできない。できるのは、預かって、うちの便と売り先で時間をかけて捌くことだけだ。
下げが始まって5週。上がり切った値で物に換えた者が、我慢の限界を迎える頃合いだ。我慢の切れた売りが値を壊し、壊れた値が次の我慢を切らせる。放っておけば、下げは要る深さより深くなる。
帳場に座って、最初の相談を受けた。
競売所の前で見かけた、塩の男だった。
一番高かった16で600袋——買った値と量を、男は指を折って白状した。
「……笑ってくれ」
「笑わない。俺も秋に、手持ちの全部で札を書いて負けてる。人の勘定を笑える側じゃない。数字を確かめよう。今日、競売所にまとめて投げれば、値を壊して11。買い取り屋の言い値は10だ」
10なら6000、と男はまた指を折った。仕入れは9600。畜生、とだけ声になった。
「うちの案はこうだ。600袋を預かって、6週かけて捌く。数え方を言うぞ。うちの塩の出は、店の棚とリーデン便の卸で週に100袋前後だ。そこへ他人の塩を余計に足すと、うちの売り先の値まで自分で壊す。だから足せるのは週100袋まで。600袋なら、6週かかる」
「6週も待つのか」
「待てる品だから、この案が成り立つ。塩は腐らないし、蔵の場所さえあれば置ける。……下げの見立ては週に半ゼル。ただし、うちの読みでは塩は12より下には行かない。今日14から4週で12まで下がって、そこから先は12のままだ。週100袋、その週の相場表の値で売って、均せば13弱。600袋で7700。そこから口銭5分を引いて、あんたの手取りはおよそ7300」
男は指を折って、数え直して、顔を上げた。
「……どのみち損か」
「損だ。損の大きさを選べるだけだ。今日の10で切れば3600の損、時間をかければ2300の損。それと、見立てより下げが速くなったら、その週のうちに相談して、続けるか切るかをあんたが決める。黙って抱え続けることはしない」
口銭を、男は自分で数えた。385。
「あんたの得は、それだけか」
「それと、うちの売り先の棚が塩を切らさないこと。施しじゃない。商いだ」
男は預かり札に判を押した。帰り際に一度だけ振り返って、頼む、と言った。引き受けたのは600袋の塩というより、たぶんその一言のほうだ。
2人目の相談の前に、コウが小声で聞いた。
「口銭、なぜ5分なんですか。買い取り屋の割引は3割です。1割取っても、まだ喜ばれます」
「数えてみろ。あの人が今日切れば手取り6000、うちに預ければおよそ7300。得は1300だ。1割なら、うちは770取る。あの人の得の半分を、こっちが持っていく勘定になる」
「それでも、切るより得です」
「得はする。だが、口銭を相手の得から決めると、困っている奴ほど高く払う仕組みになる。得が大きいのは、追い詰められている奴だからだ。うちが売っているのは時間で、時間の手間は誰の塩でも同じだ。だから口銭は、手間から決める」
「手間の側は、いくらと見ていますか」
「6週分の便の枠と、蔵の場所と、帳面と、売り先への割り振り。1件で300と置いた。5分で385、引いて残るのは85だ」
「1件で85ですか」
「小さい。だが、うちの売り物は塩と鉄と運び賃だ。その値が投げ売りで崩れて一番困るのは、うちだ。142万で角を買ったばかりだからな」
「……だから、助けるんですか」
「相場を守るために、だ。預かれば投げ売りが止まる。止まれば、値札は要る深さより下へ行かない。口銭は小さくても、守った相場の上でうちはこの先ずっと商いをする。先の実入りのほうが、でかい」
「口銭は入口で、実入りは奥、ですね」
「そういうことだ」
昼には、ムギが仲間を3人連れてきた。値上がりを待って乾き草を溜め込んだ口で、束にして400。
「夕方の買い取り屋さんが、いま、怖い値段を言うので」と、仲間の1人が言った。「ムギが、朝に売れる場所があるって」
ミレイユの工房と契約工房の2軒へ、週70束ずつ流す段取りを組んだ。2軒で週140束だから、400束は3週で捌ける。値は毎朝の相場表の値で、口銭は塩の男と同じ5分だ。
夕方には、串焼きの親方が樽を4つ転がしてきた。漬け込みは保存が利く。宿と飯屋の卸先へ、週1樽ずつでちょうど捌ける。
親方は帰り際、相場表の横の変動契約の板を長いこと見ていた。
「次の仕込みはよ、この変動契約ってやつで宿と先に結んでからにするわ。挟まれるのは、もう懲りた」
「それが一番の防ぎ方だ。預かりは今回きりの薬で、変動契約は明日からの飯だ」
断った相談も、1件あった。中身の見えない木箱を12個、目録なしで預かれという男だ。
「預かれない。中身が分からなければ、売り先も値段も決められない。それでは預かりにならない。ただ置き場を貸すだけだ」
秋の競売所で、中身の見えない箱に札を入れなかった夜がある。見積もれない物には、秋も今も札を入れない。断りの理由は紙に書いて渡した。
コウが預かりの頁をめくって言った。
「通した分は全部、うちの売り先に元から居る買い手ばかりですね」
「そこが肝だ。預かるのは、目利きが出来て、売り先を知ってる品だけ。売り先を知らない品を預かれば、返す日に返せなくなる」
週の終わり、蔵に預かり品の棚が並んだ。塩の袋、乾き草の束、樽、革の束、瓶のひと山。件数は9件、預かり高はしめて19万、口銭の見込みは6週でおよそ9500。手間は1件300で9件、蔵の場所代を足して3000。差し引き6500が、6週でうちに残る。
ロダが積み替えの手を止めて、棚を眺めた。
「他人の荷って、うちの荷より丁寧に積んじまいますね」
「それでいい。他人の荷物だと思って扱える奴だけが、預かりをやっていい」
夜、帳面を付けながら、秋のことを思い出していた。入札の前、在庫の14万は、今日中に売れば7万にしかならなかった。在庫の値段には「いつまでに売るか」が入っている。急いで売る側が、その差を値引きで払う。あの秋、払ったのは俺のほうだった。
今度は、その時間を売る側に回る。うちには便と売り先と、崩さず捌く6週間がある。時間を口銭5分で貸すだけで、相手の割引料は半分になり、うちには金を使わない実入りが立つ。
預かりの頁の隅に、コウが小さく注を入れていた。返す日から逆に数えて動くこと、と。9件のうち、一番早い返しは3週後で、一番遅いのが6週後だ。返す日を先に書いて、そこから逆に段取りを引く。
値札板。塩14、串焼き2本で11、宿代65。
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【行商人の帳面 その67】
・時間は商品になる。預かって、崩さず捌いて、口銭5分。買い取らないから、金のない週でも開ける窓口。
・損は消せない。選べるようにはできる。切る損と、時間をかける損を並べて、選ぶのは本人。
・口銭は相手の得からではなく、手間から決める。1件385のうち手間300、残り85。売り物の値が崩れて一番困るのはうち。相場を守る助けは、先の実入りのほうが大きい。
・【資産】現金8万、棚8万、一等地の権利142万。合わせて158万。
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