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第62話 札を書く夜

今夜の仕事は一つ。入札の札に、数字を書く。


買いに行くのは、大市場の増設区画、北の一等地角だ。あの角にいくらまで出すかを、今夜決める。書いた札は明日の朝いちばんに競売所の受付へ出して、開札はその2週あと。


去年の秋、俺は同じ台で80万の札を書いて、124万に負けた。今度は勝ちに行く。


帳場に紙を3枚並べた。1枚目が上限の計算、2枚目が現金の勘定、3枚目が封筒だ。上限と現金の両方が出て、初めて封筒に数字が書ける。


検算役に、コウが向かいへ座った。秋は札の中身を誰にも見せずに書いて、掛け算の桁を1つ数え直すのに3回読み返した。あの秋のあとで、検算役を置くと決めた。


掲示板の見立ては、いまも150万から160万だ。実装がまだ来ていないから、皆の手元の金は膨れたままで、値段もその前提で語られている。うちの札だけが、実装が来て皆が拠点と船に金を払ったあとの値段で書かれる。


「上限から願います」


「145万。物価が実装前の1.15倍まで下がって止まった世界で、あの角がうちの店でいくら生むかを数えて、そこから逆算した。二等地を畳んで移す分を引いた上乗せが、年20万7000。7年で元の取れる値段までしか書かない、で144万9000だ」


「検算しました。そのうえで、1.15が外れた場合も見ています。1.2で止まれば上乗せは年21万6000、7年で151万2000。1.1まで落ちれば年19万8000で、7年なら138万6000です」


「1.1まで落ちても損はしない。買い切りで期限のない権利だから、8年目から先は全部が利になる。7年で追い越せないだけだ」


「はい。上にも下にも振らせて、7年の上限は138万から151万。真ん中が145万です。上振れの151万を当てにしていないので、固い側の数字だと思います」


「次、現金」


「今日の締めで、現金142万。棚の在庫が8万ありますが」


「棚は数えない。入札台の上では、在庫は無いのと同じだ。カイエンにも忠告されたよ」


上限は145万で、現金は142万。3万足りない。


足りない3万を作る手なら、ある。棚を投げ売りするか、誰かに借りるかだ。どちらもやらない。うちの決まりは昔から一つで、札に書いていいのは、開札の朝までに手元にある現金までだ。


秋も、この決まりで書いた。あのときの手元は80万。だから札は80万で、124万に負けた。


負けた原因は、決まりじゃない。80万しか用意できなかった、俺の稼ぎの細さだ。だからこの半年で育てたのは稼ぎのほうで、決まりは変えていない。


今度の手元は142万。だから札は142万。同じ決まりで書いて、今度は勝ちに行く。


「実装が来なかった場合を、聞いておきます」とコウ。


「皆の財布が膨れたままなら、競りは観測どおり150万から160万に飛ぶ。うちの142万は、静かに負ける」


「負けたら、どうなりますか」


「金は1ゼルも減らない。落札できなければ、支払いも起きないからな。……秋、競売所の練習で1200ゼルの授業料を払って覚えた。俺の仕事は、間違った数字で勝たないことだ。間違った数字で勝つくらいなら、正しい数字で負けるほうがいい」


実装が開札より先に来る。そう読んだ根拠は2つある。


1つ目は、運営の仕事の速さだ。蒼海のときは、最初の報せから9週で実装が来た。拠点と造船の報せからは、今日で7週。同じ速さなら、開札までの2週間のうちに実装が来る。


前回は、実装日の10日前に日付の告知が出た。今回は告知なしで、当日いきなり来るかもしれない。その場合も考えに入れてある。


2つ目は、工事だ。蒼海のときは、告知より先にリーデンの桟橋で工事が始まっていた。


だから3日前、自分の足で見に行った。リーデンの外れに、測量の杭が28本。縄で囲った区画が4つ。バルガの製材所は、月末まで注文で埋まっていた。注文主の名前は伏せてあったが、あれだけの材木をまとめて買えるのは、運営しかいない。


実装は近い。


「一つ、番頭として言いにくいことを言います」検算を終えたコウが、手帳を閉じた。「世間はいま、物で持てが常識です。うちはこの数週間、逆へ逆へと歩いてきました。高いうちに山を売って、現金に寄せて、今度は世界で一番大きい買い物です。……怖くないですか」


「怖い。読みってのは、当たり終わるまでの間だけ、必ず怖い」


「怖くても、札の数字は変えないんですね」


「変えない。怖くなるのは俺の胸の中の話で、計算のほうは何も変わっていない。計算を変えていいのは、新しい数字が出たときだけだ」


コウはそれをそのまま手帳に書いた。書きながら、少しだけ笑っていた。


夜、発着場でユキハに開札の日の護衛を頼んだ。


「大金を運ぶ日?」


「落札できたらな。その場で142万を納める」


「分かった。その日は矢筒を満タンにしていく」


まったく同じ返事を、前にも聞いた。秋の入札の前も、開札当日の護衛を頼んだ夜に、この人は同じ言葉を返したのだった。あのときの矢筒は、負けた俺の帰り道を守った。


「秋と同じ返事だな」


「仕事が同じだもの。……違うのは、あなたの札でしょ」


そのとおりだ。あの秋は届かない札で、今度は数え切った札だ。


「そっちは、弓の大会の支度はいいのか」


「予選は通った。本選は夏。それまでは、こっちの護衛を受ける」


それから、ユキハのほうが聞き返してきた。


「そっちこそ、入札に落ちたらどうするの」


「落ちない読みだ。それでも落ちたら、次の区画が出るまで待つ。店の区画がなくても、便と店の商いは毎週回ってるからな。だから、焦らずに札を書ける」


「ん。じゃあ、勝っても負けても、荷物は運ぶのね」


「そういうことだ」


護衛と荷物の話だけして別れた。


帳場に戻って、封筒に数字を書いた。142万。


書き終えてから、足したい気持ちが一度だけ来た。上限の計算を頭から読み直して、足す理由がないことを確かめた。秋の練習で決めた手順どおりだ。


翌朝、受付の一番に封筒を出した。係の男は区画の番号と俺の名を控えに写して、封筒を箱に入れた。それで終わりだった。半年の支度が、窓口では紙1枚で済む。


答えが出るのは、2週あとだ。


値札板。塩16、串焼き2本で13、宿代74。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その62】

・札は、読みの結論を書く紙。上限145万、現金142万。持っていない3万は書かない。

・時期の読みは、値札じゃなく相手の仕事の速さから。告知の間隔と、杭と、材の先約。

・外れたら負けるだけ。落とせなければ、金は1ゼルも減らない。間違った数字で勝つよりいい。

・【資産】現金142万、棚8万。合わせて150万。

◇――――――――――

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