第61話 量では競らない
カイエンとの書き付けと引き継ぎの段取りで、週がひとつ過ぎた。片づいた足で、大市場の北へ向かった。増設区画の資材置き場の向かいに立って、月に一度の人数えをやるためだ。
あの角に店を出したら、朝にいくら売れるか。それを決めるのは通る人の数ではなく、荷を持って通る人の数だ。屋根の骨組みがどこまで伸びたかで、その数が動く。
先客がいた。
俺がいつも立つ角の、通りを挟んだ反対側。帳面を手に、資材置き場の前の人の流れを見ている女がいた。アルカだ。目が合って、互いの帳面が同じ向きに開いているのが分かった。
「数えてるの」
「数えてる。そっちも」
「毎分の人通りと、立ち止まる率。……同じことをしてるのね、わたしたち」
それから30分、通りを挟んだまま、どちらも黙って数えた。
30分を10分ずつ三つに割って、1分あたりの数を三度取る。数えるのは頭数だけじゃない。北の門から市場へ向かう側か、市場から門へ戻る側か。手ぶらか、籠か背負い袋を提げているか。
1分に33人。うち北へ向かうのが19人、そのうち荷を提げているのが13人。冬は12人だった。1人増えている。
増えた1人の出どころも見えた。柵の南の端に、人足用の出入り口が新しく開いている。そこから出た連中が、そのまま北の門のほうへ抜けていく。工事が進むほど、この口を通る人数は増える。
うちの棚に金を落とすのは、この13人の側だ。屋根板が載って通りが一本になれば、朝の荷持ちはこの角の前を通らずに市場へ入れなくなる。そのとき13人が何人まで増えるか。それが、あの角に書ける値段の中身になる。
柵の中では柱がまた増えていた。受付までに骨が組み上がり、開札の頃に屋根板が載る、という工程の貼り紙が出ている。貼り紙に日付はあっても、値段の話はどこにもない。値段は、俺たちが書く側だ。
数え終えると、彼女は帳面を閉じて、こっちへ歩いてきた。秋の開札の日と同じ、静かな顔だった。
歩いてくるのを待つあいだ、彼女の店の入り口に掛かっている木の札のことを考えていた。
冬、あの店の石板が外されて、木の札が掛かった。手数料を改めます。石に彫り直すのは、次の値段が十年もつと分かってからにします——そう書いてあった。
「木の札、まだ木のままなのか」
「まだ木のまま。次の値段が十年もつかどうか、まだ分からないから」
「分からない、で止めているのか」
「ええ。いまの物価は、長くは続かない。運営は必ず止めに来る。拠点と船——あれは、金の消え場所でしょう。だから彫らない。物価が止まって、新しい値段が据わってから彫る」
やっぱり、そこまでは読んでいる。
物価の上昇が止まる、までは彼女にも見えている。どこで止まるかを数字で置いてあるのは、こっちだけだ。その中身は明かさない。互いに明かせないロジックを持っているのは分かっている。
「彫るときは、何の値段から彫るんだ」
「手数料。うちの商いの背骨だから。……あなたは、新しい店が持てたら、値札はどうするの」
「毎朝、相場表に書く。その日じゅう守って、翌朝書き換える。石には彫らない」
「変わらないのね、そこは」
「変わらない所を残しておくと、変わる所で思い切りがきく」
アルカは小さく笑って、帳面を胸に抱え直した。
「春の区画、出るのね」
「出る。そっちも出るんだろう」
「出る。……ただ、秋と同じ競りには、ならないわよ」
アルカは資材置き場に目をやった。
「うちは冬に、出資者を200人から半分に減らした。預かった金で競りに勝っても、この物価では配当で嘘をつくことになる。だから返した。今度のうちの札は、身の丈の札」
「200人の束は、あんたの一番の強みだったろう」
「強みは、季節で持ち替えるもの。あなたが一番よく知っているでしょう」
言い返せなかった。塩に換え、式に替え、いままた現金に替えている俺の冬と春を、この人はたぶん全部見ている。
「秋、あなたに言ったことを覚えてる。量で競れば、束ねた側が勝つ、と」
「一字残らず覚えてる」
「今度は、その台詞が使えない。わたしは出資者を半分返した。あなたは元から、1人の金。量の競りは、どちらにもできない。残っているのは、読みだけ」
そのとおりだった。言われたことに、頷きも返事もしなかった。
「……あなたは今度、何で競るの」
「答えると思うか」
アルカは短く笑った。
「思わない。聞いてみただけ」
それから帳面を胸に抱え直して、付け足した。
「いい競りになりそうね」
秋、カイエンとは値段の情報を交換せず、狙う区画の位置だけ教え合った。あのときは、互いに場所をずらせる相手だった。
今度は、ずらせない。同じ角に、同じ日に、札を入れる。交換したのは、互いに何も明かさない、という確認だけだった。
「開札の日にね」
別れ際、彼女はそう言った。秋、カイエンとも同じ言葉で別れた。あのときは場所をずらし合った相手への挨拶で、今度は同じ角を取り合う相手への挨拶だ。
「ああ。開札の日に」
彼女は北の通りへ、俺は発着場へ。一度だけ振り返ると、アルカはもう資材置き場の前に立ち直して、帳面を開いていた。聞き出せなかったその足で、自分の数字を数え直しに戻った背中だった。
夜、帳面を付けた。この間の実入り、便と店で1万6500、蒼晶と燻製の口銭で3500。締めて2万。
今日分かったのは、数字のほうじゃない。アルカが、同じ角を、同じ理屈の入り口から狙っているということだ。物価は止まる、まで読む相手だ。うちが上に出られるとすれば、どこで止まるかの一点だけになる。
コウには、今日の中身を短く話した。
「アルカ商会も、量では来ない。読みで来る」
「……それは、うちにとって良い報せですか」
「競りの相手としては、最悪だ。読みの競りは、財布の競りより言い訳が利かない。負けたら、読みで負けたことになる」
「勝ったら?」
「読みで勝ったことになる。秋からずっと、欲しかったのはそっちだ」
残りは1週。詰めるのは、実装がいつ来るかのほうだ。港に積まれる資材の種類と量、人足の募集の貼り紙の枚数、役人ふうの姿の出入り。蒼海が実装される前、桟橋の普請で同じものが増えていった。あのとき見えた前触れを、そのまま並べて数える。明日から毎日、見に行く。
値札板。塩16、串焼き2本で13、宿代73。
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【行商人の帳面 その61】
・対等な相手との差は、読みの深さ一枚だけ。量の競りが消えた台の上では、それが全部になる。
・「止まる」まで読む相手と、「どこで止まるか」まで読むうち。一枚の差は、開札の日に値段の形で出る。
・【資産】現金140万、棚8万。合計148万。受付まで1週。
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