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第54話 本物の100万

週に一度、リーデンの塩屋へ仕入れに行く。棚に並べる分を買う、いつもの巡回だ。


今日は買うついでに、もう一つ用があった。おやじの帳面の景気を聞き出しておく。値札の上がったこの半年で、売る側の手元がどう変わったか。うちの店の数字と突き合わせる材料になる。


おやじは店先の値札を眺めて、浮かない顔をしていた。


「兄ちゃん。うちの塩、まだ上がると思うか」


「値札の先は、俺には約束できない。仕入れをいつも通り続けることなら、約束する」


「……けっ。相変わらず固いね、あんたは」


中身はこうだった。値札を書き直すたび、常連の買う量が少しずつ減る。売値が上がって、売れる数が減る。締めの額はさほど変わらず、袋を数える手だけが増えた。


「そういや兄ちゃん、この春は、まとめ買いはなしかい」


「今の値では買わない。あんたの塩は、棚で毎週売る分だけだ」


「けっ。目利きの買わない値段、ってわけだ」


おやじは笑ったが、目は笑っていなかった。長い付き合いの店は、こっちの買い方が変わった日を覚えている。


夕方、店に戻ると、客が相場表の割り戻しの欄の前に立っていた。


冬、相場表の隅にその欄を作った。今月の物価は、実装前のおよそ1.3倍。毎朝ムギが書き足す。客が自分の財布の中身を測り直すための欄だ。


革の胸当ての若い狩人が、財布と欄の数字を見比べて、しばらく黙って、買う塩をひとつ減らした。減らした分だけ矢を1束足して、帳場で几帳面に銅貨を数えた。


塩を減らして矢を足す。狩る量を増やして、食う量を落とす。今日の財布で明日の稼ぎを買う組み替えだ。


「その欄、誰が書いてるんです」と狩人が聞いた。


「うちの書き役だ。毎朝、市場の値を写して、月の倍率をそこへ足してる」


「助かります。数えてから来ると、店で迷わないので」


狩人は矢を抱えて出ていった。あの欄の前で足を止める客は、この冬から毎朝いる。


締めの夜は、店の帳場にひとりだった。コウは助番頭と燻製の棚卸し、ユキハは現実の射場、ガロの班は明日の島便の積み込みにいる。


静かな帳場で、いつも通りの検算をした。実入り1万9100。受付の支度の残りの払いが9100。差し引き1万。現金55万、棚8万、山18万、店舗権49万——合計、130万。


書いてから、筆が止まった。


130万。この数字は、割り戻すときれいに割れる。相場表の割り戻しの欄の物差しを、今夜は自分の帳面に当てる。


130万を、1.3で割る。100万。端数も出ない、ちょうどの100万だ。


100万という数字を最初に書いたのは、去年の春だ。


所持金4200の行商人が、バルガの坂の上で地図を開いて、帳面に書いた。目標、100万ゼル。アルテガの一等地に、俺の店を出す。桁が3つ足りない目標を、書くだけ書いた夜だった。


あの夜の勘定も覚えている。一晩の粗利700で、1400往復。週5往復で5年半。まっすぐ積んでは届かない数字だと、書いた夜から分かっていた。届かせたのは足し算じゃない。商いの形を、歩く行商から店へ、店から網へと、置き換え続けたことだ。


あの夜の100万は、塩が1袋8ゼルの世界の100万だ。いまは塩が16ゼルの世界だから、130万と書いても、そのままではあの夜の目標と比べられない。膨れた数字のまま目標を跨いだ気になるのは、自分の帳面へのどんぶり勘定だ。


だから割り戻した。1.3で割って、ちょうど100万。秋の物差しで測り直しても、100万ある。あの夜の100万に、本物の中身で届いた。


祝いは、短くやると決めている。


帳面の行の下に、線を1本引いた。酒の代わりだ。誰にも言わない。冬の大台は掲示板が先に祝ってくれたが、今夜の100万は俺の物差しの中の話だ。


ひとつだけ贅沢をした。一冊目の帳面を棚から出して、古い頁をめくる。塩40袋を背負って歩いた日の粗利が、360。今週の実入りが、1万9100。


数字は桁が3つ増えたのに、書く欄は同じだった。仕入れ、売り、差し引き。あの頃から一つも増えていない。頁も、あの夜から1枚も飛んでいない。


目標を書いた頁に、今夜の日付を入れておいた。週5往復で5年半、と走り書きした字のすぐ下だ。塩を担いで歩く道のままなら、いまでも5年半かかる。道を替えたから、一年で着いた。


500ゼルで始めて、一年。今夜はそれでいい。


……帳面を閉じる前に、指が別の綴りを開いた。


店の売上帳だ。締めのついでに、客数の欄をこの1か月分めくる。


売上の額は伸びている。冬のどの月より太い。だが、朝の客の数の欄だけが、3週続けて下を向いていた。


朝の客——開店と同時に来て、相場表と値札を見比べて、銅貨で必要な分だけ買っていく人たちだ。うちの店の数の土台にあたる。


額は過去いちばんで、数は減っている。伸びている帳面の中に、向きの違う数字が1本だけ混ざっていた。


綴りには、減った客の顔までは書いていない。明日から、朝の開店の1時間、帳場の脇に立って自分で数える。


祝いの線の隣に、宿題を1行書いた。朝の客、3週続けて減。明日から実地で数える。


それから、店の灯りを落とした。


値札板。塩16、串焼き2本で12、宿代70。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その54】

・目標は、割り戻した数字で置く。膨れた数字のまま目標を跨ぐのは、自分の帳面へのどんぶり勘定。

・130万を1.3で割って、ちょうど100万。一年前の夜に書いた100万に、本物の中身で届いた。

・祝いは線1本。宿題は1行。朝の客の数が、3週下を向いている。

・【資産】現金55万、棚8万、山18万、店舗権49万。合計130万。受付まで9週。

◇――――――――――

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