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第53話 順番が合わない

春になった。街道の雪が消えて、便の馬車が泥をはねなくなった。


去年の秋、アルテガの一等地の入札に出て、負けた。俺の札は80万、勝ったアルカ商会の札は124万。44万足りなかった。


金を用意できなかったのも、腕のうちだ。あの秋の俺には、その腕がなかった。


その一等地の隣に、市場を広げた区画ができる。北の角が、今年の春に入札へ出る。負けた相手と、もう一度同じ台に立てる番だ。


今日は、その角を見に行った。目当ては一つ。あの場所に店を出したらいくら稼げるかを、自分で確かめる。


数え方は露店の頃から変わらない。ただし頭数だけでは、値段は出ない。


歩いている人がどこから来てどこへ行くのか。手ぶらか、荷を提げているか。朝と昼と夕で顔ぶれがどう入れ替わるか。うちが売るのは塩と鉄と干した飯と矢だ。見物して帰る客には1ゼルも売れない。買うのは、荷を持って歩く側だけだ。


朝と昼と夕方、3回に分けて、資材置き場の柵の向かいに立った。


朝は1分に33人。冬に数えたときより2人多い。そのうち19人が、北の門から市場のほうへ歩いていく。籠か背負い袋を提げているのが12人。仕入れに来た職人と、屋台の連中だ。


昼は41人に増える。ただし中身が変わって、手ぶらで一等地の側へ抜けていく客が大半になる。この角の前は、その連中にとってはただの通り道だ。


夕方は28人。流れが逆になり、買った荷を提げて門へ戻る側が増える。


頭数でいえば、昼が一番多い。だが、うちの棚に金を落とすのは朝の12人と、夕方の荷持ちのほうだ。この角の値段は、昼の賑わいでは決まらない。朝と夕方に、荷を持って歩く人が何人いるかで決まる。


柵の中では、屋根の骨組みが立ち上がっていた。屋根がつながれば、資材置き場で途切れている通りが1本になる。北の門から一等地まで一本道になれば、朝の荷持ちはこの角の前を通らずに市場へ入れなくなる。


数え終えて顔を上げると、通りの反対側にも人が立っていた。柵のほうを向いて、手元の紙に何か書き込んでいる。目が合う前に、その姿は人混みに紛れた。


同じ場所で同じことをしている人間が、他にもいる。あの角を狙うのは俺だけじゃない。


帰りに競売所の予告板を見た。入札の日取りが正式に貼り出されている。受付は春の半ば、開札はその2週あと。


その下に、払いの決まりが1行あった。


——落札者は、開札の当日に全額を即金で納めること。


前から知っている決まりだ。秋も、二等地を38万で落として、その場で全額を払った。それでも今日は、その1行の前で足が止まった。


発着場に戻って、コウと帳場に座った。春の手持ちを、頭から並べ直す。


「積み上げを読み上げます」コウが綴りを開いた。「受付まで10週。ただし払いは開札の当日ですから、積める週は12あります。実入りでおよそ23万。いまの現金54万と合わせて77万。棚と蔵の在庫を売って26万。ここまでで103万です」


板の見立てでは、あの角は150万から160万で落ちると言われている。103万では届かない。


足りない分の当ては、うちにもう一つある。いまの店だ。二等地の角の店舗権は、売り急がない値なら49万になる。足せば152万で、見立ての下限に指がかかる。


そこで、コウの手が止まった。


「……足すには、売らないといけませんね」


そのとおりだ。それが、予告板の前で足が止まった理由だった。


冬に決めた順番は、こうだった。一等地が取れたら、この店を売る。取れるかどうか分からないうちに売るのは博打だから、やらない。


値上がりの続く世界では、それでよかった。待っているあいだに店の値打ちも上がるし、負けても店は手元に残る。


だが、払いが開札の当日なら、取ってから売っても金が間に合わない。札に書けるのは、開札の朝までに現金になっている金だけだ。


つまり、順番が逆になる。売ってから、札を書く。


「負けたら、店なしですよ」


「店なしだ」


「……行商人に戻る、ということですか」


「戻る。現金は残るから、店はまた買える。ただ、この店はもう買い戻せない」


コウは何か言いかけて、やめて、帳面に短く書いた。売ってから、札。書いた字を見てから、顔を上げた。


「一つだけ。売ると決めたら、みんなには先に言うんですか」


「言わない。売り先が決まるまでは、俺の勘定の中の話だ」


「不義理に聞こえませんか」


「聞こえるだろうな。でも、決まっていない話を先に配ると、みんながその分だけ手を止める。便も店も、止めるほどの話じゃない」


「……分かりました。僕も、決まるまでは黙って検算します」


夕方、店をひと回りした。


相場表の前ではムギが明日の下書きを合わせ、帳場の板は、コウが毎日拭くから角だけ色が薄い。


どれも、金を出して買った物じゃない。半年ここで働いた分が形になった物だ。売ると決めれば、この全部に値段が付く。


ガロが荷台を寄せながら、いつもの調子で聞いてきた。


「大将、蔵の棚、春の分も直しとくか」


「……頼む」


返事が半拍遅れた。遅れた理由は、まだ誰にも言っていない。


夜、帳場に一人で残って、店を売る側の算段を始めた。


値段の見当は付く。この冬、隣の二等地が47万で売り買いされた。うちは角地で間口が半歩広い。誰に売っても49万、それが相場だ。


問題はそこじゃない。誰に売っても49万なら、売り先を選ぶ理由がない。早く手を挙げた相手に売って終わりだ。


だから逆から考える。あの角を持つと、自分の商いが安くなる相手はいないか。誰にとっても49万の店が、その人にだけ、それ以上の値打ちになる買い手だ。


心当たりは一人いた。二等地の中央に机を構えている男だ。うちの角とあの店の間は通り一本、東街道の荷は北の門から入る。二つの区画がつながる形は、地図の上で前から見えていた。


確かめるのは明日でいい。今夜のうちにやるのは、こっちの言い値を先に決めておくことだ。決めずに座れば、相手の言い値がこっちの値段になる。


締めの検算。この2週の実入りは3万8200。下見の増し護衛と受付の書料、蔵の手直しで2万8200出て、差し引き1万。


資産は129万。受付まで10週。


帳面の目標の頁に、一行足した。売ってから、札を書く。


書き足すのに、思ったより長く筆が止まった。半年前の秋は、この店を手に入れるために札を書いたのだ。


値札板。塩16、串焼き2本で12、宿代70。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その53】

・落札の払いは開札の当日、全額即金。札に書けるのは、その朝までに現金になっている金だけ。

・だから順番が逆になる。勝ってから店を売るのではなく、店を売ってから札を書く。負ければ、店は無い。

・売り先を探す前に、こっちの言い値を決める。決めずに座れば、相手の言い値がこっちの値段になる。

・【資産】現金54万、棚の在庫8万、蔵の在庫(塩と鉄)18万、店舗権49万。合計129万。受付まで10週。

◇――――――――――

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