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第52話 冬の終わりに

現実の話を先にすると、学年末の試験が終わって、進級が決まった。


大学の紙の掲示板に、来年度のゼミの割り当てが出た。金融論のゼミに入れた。志望の理由欄には、物価と契約の話を、ゲームのゲの字も出さずに書いた。

「進級したな、相場師」


貼り紙の前で、レンが唐揚げの匂いをさせて笑った。聞けば同じゼミだという。


「ゲームの金は、規約で現実に換えられない。そう言ったろ」


「言ってたな。夢がねえって返した」


「換えられないはずなんだけどな。読みの腕と単位って形で、ちょっとずつ現実に染みてくる。悪くない換金先だと思うことにした」


春からは講義が減って、ゼミが始まる。使える夜の形も変わる。それはそのとき、また数えればいい。


夜、向こうの世界で、冬の締めの検算をした。


―――――――――――――――――


【冬の終わりの帳面】

・現金53万、在庫26万、店舗権の評価49万

・名目、128万

・物価はこの冬でおよそ1.3倍。割り戻して、実質98万


―――――――――――――――――


46万増えた中身も点検した。実装前に仕込んだ塩と鉄の売り抜けと評価増でおよそ20万。毎週の商いの利を積んで14万。蒼晶の張りと口銭で5万。店舗権の評価の上がりで11万。足すと50万、途中の仕入れ直しの目減り4万を引いて、46万。全部、出どころの言える増え方だ。出どころの言えない増え方は、次の年に消える。


そして、決算の行を並べる。この冬、何が済んで、何が残ったか。


一つ。秋の敗北の雪辱。124万の壁は、今の中身では95万。うちは名目128万、実質98万。金の量で負けた相手を、金の値打ちで追い越した。


二つ。資産の成長。秋の82万から128万へ。名目で46万増えた。実質でも、80万から98万へ育った。実質100万まで、あと2万。この調子なら春を待たずに越える。


三つ。取引網の拡大。契約工房16軒、荷主は週640枠、荷役12人、助番頭1人、島の燻製の独占卸、蒼晶の定期供給。どの結び目も、物価に食われない形で結んである。


四つ。次の目標。来春、北の増設区画。見立て150万から160万。春の手は、育てて150万超え。


どの行にも、数字が入っている。数字の入らない決意は、決意じゃなくて気分だ。気分は物価より速く目減りする。


秋は、80万の手で124万の壁に跳んで、届かなかった。


来春、今度は届く手で挑む。


店じまいの前に、コウが来年の帳面を新調して置いていった。表紙の内側に、名目と実質の欄が最初から刷ってある。


「来年は、割り戻しを忘れない年にします」


「いや、割り戻しても浮かれない年にしよう。うちはたぶん、来年もっと増える」


番頭は笑って帰っていった。景気のいい話は、ああいう顔でするに限る。


表の通りで、夜回りの鐘が鳴った。この時間のこの音は、秋と変わらない。物価がどれだけ動いても、鐘と、便の時刻と、朝の値札は動かさない。動かない物を増やしていくのが、動く世界での俺の商いらしい。


手帳を閉じる前に、メールが1通届いた。


差出人は、知らないアカウント名。本文は、ふた言。


『見ていた 良い商いを』


良い商いを。この結句を、俺は知っている。商談の別れ際に、それだけ言って消えた簡素なアバターがいた。あのとき届いた書面の署名も覚えている。経済設計、S.K.。結句と署名は、頭の中の同じ引き出しに入っている。


運営の経済設計が、一介の行商人の冬を見ていた。


見ていた、の4文字を、しばらく眺めた。どこからだ。塩を積んだ日からか、式を配って回った週からか、壁を掛けた朝からか。——どこからでも、同じことだ。この冬のうちの商いは、最初から最後まで、見られて困る形をしていない。


なら、こっちも言わせてもらう。俺も見ていた。蛇口の開き方。数字のない告知の癖。値札の動く順番。向こうがこっちの商いを見るなら、こっちは向こうの設計を見る。読まれて困る設計なら、そのうち読み合いだ。望むところだ。


蛇口を開けたのはこの差出人で、いつか排水口を広げて物価の向きを変えるのも、たぶんこの差出人だ。その日が来てから慌てるか、来る前に読み切るか。次の勝負は、たぶんそういう形をしている。


返信は書かなかった。宛先だけ手帳に写した。


レンに話したら腰を抜かすだろうが、話さないでおく。運営に見込まれた行商人、という札は、商いに提げるには少し重すぎる。


寝る前に、店の壁をもう一度だけ見に行った。


夜の通りに、壁の相場表が白く並んでいる。俺の検算の印、ムギの朝の字、島の燻製の新しい行。この冬に増えた数字が、俺の手を離れた場所で、明日も勝手に増えていく。


壁は、もう俺一人の物じゃない。だから強い。


秋の夜、124万という数字を見上げて帰った道を、今夜も同じ足で歩いている。違うのは、帳面の中身と、手の大きさだけだ。それだけ違えば、十分だ。


来春、今度は届く手で。


値札板。塩16、串焼き2本で12、宿代70。塩は、きっちり2倍になった。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その52】

・名目128万、実質98万。秋の壁は後ろに、次の壁は前にある。

・金の量は物価に削られる。金の値打ちは、商いの形で守れる。この冬の証明だ。

・来春の目標、名目150万超えと、実質100万。届く計算は、もうある。

・『見ていた 良い商いを』。見られているなら、こっちも見る。

◇――――――――――


(第二部・完 最終部に続く)

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