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第48話 百万の夜

レンが湯気の立つ肉まんの袋を提げて、店に駆け込んできた。


「相場師、おまえ掲示板見たか。祭りになってるぞ」


差し出された画面に、スレッドの題が出ていた。「定期便さんの資産、100万越えてるってマジ?」。


書き込みは千を超えていた。誰かが、公開されている数字だけから俺の帳面を逆算していた。便の数と枠の数と枠代、店の間口、壁の相場表の更新の速さ。積み上げた見立ては110万。


《便が週640枠で、枠代は相場連動だろ。店の粗利と口銭を足して逆算してみ》


《倉庫の塩は実装前の仕込みだから、原価と今の値の差がやばい》


《やめろ。他人の帳面で飯がうますぎる》


細かいところは外れている。だが、桁と向きは合っていた。他人の帳面をここまで読める奴が増えたのか。市場は着実に賢くなっている。俺の楽な儲け口が減るという意味でもあるが、悪い気はしなかった。


《実装前に塩を山で買ってた人でしょ。当時笑ってたわ。ごめんな》


《入札で負けた行商人が、半年でここまで来るか》


《行商人ごときが、って書いた奴出てこいよ。俺だよ。土下座する》


《うちの工房、この人と連動契約にしてから潰れる気がしなくなった》


《ちなみに本人、今日も普通に御者台の隣に座ってたぞ》


《大台の男が乗合馬車みたいな顔で運賃の検算をするな》


《でもこの人の資産、半分くらい塩と店だろ。現金の大台とは違くない?》


《それがいいんだよ。現金で大台を持ってたら、いま毎週薄まってるところだ》


《掲示板が名目だの実質だの語り出してて笑う。全員あの壁の欄で覚えたやつだろ》


秋の入札の前夜、掲示板は「行商人ごときが一等地とか」で埋まっていた。実装の前には、現金を塩に換える俺を「負けておかしくなった」と笑った。同じ場所が、いま祝っている。


声というのは、こういう向きにも変わる。だから、どっちの向きのときも、あまり真に受けないことにしている。


「なんか書き込まないの。俺が代わりに自慢してやろうか」


「やめろ。書くことがない」


「大台越えだぞ。中央都市の一等地が買えた額だぞ」


「春の値段ならな」


レンは肉まんを頬張って、「そういうとこだぞ」と言った。そういうところで、いいと思っている。数字の訂正は掲示板じゃなく、帳面でやるものだ。


「なあ、次は何を狙うの。もう買う物なくない?」


「ある。でかいのが一つな」


「聞かないでおくわ。どうせ掲示板で知るし」


たぶん、そのとおりになる。うちの商いは、隠すと回らない種類の商いだ。


翌朝の発着場では、見知らぬ荷主に頭を下げられた。祝いの言葉のあとに、帳面の写しを差し出される。面談の列が、また伸びたのだ。


祝われた数字は、その日のうちに実利の形をして戻ってくる。信用は、他人の目の中で複利で増える。掲示板の祭りは一晩で終わるが、この列はしばらく残る。


翌日の巡回で、仲間たちの反応はそれぞれだった。


テツジンは炉から顔も上げずに「派手になったな」とだけ言った。


「中身は火曜と金曜のままだよ」


「知ってる。だから受けてる」


短い言葉に、長い取引の量が入っている。


ユキハは御者台で、届いたばかりの矢筒を検めながら言った。


「観客席から見てた身としては、鼻が高い」


「チケット代は据え置きでいい」


「ん。終身無料の席だから」


島からは、祝いの文と一緒に干した魚が届いた。文には、石の次は豚で祝う、とあった。次の祝いは現物で来るらしい。うちの取引網の祝い方は、どこまでも実物主義だ。


ミレイユは配分の計算書を届けに来て、一言、「おめでとう。でも検算はする」と言った。


「頼む」


「名目でしょ、どうせ。割り戻した数字も隣に書くわよ」


言う前に言われた。検算役が育つと、俺が浮かれる隙がなくなる。良いことだ。


ガロは発着場ですれ違いざま、「大将が大台なら、うちの班の飯も大台にしてくれ」と真顔で言った。断った。飯は据え置き、袋は増やす。ロダは袋を受け取りながら「祝いはいいんで、袋の塩を上物にしてくれ」と言った。考えておく。祝いより注文が先に出るのは、袋が効いている証拠だ。


夜、その検算をした。祝われた100万の中身を、自分の手で数え直す。


蒼晶は工房向けの定期供給に切り替えて、口銭が週2000入るようになった。塩の残り3000袋は今日売り切る値で数え直して、評価が1万5000増えた。枠代と店の実入りが2週ぶんで3万。締めて、名目108万。


100万の壁を越えた日を、俺は先週の帳面で知っている。それでも、他人が数えてくれた100万は、自分で数えた100万と重さが違った。商いは信用でできていて、信用は他人の目の中にしかないからだ。


秋の入札で負けた夜、掲示板は俺を笑いもしなかった。笑う値打ちもない、どうでもいい負けだったからだ。数字を作れば目が集まり、目が集まれば商いは楽になる。だから祝いは、ありがたく受け取っておく。受け取り方は決めてある。明日も、定刻に便を出すことだ。


帳面の隅に、小さく書いた。名目、と。


浮かれた夜にこそ、この二文字が要る。割り戻しの検算は、明日やる。今夜だけは、数字をそのまま置いておく。祭りの夜くらい、帳面にも祭りをさせてやる。


値札板。塩13、串焼き2本で12、宿代64。名目108万。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その48】

・自分で数えた数字より、他人が数えてくれた数字のほうが速く広まる。信用は他人の目の中にある。

・祝いは受け取る。訂正は掲示板ではなく帳面でやる。

・浮かれた数字の隅には「名目」と書いておく。検算は翌日の仕事。

◇――――――――――

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