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第49話 物差しを揃える

今夜は、この冬でいちばん大事な検算をする。


名目と実質。数字の見かけと、数字の中身。祝われた100万の中身を、物価で割り戻して確かめる検算だ。


まず、物差しを作る。


材料は、この3か月の仕入れの記録と、壁の相場表の控えだ。毎朝書いてきた数字の写しが、そのままこの世界の物価の記録になっている。書き溜めた壁は、こういう日にいちばん効く。


実装の前と今で、うちの帳面によく出てくる品目を並べた。


―――――――――――――――――


【物価の検算】

・塩 8→14(1.75倍)/パン 2ゼル半→3ゼル半(1.4倍)

・串焼き1本 4→6(1.5倍)/宿代 50→65(1.3倍)

・ポーション 35→42(1.2倍)/矢の束 6→7(1.17倍)

・砥石 5→5(動かず)/転移門 1000→1000(据え置き)


―――――――――――――――――


飯が先に走り、道具は遅れ、据え置きの値段が底に寝ている。使う量の割合でならすと、物価はおよそ1.3倍。これが今の物差しだ。


品目で幅が違うのは、財布の流れが偏っているからだ。蒼海帰りの金は、まず飯と宿に流れる。だから飯が先に走る。道具は後から、据え置きは最後まで寝ている。物価は一枚の板じゃなく、速さの違う何本もの流れだった。


検算には、コウの書き溜めた店の売り上げ帳も使った。同じ客が同じ量を買うのに払う金が、3か月でどれだけ増えたか。答えは品目の表とほぼ同じ、およそ1.3倍。物差しは二本で測って、初めて信用できる。


次に、壁を測り直す。


秋の入札で、俺の80万は124万に負けた。あのとき見上げた壁の高さが124万だ。


だが124万というのは、秋の数字のまま立っている、ただの金額だ。金額は物価に守られない。物価が1.3倍になった今、124万という金額の中身は、割り戻せばおよそ95万ぶんしかない。


俺の帳面は、名目115万。店舗権の評価も入れ直した。隣の二等地が48万で取引されたから、うちの権利は売り急ぎの値で44万と置いた。それでも115万だ。


95万まで目減りした壁は、もう俺の後ろにある。


秋に見上げた壁を、俺は追い越した。


これは負け惜しみじゃない。算術だ。


向こうの店が痩せたわけでもない。一等地の権利の値打ちなら、物価と一緒にむしろ上がっているだろう。俺が測り直したのは、あの日「一生届かない」と見上げた、124万という金額のほうだ。同じ量の金が、もう同じ高さの壁じゃない。


壁が勝手に縮んだわけでもない。壁は動かない金額で、俺は動く商いだった。あの秋、同じ告知を見て、向こうは大金を一点に沈め、俺は現金を物と流れに換えた。物価が1.3倍動いたとき、止まっていた数字は薄まり、動いていた商いは物価と一緒に太った。その差が、そっくりそのまま出ただけだ。


金の量で負けて、金の値打ちで勝った。この一行は、誇っていい。


翌日、この検算をコウに見せた。名目と実質を分けられない番頭は、これからの季節は危ないからだ。


「秋の壁の124万は、今の物差しで測り直すと、95万ぶんの重さしかない、ということですか」


「そうだ。うちの名目は115万。壁は、もう後ろだ」


「……追い越してます」


「追い越してる。ただし浮かれるな。同じ物差しをうちの帳面に当てれば実質88万で、実質の100万にはまだ届いてない。帳面の頭には必ず両方書け。名目と、実質と」


コウは頷いて、壁の相場表の隅に新しい欄を作った。今月の物価、実装前のおよそ1.3倍。これで壁を見る客は誰でも、自分の財布の割り戻しができる。


うぬぼれの防止に、自分にも同じ物差しを当てておく。


名目115万を1.3で割り戻すと、実質はおよそ88万。秋の時点の俺は80万だったから、実質でも1割がた増えてはいる。だが、実質の100万にはまだ12万足りない。


名目の100万は越えた。実質の100万は、まだだ。なら次の目標はこれでいい。数字で置ける目標があるのは、健康なことだ。


帰りの便の御者台で、ユキハに言った。


「秋の入札、覚えてるか」


「負けた日でしょ。降りてきたあなたの顔も覚えてる」


「今日、あのときの壁を追い越した。金の量じゃなくて、金の値打ちのほうでだけど」


ユキハは前を向いたまま、少しだけ黙った。


「……よく分かんないけど、雪辱ってこと?」


「雪辱ってことだ」


「ん。おめでとう」


それだけだった。それで足りた。


「秋のあなた、負けて降りてきてから、馬車の中でずっと帳面を見てた。あれ、悔しさを数字で薄めてたんでしょ」


「薄めてない。次の計算をしてた」


「同じことよ」


同じことかもしれない。あの夜の計算が、今日の検算まで一本でつながっている。観客席が短く拍手をして、馬車は時間割どおりに走っていく。荷台には他人の荷物が、秋より20枠多く載っている。


発着場に戻ると、壁の新しい欄の前に人だかりができていた。名目と実質。この二つの言葉が、明日から市場の語彙に入る。語彙の増えた市場は、また少し賢くなる。俺の楽な儲け口は減り、読み違いで沈む人も減る。差し引きで、良い商いだと思う。


帳面の頭に、今日から二行書くことにした。名目115万。実質88万。大きく見える数字と、本当の数字。両方が見えていれば、浮かれもしないし、腐りもしない。


値札板。塩14、串焼き2本で12、宿代65。名目115万。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その49】

・名目は数字の見かけ、実質は数字の中身。物価が1.3倍なら、1.3で割り戻してから比べる。

・秋の壁124万は、今の中身では95万。うちは名目115万。量で負けた相手に、値打ちで勝った。

・自分の実質は88万。次の目標は実質100万。目標は必ず、割り戻した数字で置く。

◇――――――――――

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