第45話 金貨の財布と銅貨の財布
【お知らせとお詫び】
いつも本作をお読みいただき、ありがとうございます。
このたび、第二部(第27話以降)の本文を、構成から全面的に作り直しました。
すでに読み進めてくださっていた読者の皆様には、途中で内容が大きく変わる形となってしまい、本当に申し訳ありません。
当初の想定よりもずっと多くの方に読んでいただけていることを受けて、第二部を改めて見直し、より楽しんでいただけるよう構成から作り直した次第です。
第27話以降は、新しい本文に差し替えております。
お手数をおかけしますが、もしよろしければ第二部、27話から改めてお読みいただけると幸いです。
また、改めて、たくさんの方にお読みいただき、本当にありがとうございます。
とても励みになっております。引き続き、よろしくお願いいたします。
週に一度の仕入れの巡回で、リーデンの塩屋に来た。
おやじは店先の台で、書き上げたばかりの値札を乾かしていた。12、とある。先週までの11の板は、裏返して文鎮の代わりになっていた。
「また書いたのか」
「三度目だ」おやじは筆を置いた。「初めて書き直した日にゃ、手が覚えてねえ字がどうのと柄にもねえことを言ったがな。三度目からは、ただの仕事だよ」
新しい値札を掛けると、おやじは奥から袋を抱えてきて、口をひとつずつ縛り直し始めた。蒼海行きの船に積む分だという。縛りが甘いと、潮風で塩が固まるんだそうだ。
そこへ客が来た。蒼海の素材で組んだ、見たことのない色の鎧。値札を見もせずに指を3本立てて、金貨の袋を台に置いた。30袋、という意味だ。
おやじが袋を数える間、男は港の船を眺めていた。財布が膨らんだ人間は、値札を読まない。
「塩なんか買って、向こうで何に使うんだ」
「飯だよ」おやじは縛り終えた袋を客の荷台へ積んだ。「海の向こうにも口はある。兄ちゃんが昔うちの塩をバルガまで運んだのと同じことを、いま誰かが蒼海でやってるのさ」
うちの倉庫には、1袋8のときに仕込んだ塩がまだ眠っている。値札が書き換わるたび、あの山の値打ちが黙って増える。実装の前に笑われた買い物が、いちばん働いている。
翌朝、アルテガの店の開店に立ち会った。
助番頭が壁の相場表を書き換え、コウが棚の値札を書く。朝いちばんの客は、決まって銅貨の客だ。値札と財布を見比べて、必要な分だけ買っていく。
昼を過ぎると、客の顔ぶれが変わる。蒼海帰りの装備が増えて、まとめ買いが増える。値札を見ずに棚ごと指す客もいる。同じ棚の一日の中に、速さの違う二つの財布が通っていく。
店の売り上げはこの冬、右肩で伸びている。昼の財布が額を作り、朝の財布が数を作る。どちらかに寄せた棚は、どちらかの季節に沈む。両方に売れるのが、定価の店の強みだ。
その日の昼、リーデンからの報せが店に着いた。コウが写しを持ってくる。
「リーデンの塩、12に上がりました。うちの棚は朝、12で書いています。仕入れ直すと運び賃込みで1袋12ゼル半なので、今の値札のままだと1袋あたり半ゼルの持ち出し。残りの40袋で、締めて20ゼルです」
「ルールどおりでいい。朝の値札は、閉店まで書き換えない。書き換えは明日の朝だ」
うちの店は、朝に書いた値札をその日じゅう守る。壁の相場表と合わせて、開店のときに決めた決まりだ。20ゼルの持ち出しで「朝の値札は嘘をつかない」という信用が買えるなら、こんなに安い買い物はない。
夕方、ムギが来た。台の上に、家で数えてきた銅貨をきっちり積む。塔のてっぺんに半ゼル銅貨が2枚載った、いつもの几帳面な塔だ。
「朝の値札と、壁の表を見て、前の日に数えてきます。朝に買えば、夕方の値段は関係ないので」
値札を見ないで買う金貨の財布と、値札を2回見る銅貨の財布が、同じ棚の前に並ぶ。値上がりは、全員に同じ顔をしない。
「ムギ。薬草の買い取りの値は、上がったか」
「……いえ。売るほうは、そのままです」
買う物だけが上がって、売る物が据え置き。いちばん削られる立ち位置だ。壁の初日に、薬草を扱えるかと聞かれて、検討する、と答えたきりの宿題があった。ミレイユに確かめると、調薬の仕入れで薬草が足りていない。答えを出す時だ。競売所を通さずうちで直接買い取る、値は毎朝壁に書く、と提案した。
ムギは銅貨の塔を見つめてから、顔を上げた。
「施しなら断ります。仕事なら受けます」
「仕事だ。うちは仲介の手数料が浮いて、ミレイユは切らさず仕入れられて、あんたは相場で売れる。三方の得だ」
「なら、受けます」
帳場を離れる前に、ムギは壁の相場表を長いこと見ていた。
「この表、ただですよね。……ただで、いいんですか」
「いい。表がただだと客が集まる。集まった客が棚の物を買う。回り回って、うちの得だ」
「じゃあ、遠慮なく覚えます」
覚える、という言い方が良かった。壁は、読む人の物だ。
三日後、最初の薬草の束が店に届いた。ミレイユは束をほどいて検分して、それから珍しく笑った。
「摘み方が丁寧。乾かし方も。この仕事なら、釜の無駄が減るわ」
「減った分は?」
「買い取りの値に載せる。当然でしょ」
検算役がそう言うなら、三方の得は四方になる。善意で回る取引は続かないが、全員の得で回る取引は、勝手に続く。
夜、帳場で検算をした。今日の目的は一つ。インフレの中で、うちの実入りがどう動いているかを数え直すことだ。
運賃の相場が上がったから、定期便の枠代は1枠10を13に改めた。荷主は誰も文句を言わない。よそも同じだけ上げているからだ。店の粗利は週6000が9000になった。取り次ぎの口銭も増えて、週の実入りは合計で、秋の8000から実装明けの1万を経て、1万2000になった。
物価の上がりが3割で、実入りの増えは5割。つまり実質でも、うちの商いは太っている。インフレに置いていかれるのは、現金と、値段の動かない立場だけだ。商いが動いてさえいれば、値札の風は追い風になる。
だから日当も上げた。荷役は220を240に。よその相場は220だから、相場より上だ。その上に塩1袋の給付を、これまでどおり付ける。発着場でガロが笑っていた。
「相場より上で、袋まで付く。若いのが辞めねえわけだ」
日当を上げても、うちの帳面は痛まない。運賃も枠代も一緒に上がっているからだ。物価の波は、入りと出を同じ向きに押す。出だけ見て苦しいと言うのは、帳面の半分しか読んでいない。
値札板。塩12、串焼き2本で10、宿代58。名目99万。
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【行商人の帳面 その45】
・インフレは全員に同じ顔をしない。金貨の財布は値札を見ず、銅貨の財布は値札を2回見る。
・毎週入ってくる実入りは物価と一緒に増える。目減りするのは現金と、動かない値段だけ。
・日当は相場より先に上げる。人が残るほうが、教え直すより安い。
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