第42話 預かり人を立てる
「身内に預けるのか。それなら、あんたの財布と同じだろう」
ゼーレの織物屋は、布を巻く手を止めずに言った。
前払いの話だ。織物屋は、次の織り上がり分を先払いなら1割引くと言ってきた。1万2000。ヴェルナーの翌週に前払いの話を持ってこられるとは思わなかったが、相手に罪はない。
前払いをやめるつもりはなかった。やめれば、祭りの矢を前払いで押さえたときの速さを失う。
だから、仕組みで防ぐ。考えたのは、組合の中に預かり人を置くことだった。金は織物屋に渡さず、生産者代表のミレイユが預かる。布が届いたら、ミレイユが払う。届かなければ、うちに戻る。
織物屋は、それを「あんたの財布と同じ」と言った。
「あんたの組合の、あんたの仲間が預かる。届かないときに返す返さないを決めるのも、あんたの仲間だ。あんたが『届いてない』と言い張れば、あんたの仲間はあんたの味方をする。——それで、こっちが安心すると思うか」
思わなかった。言われるまで、思わなかったが。
工房は機の音で満ちていた。杼が飛ぶたびに、乾いた木の音。染料の匂いが喉の奥に残る。
「分かった。別の形を持ってくる」
実は、もう一つ分かっていたことがある。
ミレイユに預けた金の帳簿を、俺は見に行けなかった。
「預かり帳、見せてくれ」と言えばいい。それだけだ。言えなかった。疑っているように聞こえるからだ。預かったのが、釜の横で名簿を叩きつけてきた相手で、生産者代表を引き受けてくれた相手で、店の一部を役で持つと言った相手だからだ。
身内に「帳簿を見せろ」と言えない。身内だから。
預かり人は、預ける側が遠慮なく「見せろ」と言える相手でないと、預かり人にならない。
月末、月次報告を書いた。
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【定期便組合 月次報告 その1(契約先・組合員向け)】
・アルテガ店、開店1か月。1日平均252個。損益分岐213個を越え、月の利5800。店長歩合1160
・東路線、週2便で運行開始。馬車2台と倉庫、6万9600を計上
・損失:鉄鉱石4000個の前払い取引で詐欺被害。6万4000。私の自己資金から支出。納入・役の手数料・棚に影響なし
・原因:相手の確認を3点とも浅く行った。責任は私
・対策:預かり人を組合の外に立てる。次回報告で
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ミレイユの返事は、10分で来た。
『納入に影響なし、は分かった。で、対策は。「外に立てる」の外って、どこ』
『探してる』
『探してる、じゃなくて。生産者代表として聞いてる。次に同じのが来たとき、組合として何で防ぐの。煎じ方を書いて。匙の数まで。——手順を、分量まで書いて、ってこと』
生産者代表として。俺が作った役割表の役が、俺に質問をしている。
役割表を作ったのは、俺が一人で決めない組合にするためだ。その表どおりに、俺が問い詰められている。いい表を作った。痛いが。
アルカの取引所は、一等地の角に開いていた。
絨毯の匂いが、まだ残っていた。ハルトマンの絨毯店だった場所だ。
床に絨毯はない。板張りの上に大きな板が3枚立ち、都市別の相場と売りと買いが流れている。板の隅に、手数料の札。競売所の半分、1割。受付が4つ。荷役が行き来する。ハルトマンの商品の匂いだけが壁に染みて残っている。
「来ると思った」
アルカは受付の奥にいた。白い外套は今日は脱いでいた。
「ヴェルナーの4人目、でしょ」
「4人目の前の二人は、あんたの出資者だと聞いた」
「聞いた。だからわたしも、同じ物を考えてた」
板の1枚を指した。「預かり取引」と書いてある。
「取引所が金を預かる。品が届いたら売り手に払う。届かなければ買い手に返す。手数料は、安い」
「1分、と板にある。6万4000なら640。安い」
「安いでしょ。——で、あなたは条件を持ってきた顔をしてる」
「一つだけだ。預かった金を、取引所が別のことに使わないこと。預かり金と取引所の運転資金を分ける。出資者の金とも分ける。帳簿も分ける。うちの組合から見られるようにする」
アルカは、じっと俺を見た。
「……なんで、それを言うの」
「混ぜた瞬間に、預かった金は預かった金じゃなくなる。取引所が預かり金で荷役の日当を払ったら、その日から取引所が詐欺師だ。返すべき金を、使い込んだことになる。あんたがそうするとは思ってない。あんたが辞めたあとの誰かが、そうしないとは限らない」
板の上を、鉄の相場が1つ更新されて流れた。
「——分ける。規則に書く」
「それなら、乗せる」
「6万4000取られた人が、一番いい規則を持ってくるの。皮肉だと思わない?」
「思わない。払ったから、規則の値段が分かる。この規則がなかったせいで、6万4000払った」
帰りの馬車で、ユキハが聞いた。
「預かり人、アルカにしたの」
「アルカの取引所に。アルカ個人じゃなく」
「競争相手に、自分の金を預けるんだ」
「競争相手だから預けられる。身内に預けると、帳簿を見せろと言えない。今週、ミレイユに言えなかった。競争相手になら、遠慮なく言える」
ユキハは、しばらく街道の先を見ていた。
「ミレイユさん、気にしてたよ。自分が預かってたら、あなたが遠慮するって。だから先に、匙の数まで書けって言ったんだと思う」
それは、知らなかった。
講義で習った言葉なら、エスクローだ。売り手と買い手の間に、どちらの味方でもない第三者を置いて、金と品を同時に受け渡す仕組みを言う。今回は取引所が第三者で、うちが買い手、織物屋が売り手だ。第三者は、両方から「帳簿を見せろ」と言われる立場でなければいけない。だから身内ではいけないし、だから競争相手でいい。
織物屋には翌週、預かり取引の紙を持っていった。織物屋は布を巻く手を止めずに頷いた。
「それなら先払いでいい。——あんた、自分の財布より、人の財布のほうを先に守る順番で来たな」
「自分の財布を守る順番を間違えた翌週だから。人の財布は、間違えないうちに守る」
その夜、東路線の2便目が、予定より1時間遅れて戻ってきた。ガロは「森が暗え」とだけ言った。夜の森の道が、思ったより危ない、という意味だった。
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【行商人の帳面 その42】
・売り手と買い手の間に、どちらでもない第三者を置いて、金と品を同時に受け渡す。これがエスクロー。
・預かり人は、両方から「帳簿を見せろ」と言われる立場の者。身内は遠慮が出るから、預かり人になれない。
・預かり金は、別の財布、別の帳簿。運転資金と混ぜた瞬間に、預かった金ではなく使い込んだ金になる。
・預かり取引の手数料640は、6万4000の1分。先週それを払わなかった値段が、6万4000。
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