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第41話 塩、10ゼル

実装の朝、リーデンの港は人で埋まった。


公式の渡し船は3隻。桟橋の列は、大狩猟祭の受付より長かった。汽笛が鳴るたび歓声が上がる。レンのクランの旗も、2隻目の甲板に見えた。


俺は船に乗らない。桟橋の脇に出したうちの売り台が回るのを見ていた。矢と砥石と干し肉が、面白いように売れていく。渡る人間は、渡る手前で買い込む。棚の読みは、初日から当たった。


昼までに、売り台の干し肉と松明が売り切れた。補充は昼の便で届く。段取り通りだ。


「船、乗らなくてよかったんですか」と売り子が聞いた。


「俺の新大陸は、こっち側にある」


桟橋の人波は、夕方まで途切れなかった。5万人のサーバーの、たぶん半分が今日、海を見た。


観察は、日付ごとに帳面へ付けた。


1日目、値札の動きなし。2日目、港の宿が満室。3日目、最初の帰り船。桟橋で財布の音が変わった。


4日目、酒場と屋台の値札が動いた。5日目、パン屋の朝の列が倍になった。数字は嘘をつかないが、順番はもっと嘘をつかない。飯まわりから動く。祭りの週と同じ並びだ。


最初に戻ってきた連中の財布は、聞いていた以上に膨れていた。港の酒場で、蒼海帰りが値札を見ずに樽で酒を頼む。宿が埋まる。屋台の列が伸びる。


転移門の前にも列ができていた。片道1000の門を、ためらわずにくぐる背中が増えている。金の使われ方が、先週までと音から違う。


6日目の朝、リーデンの塩屋の棚の前で、俺は足を止めた。値札が新しくなっていた。


塩、1袋10ゼル。


「悪く思うなよ、塩の兄ちゃん」おやじは前掛けで手を拭いた。「蒼海で屋台をやるって連中が、袋でまとめて買ってくんだ。値札も見ねえで金貨を置いてく。前の値で売る理由が、なくなった」


「あんたが正しい。棚の塩は、あんたの塩だ」


「……先に蔵ごと買ってった本人が言うと、嫌味に聞こえるがな」


「怒ってるか」


「怒っちゃいねえよ。あんたは値札の通りに買ってっただけだ。……ただな、長いこと塩屋をやってて、塩の値札を書き直したのは初めてだ。手が覚えてねえ字ってのは、書くと妙な気分だぞ」


おやじは新しい値札を少し離れて眺め、俺も並んで眺めた。8が10になっただけの板が、今日は世界で一番大事な板に見える。


飯は、人が動く先へ動く。人が海を渡れば、塩も渡る。秋に読んだ通りの順番で、値札が動き出した。


読み通りだ。読み通りなのに、新しい値札の前に立つと、背中が少しだけ冷えた。当たるってのは、当たり終わるまでは怖い。


その日のうちに、最初の回収をした。


蒼海へ渡る飯屋と屋台の衆に、塩を2000袋、1袋10で卸した。相場の10のままで、山を握っているからといって上に吹っかけない。


「相場のままでいいのか」と屋台の親方が聞いた。


「相場のままがいい。うちは今日だけの商売じゃない。そのかわり、続けて買うなら量を約束してくれ」


親方は笑って、指を3本立てた。3週続けての約束になった。高く売る一回より、確かに売れる三回だ。


帳面には、卸先と約束の量を並べて書いた。売る相手を先に並べてから売るのは、山を崩す前の作法だ。


仕入れは8だから、2000袋で差し引き4000の利。数字としては小さい。


ただ、これは山の端の話だ。蔵にはまだ1万8000袋が積んであって、その全部に、今朝から1袋2ゼルずつの差が乗っている。運び賃と蔵代で6000払って、それでも帳面の名目は、秋からはじめて動いた。


発着場では、荷役たちが値札の話をしていた。


「串焼きはまだ4だな」


「動いたのは塩だけか」


「……なあ、大将のあの山、もしかして」


もしかしてだよ、とは言わなかった。まだ序の口だ。蛇口は開いたばかりで、水はこれから溜まる。


ガロには、その晩に種明かしをした。聞き終えて、ガロは腕を組んだ。


「……つまり、うちの給金の袋は、これから偉くなるってことか」


「そういうことだ」


「そりゃあいい。若いのに言っとくぞ。袋を笑った奴から順に、袋を拝みに来るってな」


言い方は乱暴だが、たぶんそうなる。袋の給金は、今日から目減りの反対側に立った。


店の壁の前には、朝から人が増えた。値段が動き始めた途端、誰もが値段を確かめたくなる。コウの書く字は、この数日で倍の速さになった。


「壁、朝と昼の2回にしますか」


「朝の1回でいい。うちの棚は昼まで変えない。それが壁の値打ちだ」


壁の塩の行を、コウは初めて書き直した。8を消さずに、隣に新しく10と書いた。前の値を残すのは、あいつの発明だ。値段には、来た道も書いてある。


夜、蔵の戸を開けて、袋の山をしばらく眺めた。山は昨日と同じ形で、値打ちだけが変わっている。物は動いていないのに、金のほうが動いた。インフレってのは、こういう顔で来るらしい。


笑い声は、もう聞こえない。代わりに聞こえてくるのは、袋はまだあるか、という声だ。どっちも、同じ口から出ている。


値札板。塩10、パン2ゼル半、串焼き4。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その41】

・物価は一斉には動かない。財布が膨れた人間が動く先の、飯から動く。順番を読めた者だけが、順番の前に立って待てる。

・塩8→10。最初の回収は2000袋で利4000。蔵の1万8000袋には、山ごと2ゼルずつの差が乗った。

・【資産】現金7万4000、塩1万8000袋(今の値で18万)、鉄18万、棚4万6000、店舗権38万。名目86万。

・当たるってのは、当たり終わるまでは怖い。当たってからは、ただの仕事だ。

◇――――――――――

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