第43話 袋は袋だ
【お知らせとお詫び】
いつも本作をお読みいただき、ありがとうございます。
このたび、第二部(第27話以降)の本文を、構成から全面的に作り直しました。
すでに読み進めてくださっていた読者の皆様には、途中で内容が大きく変わる形となってしまい、本当に申し訳ありません。
当初の想定よりもずっと多くの方に読んでいただけていることを受けて、第二部を改めて見直し、より楽しんでいただけるよう構成から作り直した次第です。
第27話以降は、新しい本文に差し替えております。
お手数をおかけしますが、もしよろしければ第二部、27話から改めてお読みいただけると幸いです。
また、改めて、たくさんの方にお読みいただき、本当にありがとうございます。
とても励みになっております。引き続き、よろしくお願いいたします。
蒼海の荷役は日当が倍、という噂は、噂じゃなくて募集の貼り紙だった。
発着場の向かいの掲示に、蒼海の港湾組の札が貼られた。日当400。うちの220の、ほとんど倍だ。ガロが札を睨んで唸った。
「若いのが何人か、話を聞きに行った。……責められねえ。串焼きも宿も、上がってやがるからな」
「責めるな。数字は正直だ。こっちも正直な数字で返すだけだ」
貼り紙の前には、うちの若いのだけじゃなく、よその荷役も集まっていた。日当400の字は、それだけ大きく見える。
ただ、400の下には小さい字で、飯と宿は各自、とあった。大きい字と小さい字のある貼り紙の読み方は、秋からの告知で覚えた。値札は、いつも小さい字のほうにある。
夕方、ロダが詰め所に残っていた。辞める話かと思ったら、違った。
「向こうの日当、見ました。正直、揺れました」
「だろうな」
「で、向こう帰りの奴に飯と宿の値段を聞いて回ったんです。あっちは飯も宿も、こっちよりずっと高い。日当が良くても、手元に残る金は思ったほど変わらない。……それでも、日当の数字だけ見たら、向こうなんですよね」
数字を自分の足で確かめに行く荷役を、うちは秋に1人拾っていたらしい。
「うちの日当は220と、塩1袋だ。袋の中身の値札は、秋から3割上がった。年明けには220の地金も上げる。便と店の実入りが増えてる分だ」
「知ってます。袋は毎日もらってるんで」ロダは、足元の袋を持ち上げた。「……このごろ思うんです。袋のほうは、値札を見なくていいんだな、って」
「見なくていい。袋は袋だ」
「なら、残る」
それだけ言って、袋を担いで詰め所を出ていった。引き留めの口上は一言も要らなかった。引き留めたのは俺じゃなくて、袋だ。
出ていく背中に、ガロが声をかけた。
「おう、明日は朝から島便だぞ」
「知ってます」
返事が、いつもより軽かった。迷いってのは、片付くと足音まで変わるらしい。
ユキハには、矢の話をされた。
「矢、上がってきた。射場の噂の通り」
「袋の塩とは別に、矢の分は出来高に乗せる。仕入れはうちの棚からでいい」
「ん。……あの袋、最初は正直、変な給金だと思ってた」
「今は」
「弓と同じ。当たってから褒められても、練習は先に済んでる」
褒められたのかどうか、判定の難しい言い方だった。この人の褒め言葉は、だいたい弓の形をしている。
10日目、コウが最初の指数を出した。
管理局の朝値で測った平均は、秋を1として1割上がっていた。指数1.1。式の通り、鉄の納めは基準25が27ゼル半になり、利幅5を乗せて32ゼル半。相場の鉄は33を超えているから、それでもまだ相場より安い。
テツジンの炉は、いつも通りに回っていた。この冬、いつも通りってのは、それだけで珍しい景色だ。
隣の武具工房は、火が半分落ちていた。安い固定の値で鉄を納めていた行商人が、荷ごと蒼海方面へ消えたらしい。約束の値段が安すぎると、値段どころか約束ごと蒸発する。
消えた行商人を責める声は、市場では案外少なかった。安値の約束を守って潰れるか、破って逃げるか。二択まで追い込まれた側の事情も、皆どこかで分かっている。
責めても鉄は来ない。来る仕組みを先に作っておくしかない。式ってのは、人の善意を当てにしない分だけ、善意より長持ちする。
「うちは火が消えてねえ。それだけの話だ」とテツジンは言った。「……それだけの話が、隣じゃできてねえ」
式で結んだ約束は、物価が走っても千切れない。値段のほうが、勝手に追いかけるからだ。ミレイユの工房の弟子にも袋は付いていて、薬草と瓶で測る物差しも、今週から動き始めた。
夜、発着場の焚き火のそばで、ガロがぽつりと言った。
「外はえらい値上がり騒ぎだってのに、うちの中は、なんだか静かだな」
「網の中は、天気が違う」
「……うまいこと言うなあ、大将」
うまいことを言ったつもりはない。外で雨が降り出す前に、式と袋で雨戸を先に閉めておいただけだ。
焚き火の向こうでは、若いのが袋を枕に昼寝の続きをしていた。袋を笑った口で、袋を枕にしている。ガロの言った通りになった。
帰り道、一等地の前を通った。普請はまだ続いていて、槌の音の合間に、棟梁が材木の値の話をしているのが聞こえた。材木も職人の日当も、この冬は上がる側の値札だ。124万の上に、値上がりの普請代が静かに積み上がっていく。
足は止めなかった。よその帳面は、よその帳面だ。
外の天気は、俺には変えられない。運営の蛇口は開きっぱなしで、値札はまだ上がるだろう。でも、うちの取引の内側の値段は、式と袋で自分たちで決められる。守れる広さには限りがあるが、限りの内側は、確かに守れている。
守れる広さをどこまで広げられるかは、春の宿題にした。今夜は焚き火のそばで、ガロの下手な歌を最後まで聞いた。
値札板。塩11、パン3、串焼き5。
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【行商人の帳面 その43】
・外の物価は変えられない。網の内側の値段は、式と袋で自分たちで決められる。屋根の内と外で、天気が違っていい。
・指数1.1。鉄の納めは32ゼル半で、それでも相場より下。固定の約束は蒸発し、式の約束は残った。
・日当220と袋1つで、ロダは残った。袋は値札を見ない。地金の日当も年明けに上げる。実入りが増えた分だ。
・【資産】現金21万、塩8000袋(8万8000)、鉄21万6000、棚4万6000、店舗権38万。名目94万。
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