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第39話 壁に朝の値段を書く

二等地の店は、看板より先に蔵が仕上がった。


広くした蔵に、塩の袋と鉄材が運び込まれていく。帳場から蔵の戸口までまっすぐ歩ける造りにした。この店の主役は、しばらく蔵だからだ。


棚に入れたのは、蒼海支度の品だ。矢、砥石、干し肉、傷薬、縄、松明。新しい大陸へ渡る人間が、渡る前に買い込む物。仕入れは4万6000。売り値は、今の相場の通りに付けた。


「新大陸の棚、ですか」とコウが言った。


「開拓の棚だ。船に乗る奴は、向こうに店があるかどうか分からない。分からないとき、人は手前で買い込む。祭りの前の矢と同じ理屈だ」


開店の日は、狙って地味にした。楽隊も振る舞い酒もなし。朝、戸を開けて、値札を置いて、それだけだ。


「お披露目、しなくていいんですか」とコウ。


「派手な初日は、初日しか来ない客を集める。うちが欲しいのは、毎週来る客だ。毎週来る理由は、祭りじゃなくて棚が作る」


初日の客は21人だった。半分が蒼海支度の買い込みで、締めてみれば上々の側だ。祭りなしでこの数字なら、棚の並びは間違っていない。


それから、店の表の壁に大きな黒板を掛けた。


【今朝の値段】。塩、パン、串焼き、矢、砥石、ポーション、鉄。大市場の朝の値を、コウが毎朝ここへ書き写す。うちの棚の値段じゃない。市場の値段だ。誰でも、タダで見られる。


「タダでいいんですか」とコウが聞いた。「値段を知ってるのが、うちの強みなのに」


「強みは、今日の値段を知ってることじゃない。値段の動く向きを読めることだ。今朝の値なんて、隠しても昼には皆が知る。なら先に見せて、あの壁は正しい、と思われるほうが儲かる」


「……壁を見に来た人は、ついでに棚を見ますしね」


「そういうことだ」


コウは、壁?、と書いた手帳のページに、線を引いて消した。答えの出た疑問符を消すときのあいつは、ちょっと嬉しそうな顔をする。


壁の初日の朝、最初に足を止めたのは、細い体に初心者装備の子だった。


壁を見上げて、それから手のひらの銅貨を数え直している。銅貨は几帳面に、小さな塔の形に積んであった。一番上に、半ゼル銅貨が2枚。


崩れない積み方だった。大きい銅貨が下、細かいのが上。数えた回数のぶんだけ、指が覚えた形だ。


「あの。すみません。この値段は、いつまでの値段ですか」


「いつまで、というと」


「市場だと、朝と夕方で値札が違うことがあるので。朝の値段だと思って銅貨を数えて出てくると、着いたときには足りないことが、あって」


夕方には夕方の値がある。それ自体は市場の理屈だ。ただ、朝の値札を見て銅貨を数えてから家を出る人間にとって、それは道の途中で梯子を外される話でもある。


俺は少し考えて、黒板の下に1行を書き足した。


【うちの棚は、朝の値段を昼まで変えません】


「うちの棚の分は、これで」


「……ありがとうございます。じゃあ、塩を」


子は銅貨の塔から、几帳面に数えて払った。ムギ、と名乗った。薬草採りをやっていて、朝から夕方まで摘んで、塩とパンを買うと少しだけ残るのだという。聞いてもいない暮らしの寸法まで、律儀に教えてくれた。


「朝に買うって、決めてるんです。朝のほうが、間違いがないので」


朝に買うのは、財布の薄い側が考え抜いて手に入れた技術だ。壁の下の1行は、その技術の置き場所になった。教わったのは、こっちのほうだ。


帰りかけたムギが、戸口で一度止まって、戻ってきた。


「あの。薬草って、買い取ってもらえますか。市場の買い取り屋さん、夕方は混んで、その、安くされてしまうので。朝に売れる場所を探していて」


「扱えるかどうかは、検討する。南の森の草なら、ミレイユの工房が毎日使う。ただ、量と質を見てからだ。決めたら、この壁に書いておく」


ムギは指を折って何かを数え、深く頭を下げた。朝に買って、朝に売る。この子の商いは、全部朝で出来ている。


一番確かに買えて、一番確かに売れる朝はどこにあるのか。それをこの子は、自分の足と銅貨で測ってきたわけだ。


「では、また。……朝に、壁を見に来ます」


朝の壁の前に立つ人が、また一人増えた。壁ってのは、こうやって少しずつ、市場の入り口になっていくらしい。


壁は、初日から仕事をした。


昼過ぎ、通りがかりの槍使いが壁の前で立ち止まって、連れに、砥石を露店で倍の値で買っちまった、とぼやいた。次の日、その二人は棚の前にいた。


ガロは壁を見て、別のことを言った。


「これ、発着場にも欲しいな。荷主が運賃の相談のたびに、市場の値を聞いてくるんだ」


「写しを毎朝送る。掛けとけ」


壁が2枚になった。値段ってのは、見える場所が増えるほど、嘘をつきにくくなる。


この3週間の便と店の実入りは、締めておよそ3万あった。店の造作と看板と、日当の上げにほぼそのまま消えた。


手元の現金は10万。回し金の底は、まだ割っていない。


開店から3日で、壁を見てから棚に来る客が目に見えて増えた。壁は看板より安くて、看板より働く。


棚と壁と蔵。売る場所と、見せる場所と、待たせる場所。店の形が、やっと言葉になった。迎え撃つ側の支度は、これで整った。


◇――――――――――

【行商人の帳面 その39】

・値段は、隠すより見せるほうが儲かる商売がある。壁は客を育て、育った客は棚に戻ってくる。

・朝に買うのは、財布の薄い側の技術。うちの棚は朝の値段を昼まで変えない。壁の下の1行は、客に教わって書いた。

・棚の仕入れ4万6000は蒼海支度の品。便と店の実入り3万は、造作と看板と日当の上げに消えた。

・週の実入り8500→9000。名目が動かない週も、フローは伸びている。

・【資産】現金10万、実物34万6000(塩12万・鉄18万・棚4万6000)、店舗権38万。

◇――――――――――

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