第36話 余った金と、足りない人
コウが、棚の寸法を測っていた。
巻き尺の金具が、木の棚板に当たって鳴る。二等地北側の店。前の持ち主は香辛料の商人で、壁沿いに5段の棚と、奥に小さな倉庫。床に、胡椒の匂いが染みている。
「幅は一等地の半分です。奥行きは同じ。6段にできます」
「6段にしろ」
奥の倉庫で、大工のNPCが棚板を削っていた。鉋の音と、削りたての木の匂い。胡椒の匂いと混ざって、妙な店になった。
店舗権38万は、先週払った。手帳の現金の欄は、82万3720から44万3720になった。38万は、消えたんじゃない。現金の行から、店の行に移っただけだ。
余った。
一等地のために積んだ金が、二等地を買って、44万残っている。全部、俺の金だ。返す先も、配る先もない。
使い道の決まっていない現金を、これだけ持ったのは初めてだった。500ゼルの夜から数えて、一度も。
◇
夜、3つに分けた。
―――――――――――――――――
【44万3720の使い道】
・店の改装と初期在庫 12万
・運転資金(相場が壊れた週のため) 18万
・残り 14万3720——網を太くする
合計 44万3720
―――――――――――――――――
運転資金の18万は、手帳の欄に枠を引いて、枠の外に出さないと決めた。買い占めの週に覚えた。相場が壊れた週に現金があれば、仕入れを止めずに済んで、契約先に納め続けられる。あの週、俺の手元には3万しかなかった。
残りの14万は、この店の本当の値段のほうへ回す。
東路線の馬車2台と、アルテガの倉庫の借り賃。発着場の馬喰に聞いた値で、合わせて7万ほど。金は、ある。足りないものがあるとすれば、金じゃない。
この店で買ったのは、棚じゃない。場所だ。8本の街道の結節点に、うちの荷の受け渡し場所ができた。リーデン、スターディア、バルガ、エルム、離島。今までの網は、そこで終わっていた。アルテガを通せば、東へ伸びる。
「東って、どこまで?」
翌朝、棚板を6段目に載せながら、コウが巻き尺を畳みながら聞いた。
「まずゼーレ。馬車で3時間。織物の街で、塩も鉄も高い」
「帰りは?」
「布。スターディアの仕立て屋が、ゼーレの織物を欲しがってる」
「行きに塩と鉄、帰りに布。……荷台、両方埋まりますね」
「そうだ」
コウは、新しい棚板を1枚、壁に立てかけた。
◇
「無理だ」
金曜の発着場で、ガロは荷台から降りてきて、首を振った。
「人がいねえ」
「雇えばいい」
「雇えりゃ苦労しねえ。これ見ろ」
発着場の掲示板に、荷役募集の札が5枚、貼ってあった。一番古い札の日当が120。一番新しい札が、180。1か月で、5割上がった。
「第三層の攻略が本格化して、運搬の人手が攻略に吸われてる。それと——」
ガロは、一番大きい札を指で弾いた。
【アルカ取引所 開設準備 荷役50名募集 日当180 食事付き】
50人。まだ開いてもいない取引所が、もう人を吸っている。
荷役の一人が、札の「食事付き」の4文字を、指で撫でていた。撫でて、俺と目が合って、手を引っ込めた。
「うちの荷役班は8人。火金木で手一杯だ。東路線に馬車2台出すなら、荷役4人と護衛二人は要る。段取り以前に、現場に人がいねえ」
荷台の上で、元買い子の二人が、木曜便の矢を縛り直していた。二人とも、掲示板のほうを見なかった。見ないようにしている、と分かる首の角度だった。
金はある。14万。でも14万は、人がいなければ、馬車にも護衛にもならない。
「日当を上げれば?」
御者台から、ユキハが言った。
「うちの部の合宿だって、手伝いは時給を上げないと誰も来ない」
「上げれば、うちの固定費が上がる」
「上げなければ、人が来ない。どっちが安い?」
日当を上げて固定費が増える損と、人が来ずに便が出せない損。どっちが安いか。それを数えるのが、来週の仕事だった。
ユキハは、掲示板の一番端を見ていた。
「あの札、昨日はなかった。今朝、貼ったばかり。糊がまだ濡れてる」
アルカの札だった。
◇
帰りの馬車で、手帳を開いた。14万3720の行に、線を引いて、横に小さく書いた。
——人。
この14万で買うべきものは馬車でも倉庫でもなく、人だ。金の欄に、金以外のものを書いたのは初めてだった。
講義で習った言葉なら、遊休資金だ。遊休資金とは、使い道がなく眠っている金のことで、眠っている間は何も生まない。この場面では、44万を1か月眠らせれば網の利回りで測って2万2000の利を捨てたことになる、というのがそれに当たる。——それは帳面に書く。書いて分かったのは、今夜の問題はそこじゃない、ということだ。金を眠らせる損より、人がいなくて金を使えない損のほうが、大きい。
発着場に戻ると、掲示板に、もう1枚増えていた。
【アルカ取引所 荷役組合 規則:休んでも席がある。怪我は日当の半分。辞めても戻れる】
日当の数字は、書いてなかった。
◇――――――――――
【行商人の帳面 その36】
・使い道のない金は何も生まない。網の利回り年6割で測れば、44万を1か月眠らせる値段は2万2000。これが遊休資金の値段。
・運転資金は先に取り分ける。相場が壊れた週の現金が、納品を守る。買い占めの週の手元は3万だった。
・金があっても人がいなければ、金は馬車にならない。金の欄に「人」と書く日がある。
・新しい札は、糊が濡れているうちに読む。昨日なかった札が、今日の日当の相場を変える。
◇――――――――――




