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第37話 金で持たない

朝一番の便でリーデンへ下りて、塩屋の暖簾をくぐった。


「塩、あるだけくれ」


「……あるだけって、兄ちゃん」


「蔵の分を全部。それと、今月の塩田の上がりも、値段が今のままなら全部買う。手付は今日置いていく」


塩屋のおやじは前掛けで手を拭いて、俺の顔をしばらく見た。


「入札で負けたって聞いたぞ。自棄になってるなら売らねえ。うちの塩は、腹いせの道具じゃねえんだ」


「自棄なら酒を買う。塩は計算で買う」


「けっ。相変わらず可愛くねえ」


値切りはしなかった。まとめ買いを理由に値を叩けば、おやじは今後、俺の顔を見るたび損を思い出す。長い付き合いの仕入れ先は、安く買う場所じゃなくて、確かに買える場所だ。


「兄ちゃん、真面目に聞くがな。塩をどうする気だ」


「持つんだ。しばらく」


「……売りもしねえで?」


「売る日が来たら、ちゃんと売る。あんたの商売の邪魔はしない。約束する」


おやじは首を振って、蔵の鍵を取りに行った。分からない、という顔だった。分からないままでいい。説明は、そのうち値札が代わりにやる。


蔵には8000袋あった。塩田の今月分と合わせて1万5000袋、1袋8ゼルで12万。馬車で6往復の大仕事だ。


荷台に積み上がっていく袋の山を眺めて、護衛のユキハが言った。


「ねえ。これ、全部塩?」


「全部塩」


「……弓のしがいがない獲物ね。盗む人がいても、逃げ足が遅すぎる」


「そのうち、盗む値打ちが出る」


「ふうん」


信じていない声だった。それでいい。信じてもらうために買う塩じゃない。


運びは2日がかりになった。便の合間に臨時を挟んで、ガロの荷役班が総出で積み替える。荷台の塩には雨よけの布を二重に掛けた。


「大将、こりゃ何の騒ぎだ」とガロ。


「仕込みだ。冬の」


「冬て。漬物でも始めんのか」


「似たようなもんだ」


説明しないのは意地悪じゃない。読みの中身が先に歩き出すと、値札が先に動いて、仕込みの値段が上がる。話すのは、積み終わってからでいい。


午後はバルガへ回った。鉄の問屋で、鉄材を7200本。1本25ゼルで18万。


「……蔵の棚が空になるぞ。戦でも始める気か」


「逆だ。何があっても、いつも通り納め続けるための仕込みだ」


問屋は肩をすくめて、帳場の若いのに蔵出しを言いつけた。荷が動く間、俺は受け取りの数を帳面に付けていく。数え間違いのない数字ってのは、それだけで少し気分がいい。


塩は、張りだ。値札が動き出すなら、真っ先に動く側の品で受ける。飯まわりの品は、財布が膨れた人間が最初に金を落とす棚だからだ。


鉄は、守りだ。うちはテツジンの連盟に鉄を納めている。世の鉄の値が上がったとき、俺の仕入れまで上がっていたら、納めの約束が続かない。今日の25で山を積んでおけば、値がどこまで走っても、俺は約束の鉄を届けられる。


手元に残す現金は14万6000と決めた。


取引網の1か月の払いは、給金と仕入れの回転でおよそ4万。その3か月分と、崩れたときの備えだ。回し金まで物に換える奴は、商人じゃなくてただの博打打ちになる。読みに張るのは、読みが外れても暮らせる分だけだ。


換える先を塩と鉄にしたのにも、理由がある。どっちも、俺が毎週触っている品だからだ。目利きができて、売り先を知っていて、外れたときの捌き方まで分かっている。


知らない品で張るのは博打で、知り尽くした品で張るのは読みだ。帳面の上では似ているが、中身が違う。


夕方、競売所の前を通ったら、噂はもう俺より足が早かった。


「あの行商人、現金を洗いざらい塩に換えたらしいぞ」


「入札に負けて、おかしくなったか」


「塩漬けってのは相場の言葉だろうに。自分から漬かってどうする」


笑い声は、背中で聞いた。振り返って説明する理由がない。読みってのは、人に説明した瞬間から安くなる。


それに、外れていたら笑われるのは、どのみち俺だ。先に笑われておくのは、そんなに悪い取引じゃない。


一つだけ、笑いに混じって耳に残った声がある。あの量をどうやって売るつもりなんだろうな、という声だ。


いい問いだ。答えは決めてある。売り先を先に並べて、山を3つに割って売る。笑いより問いのほうが値打ちがある。市場ってのは、昔からそういう場所だ。


店に戻って、コウに蔵の指図を出した。


「蔵を広めに直してくれ。棚を削っていい」


「棚より蔵、ですか」


「3週間後には、ここが塩と鉄の山になる。売り場は棚じゃなくて、帳場と壁で作る」


「壁?」


「それは、直してから話す」


コウは手帳に、蔵、広く、と書いた。それから小さく、壁?、とも書いていた。疑問符ごと書き残すのは、いい番頭の癖だ。


「あの、一つだけ」とコウが手を挙げた。「現金がここまで薄いの、初めて見ました。怖くないですか」


「怖いよ。だから残りの14万6000の使い道は、お前も覚えておけ。俺が数え間違えたら、止めるのが番頭の仕事だ」


「……はい。覚えます」


◇――――――――――

【行商人の帳面 その37】

・実物転換。金の値打ちが薄まるときは、値打ちを物に移して持つ。金は値打ちの入れ物で、入れ物ごと目減りするなら、中身を袋に移すしかない。

・塩1万5000袋で12万、鉄材7200本で18万。合わせて30万。塩は張り、鉄は納めの約束を守る仕込み。

・回し金14万6000は現金で残す。月の払い4万の3か月分と備え。張るのは、外れても暮らせる分だけ。

・【資産】現金14万6000、実物30万、店舗権38万。名目82万6000。数字は入札の前と同じ。置き場所だけが違う。

◇――――――――――

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